このページでは、藤原氏南家・貞嗣流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
藤原氏南家・貞嗣流の略系図
1 貞嗣→藤原貞嗣の系図
1-A 吉備・高岑→藤原吉備・高岑の系図
1-B1 岑人→藤原岑人~明通の系図
1-B2 親経→藤原親経の系図
2 高仁→藤原高仁~道明の系図
4-A 尹甫・尹忠・尹風→藤原尹甫・尹忠・尹風の系図
6 永頼→藤原永頼の系図
6-A 信通→藤原信通の系図
6-B1 永信→藤原永信・永業の系図
6-B2 季永→藤原季永・清高の系図
6-B3 仲実→藤原仲実の系図
6-B4 高佐→藤原高佐の系図
7 能通→藤原能通・実範の系図
8-A1 成季→藤原成季~永範の系図
8-A2 孝範→藤原孝範の系図
9 季綱→藤原季綱の系図
9-A 尹通→藤原尹通の系図
9-B1 実兼→藤原実兼・通憲の系図
9-B2 俊憲→藤原俊憲の系図
9-B3 貞憲→藤原貞憲の系図
9-B4 成範→藤原成範の系図
9-B5 脩範→藤原脩範の系図
9-B6 澄憲→澄憲の系図
10 友実→藤原友実・能兼の系図
12 範兼→藤原範兼の系図
13 範光→藤原範光の系図
14 範朝→藤原範朝の系図
藤原貞嗣の系図
藤原貞嗣(さだつぐ)【759−824】
中納言。『日本後紀』の編纂に携わった。
祖父 武智麿→藤原武智麿の系図
父 巨勢麿→藤原巨勢麿の系図
祖父 藤原永手→藤原永手の系図
妻 紀沙弥の娘
子 三藤
子の妻 藤原道継の娘
子の妻の父 藤原道継→藤原葛野麿・道継・道雄の系図
孫 近臣/近善【?−880】
孫の妻 藤原常行→藤原良相の系図
妻 諸依の娘
孫 直行
父は藤原貞嗣とも。
曾孫 長平/為国
子 高岑→藤原吉備・高岑の系図
子 高仁・孫 保蔭→藤原高仁~道明の系図
妻 多治比公成の娘
子 岑人・孫 恒良→藤原岑人~明通の系図
子 吉備→藤原吉備・高岑の系図
藤原吉備・高岑の系図
藤原吉備/吉備成
孫 有椙/有榲
父は藤原吉備とも。
曾孫 茂蔭
父は藤原俊守とも。
高岑孫 季孝
季孝の子の夫 藤原道綱→藤原道綱の系図
藤原岑人~明通の系図
藤原岑人
孫 善蔭【?-960】
藤原諸蔭
父は藤原岑人・橘峯守とも。
子 利博/利情
孫 挙直
父は藤原昌平とも。
藤原明通
子 親経→藤原親経の系図
子 有忠/雅明/経実【?-1104】
父は藤原親経・藤原経仲(→藤原親経の系図)とも。
子 親長
実父は大江親任。父は藤原親経(→藤原親経の系図)とも。
藤原親経の系図
藤原親経【?-1075】
母は親挙の娘とも。
祖父 忠親・父 明通→藤原岑人~明通の系図
子 経尹
実は藤原宗光(→藤原宗光の系図)の子。養父は藤原経仲とも。
子の妻 源宗清の娘
子の妻の父 源宗清→源義親の系図
孫 宗業〔養父:藤原宗光、藤原実重(→藤原有綱~信重の系図)〕→藤原宗光の系図
孫 範綱→藤原範綱・資光の系図
父は藤原有信(→藤原有信の系図)とも。
孫 有範→藤原有信の系図
父は藤原有信とも。
子 有忠→藤原岑人~明通の系図
父は藤原明通、藤原経仲とも。
子の夫 藤原季綱→藤原季綱の系図
孫 友実→藤原友実・能兼の系図
子の夫 藤原家基→藤原良頼の系図
藤原高仁~道明の系図
藤原高仁【?-835】
藤原道明(みちあき)【856-920】
大納言。『延喜式』の編纂に携わった。
妻 橘房上の娘
子 尹衡【?-920】
妻 丹治比蔭光の娘
子 尹文→藤原尹文の系図
孫 永保→藤原永保の系図
孫 永頼→藤原永頼の系図
