このページでは、五条家(菅原氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
五条家(半家)の略系図

1 高長→五条高長~為清の系図
8 為賢→五条為賢~為経の系図
13 為適→五条為適~為房の系図
17 為範→五条為範~為定の系図
五条高長~為清の系図
五条高長【1208-1284】〔養父:菅原長貞(→高辻為長~長宣の系図)〕
従二位。五条家の祖。
祖父 長守→菅原是綱~長守の系図
父 為長→高辻為長~長宣の系図
五条長経/長継【1241-1315】
参議。
子 東坊城茂長・孫 長綱→東坊城茂長~長遠の系図
子 種長/在基/房長【?-1345】
従三位。
五条季長【1265-1313】
従二位。
子 長冬/長能【?-1339】
従二位。
子の妻 高辻清長の娘
子の妻の父 高辻清長→高辻為長~長宣の系図
孫 康長【?-1366】
従二位。
曾孫 長敏【1346-1424】
参議。
長冬孫 家長【?-1438】
従三位。
五条為視【1291-1362】
従二位。
妻 高辻清長の娘
妻の父 高辻清長→高辻為長~長宣の系図
五条為清【?-1442】
参議。大納言を贈られた。
子 為賢・孫 為親→五条為賢~為経の系図
子の夫 烏丸資任→烏丸豊光~光康の系図
五条為賢~為経の系図
五条為賢【?-1458】
権中納言。
祖父 為守・父 為清→五条高長~為清の系図
五条為親
妻 性慶【?-1497】(『系図纂要』による。)
子 任親〔養父:烏丸資任〕→烏丸豊光~光康の系図
子 芳永【?-1504】(『系図纂要』による。)
五条為学(ためざね)【1472-1543】
権大納言。母は『系図纂要』による。後奈良天皇の侍読を務めた。日記は『拾芥記』。
妻 平尾家盛の娘
子 為学の息子【1496-1499】(『系図纂要』による。)
子 禅雅【1504-?】〔養父:東坊城和長(→東坊城益長~長維の系図)〕(『系図纂要』による。)
子 為学の息子【1498-?】(『系図纂要』による。)
子の夫 久我晴通(『系図纂要』による。)→久我晴通~敦通の系図
五条為康(ためやす)【1501-1563】
権中納言。大納言を贈られた。
子 東坊城為治〔養父:東坊城長淳〕→東坊城益長~長維の系図
五条為経/貞長/為名/為良【1552-1615】〔養父:高辻長雅(→高辻国長~長雅の系図)〕(以下、『系図纂要』による。)
権中納言。大納言を贈られた。
妻 尭恵の娘
妻の父 尭恵→尭恵の系図
子 為適・孫 為庸→五条為適~為房の系図
妻 烏丸光康の娘
妻の父 烏丸光康→烏丸豊光~光康の系図
子 高辻遂長〔養父:高辻長雅〕→高辻遂長~長量の系図
子 東坊城長維〔養父:東坊城為治〕→東坊城益長~長維の系図
子の夫 中山冷泉為親→中山冷泉為親~今城定国の系図
五条為適~為房の系図
五条為適【1597-1652】
権中納言。大納言を贈られた。
祖父 為康・父 為経→五条為賢~為経の系図
祖父 尭恵→尭恵の系図
妻 福島正頼の娘
妻の父 福島正頼→福島正頼の系図
子 若江理長〔養父:菅原在永〕→菅原在公~在永・公氏・公頼の系図
子 増豪・果快・日是・実快・子 為適の娘(『東坊城家譜』による。)
子の夫 池尻共孝→池尻共孝~共条の系図
子の夫 細川立孝→細川立孝~興里の系図
五条為庸【1619-1677】
権大納言。
子 唐橋在庸〔養父:唐橋在勝〕→唐橋在通~在秀の系図
子 清岡長時・孫 致長→清岡長時~長説の系図
子 桑原長義・孫 適長→桑原長義~為政の系図
子 唐橋在隆〔養父:唐橋在庸〕→唐橋在通~在秀の系図
子 為房〔養父:五条為致〕
子 宗賀〔養父:高辻豊長(→高辻遂長~長量の系図)〕
子 尭鎮【?-1722】
子 庸子・経子→霊元天皇の系図
子の夫 柳生宗在(『寛政重修諸家譜』による。)→柳生永珍~宗在の系図
子の夫 稲葉正直(『寛政重修諸家譜』による。)→稲葉正倚・正辰~正芳・正直・通周~通義の系図
五条為致【1649-1719】
子 為範〔養父:五条為房〕→五条為範~為定の系図
五条為房【1672-1689】
実は五条為庸の子。
子 為範・孫 為成→五条為範~為定の系図
五条為範~為定の系図
五条為範【1688-1754】
権大納言。実は五条為致(→五条為適~為房の系図)の子。
祖父 為致・父 為房→五条為適~為房の系図
妻 持明院基輔の娘
妻の父 持明院基輔→持明院基定~基雄の系図
妻 久野俊正の娘
子 清岡長香〔養父:清岡致長〕→清岡長時~長説の系図
子 桑原長親〔養父:桑原適長〕→桑原長義~為政の系図
子 壬生基貫〔養父:壬生俊平〕→葉川基起~壬生基修の系図
子 寛子→中御門天皇~後桃園天皇の系図
子の夫 鍋島直員→鍋島直員~直虎の系図
五条為成【1716-1759】
権中納言。
妻 高辻総長の娘
妻の父 高辻総長→高辻総長~修長の系図
子の夫 高辻胤長→高辻総長~修長の系図
五条為俊/為璞【1741-1783】
正三位。
子 清岡長親〔養父:清岡輝忠〕→清岡長時~長説の系図
五条為徳【1763-1823】
権大納言。
妻 広橋伊光の娘
妻の父 広橋伊光→広橋伊光の系図
子 東坊城聡長〔養父:東坊城尚長〕→東坊城恒長~夏長の系図
子 清岡長煕→清岡長時~長説の系図
五条為貴【1791-1808】
五条為定【1804-1862】
権中納言。実は壬生家尹(→葉川基起~壬生基修の系図)の子。
妻 広橋義子
広橋光成(→広橋光成~胤光の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。