子 尹甫→藤原尹甫・尹忠・尹風の系図
子 慶円
父は藤原尹文(→藤原尹文の系図)・藤原連真(→藤原助継の系図)・藤原永頼(→藤原永頼の系図)とも。
妻 藤原常作の娘
子 尹忠・子 尹風→藤原尹甫・尹忠・尹風の系図
子 尹生
実父は藤原文貞(→藤原文貞の系図)。
孫 定覚
父は藤原永業(→藤原永業の系図)とも。
子の夫 藤原安親→藤原安親の系図
孫 守仁→藤原守仁・兼清の系図
子の夫 源国挙→源通理・国盛の系図
子の夫 藤原安于→藤原黒麿・春継の系図
子の夫 藤原文貞→藤原文貞の系図
子の夫 源清平→源清平の系図
子の夫 源英明→斉世親王・敦慶親王の系図
子の夫 藤原元方→藤原元方の系図
孫 懐忠→藤原懐忠の系図
藤原尹甫・尹忠・尹風の系図
藤原尹甫
祖父 保蔭・父 道明→藤原高仁~道明の系図
子 佐光
父は藤原尹風とも。
藤原尹忠
従三位。
子の夫 藤原懐忠→藤原懐忠の系図
子の夫 藤原方儀→藤原恒佐・懐忠の系図
曾孫 経国【?-1093】
尹忠孫 国宗
妻 藤原能成の娘
妻の父 藤原能成→藤原成光の系図
尹忠孫 経孝/章宗
藤原尹風
妻 橘敏行の娘
妻の父 橘敏行→橘敏行の系図
子 佐光
父は藤原尹甫とも。
子 師信
父は藤原師頼とも。
孫 順明/順昭
子の夫 藤原元方→藤原元方の系図
子の夫 藤原中正→藤原中正の系図
子の夫 藤原忠君→藤原遠量・忠君・遠度・遠基の系図
藤原尹文の系図
藤原尹文
父は藤原尹衡(→藤原高仁~道明の系図)とも。
祖父 保蔭・父 道明→藤原高仁~道明の系図
妻 橘恵子
妻の父 橘良殖→橘良殖の系図
子 永保→藤原永保の系図
妻 藤原定方の娘
妻の父 藤原定方→藤原定方の系図
子 永頼→藤原永頼の系図
孫 能通→藤原能通・実範の系図
孫 信通→藤原信通の系図
孫 永信→藤原永信・永業の系図
子 永平/永年
孫の夫 藤原正光→藤原朝光・正光の系図
子 慶円(けいえん)【944-1019】
天台座主。父は藤原道明(→藤原高仁~道明の系図)・藤原連真(→藤原助継の系図)・藤原永頼(→藤原永頼の系図)とも。
子の夫 藤原斉敏→藤原斉敏の系図
孫 懐平→藤原懐平の系図
藤原永保の系図
藤原永保
祖父 道明→藤原高仁~道明の系図
父 尹文→藤原尹文の系図
祖父 橘良殖→橘良殖の系図
曾孫 俊任
父は藤原国信とも。
国信孫 俊任
父は藤原通能とも。
子 高扶
子の妻 為朝の娘
孫 範基【?-1066】
孫の妻 橘則光の娘
孫の妻の父 橘則光→橘則光の系図
曾孫 俊範
父は藤原俊経とも。
子の妻 為相の娘
孫 俊経【?-1049】
孫の妻 平直方の娘
孫の妻の父 平直方→平維将~時直の系図
曾孫 俊範/経忠/経方
父は藤原範基とも。
俊経孫 朝子→藤原実兼・通憲の系図
朝子の子 藤原成範→藤原成範の系図
朝子の子 藤原脩範→藤原脩範の系図
孫 康基【1013-1075】
孫の妻 藤原忠孝の娘
孫の妻の父 藤原忠孝→藤原永頼の系図
孫 円豪【?-1063】
孫の夫 藤原邦恒→藤原邦恒の系図
藤原永頼の系図
藤原永頼【?-1010】
祖父 道明→藤原高仁~道明の系図
父 尹文→藤原尹文の系図
祖父 藤原定方→藤原定方の系図
妻 藤原宣雅の娘
妻の父 藤原宣雅→藤原尚範の系図
子 能通・孫 実範→藤原能通・実範の系図
子 信通→藤原信通の系図
妻 藤原宣明の娘
妻の父 藤原宣明→藤原尚範の系図
子 信理〔養子:藤原永信(→藤原永信・永業の系図)〕
孫 忠孝/忠季
曾孫の夫 藤原康基→藤原永保の系図
孫の夫 藤原公業→藤原公業の系図
孫の夫 源頼国→源頼国の系図
曾孫 頼弘→源頼弘の系図
曾孫 実国→源実国・行実の系図
子 保相→藤原保相の系図
父は藤原永頼(藤原氏北家・魚名流)(→藤原永頼の系図)とも。
子 永信・孫 永業→藤原永信・永業の系図
子の夫 藤原道頼→藤原道隆の系図
子の夫 藤原通任→藤原通任~師季の系図
子の夫 藤原中清→藤原為雅・中清の系図
孫 範永→藤原範永の系図
藤原信通の系図
藤原信通
祖父 尹文→藤原尹文の系図
父 永頼→藤原永頼の系図
祖父 藤原宣雅→藤原尚範の系図
子の夫 藤原範基→藤原為雅・中清の系図
子の夫 源経季→源経相~範基の系図
孫 永明/永命
孫の夫 藤原有綱→藤原有綱~信重の系図
孫の夫 藤原経忠→藤原経忠の系図
藤原永信・永業の系図
藤原永信〔養父:藤原信理(→藤原永頼の系図)〕
父は藤原尹文(→藤原尹文の系図)とも。
藤原永業
実は高階成順(→高階峯緒~良臣の系図)の子。
妻 源為理の娘
妻の父 源為理→是忠親王の系図
子 季永・孫 清高→藤原季永・清高の系図
子 仲実→藤原仲実の系図
子の夫 藤原師実→藤原師実の系図
孫 難波忠教→難波忠教の系図
子の夫 藤原公実→藤原公実の系図
子の夫 藤原行家→藤原行家の系図
子の夫 藤原重綱→藤原定成の系図
子の夫 藤原為房→藤原為房の系図
子の夫 藤原為綱→藤原典雅の系図
藤原季永・清高の系図
藤原季永/輔実/慶永
祖父 永信・父 永業→藤原永信・永業の系図
祖父 源為理→是忠親王の系図
妻 藤原永綱の娘
妻の父 藤原永綱→藤原兼三の系図
藤原清高
妻 藤原宗季の娘
妻の父 藤原宗季→藤原良基の系図
孫の夫 藤原家房→日野資実の系図
妻 藤原知仲の娘
子 資能
子の妻 源季兼の娘
子の妻の父 源季兼→源季兼~兼教の系図
孫 教房/頼高
曾孫 高実/高兼
曾孫 教実/教貞
曾孫 観縁
父は藤原資能とも。
孫 道舜〔養父:藤原清高〕
子 清頼
子の妻 藤原清兼の娘
子の妻の父 藤原清兼→藤原安隆~清兼の系図
孫 季高
孫の妻 藤原兼盛の娘
孫の妻の父 藤原兼盛→藤原兼盛の系図
子 高佐→藤原高佐の系図
子 道舜
実は藤原資能の子。
藤原高佐の系図
藤原高佐
祖父 季永・父 清高→藤原季永・清高の系図
孫 円覚/円寛
孫の夫 藤原盛能→藤原季家の系図
曾孫 兼佐【?-1270】
兼佐孫 兼信【?-1311】
兼佐孫 清教/高頼
藤原仲実の系図
藤原仲実【1051-1108】
祖父 永信・父 永業→藤原永信・永業の系図
祖父 源為理→是忠親王の系図
妻 藤原隆方の娘
妻の父 藤原隆方→藤原隆方の系図
子 仲光【1087-1126】
子の妻 平盛基の娘
子の妻の父 平盛基→平維盛の系図
曾孫 朝仲/実任
孫の夫 藤原忠通→藤原忠通の系図
曾孫 九条兼実→九条兼実の系図
曾孫 兼房→藤原兼房の系図
子 仲隆
子の妻 高階基実の娘
子の妻の父 高階基実→高階敏忠・業遠の系図
孫 信成/高信
曾孫 政光/親成
行光孫 行実【?-1266】
行光孫 行時〔養父:藤原行経〕
行光孫 行経〔養子:藤原行時〕
行光の子の夫 二階堂行氏→二階堂行氏の系図
行光の子の夫 九条隆博→九条顕家の系図
藤原能通・実範の系図
藤原能通(よしみち)〔養子:藤原成季(→藤原成季~永範の系図)、藤原季兼(→藤原季兼の系図)〕
祖父 尹文→藤原尹文の系図
父 永頼→藤原永頼の系図
祖父 藤原宣雅→藤原尚範の系図
妻 藤原元尹の娘
妻の父 藤原元尹→藤原治方~元尹の系図
子の夫 藤原範永→藤原範永の系図
孫 良綱→藤原良綱の系図
孫 清家→藤原清家の系図
子の夫 藤原兼綱→藤原道兼の系図
子の夫 藤原経季→藤原経季の系図
子の夫 藤原家経→藤原広業・家経の系図
孫 正家→藤原正家~顕業の系図
藤原実範(さねのり)
漢詩文にすぐれた。南家家学の祖とされる。
妻 小野資通の娘
子 成季・孫 永実→藤原成季~永範の系図
子 季重
強盗に殺された。
子 季兼→藤原季兼の系図
妻 高階業敏の娘
妻の父 高階業敏→高階敏忠・業遠の系図
子 季綱→藤原季綱の系図
孫 友実→藤原友実・能兼の系図
孫 尹通→藤原尹通の系図
孫 実兼→藤原実兼・通憲の系図
子 興義(こうぎ)
道澄寺の別当を務めた。
子 業仲
実は高階業敏(→高階敏忠・業遠の系図)の子。
子の夫 藤原行家→藤原行家の系図
子の夫 藤原基仲→藤原基貞の系図
藤原成季~永範の系図
藤原成季(なりすえ)〔養父:藤原能通(→藤原能通・実範の系図)〕
祖父 能通・父 実範→藤原能通・実範の系図
妻 大江広経の娘
妻の父 大江広経→大江千古~成衡の系図
子の夫 藤原永雅→藤原永雅・範綱の系図
藤原永実【1062-1119】
妻 中原師平の娘
妻の父 中原師平→中原師平の系図
藤原永範(ながのり)【1102/06-1180】〔養子:藤原尹範〕
正三位。父は藤原尹隆とも。後白河天皇~高倉天皇の侍読を務めた。
妻 大江行重の娘
子 光範(みつのり)【1126-?】
従二位。
子の妻 清原頼業の娘
子の妻の父 清原頼業→清原頼業の系図
孫 頼範
正三位。
頼範孫 房暁
父は藤原頼範とも。
孫 勘解由小路頼資→勘解由小路頼資~光業の系図
実は藤原兼光の子。
孫 尹範〔養父:藤原永範〕
曾孫 家範/有範
曾孫の子の夫 藤原光実→藤原仲実の系図
子 孝範→藤原孝範の系図
子 業範/成綱
子の夫 藤原信兼→藤原良基の系図
藤原孝範の系図
藤原孝範(たかのり)【1158-1233】
実は藤原利永(→藤原範綱の系図)の子。
祖父 永実・父 永範→藤原成季~永範の系図
子 経範【1189-1256】
従三位。
子の妻 平有範の娘
孫 淳範【?-1315】
正三位。
孫 茂範【1236-?】
従二位。
曾孫 広範【?-1303】
従三位。
曾孫の夫 藤原親顕→藤原信盛の系図
茂範孫 具範/尚範/冬範【?-1321】
従二位。
茂範孫 藤範【?-1337】
従三位。
茂範孫 有範【1302-1363】
正三位。
孫 明範【1240-1314】
従二位。
曾孫 俊範/清範【?-1327】
正三位。
明範孫 房範【1302-?】〔養子:藤井嗣実(→粟田口基良の系図)〕
従三位。
明範孫 元範【?-1401】
従三位。
明範孫 行範【?-1361】
明範孫 業範【?-1399】
明範孫 賢悟【1308-1391】
孫 宗範〔養父:藤原孝範〕
子 宗範
実は藤原経範の子。
子 保範
父は藤原光兼(→藤原範綱の系図)とも。
藤原季綱の系図
藤原季綱(すえつな)
漢詩人。
祖父 能通・父 実範→藤原能通・実範の系図
祖父 高階業敏→高階敏忠・業遠の系図
妻 藤原親経の娘
妻の父 藤原親経→藤原親経の系図
子 友実・孫 能兼→藤原友実・能兼の系図
妻 藤原通宗の娘
妻の父 藤原通宗→藤原経平の系図
子 尹通→藤原尹通の系図
子 実兼・孫 通憲→藤原実兼・通憲の系図
子 悦子→藤原顕隆の系図
孫 藤原顕頼→藤原顕頼の系図
孫 藤原顕能→藤原顕能の系図
藤原尹通の系図
藤原尹通【1081-1122】
祖父 実範→藤原能通・実範の系図
父 季綱→藤原季綱の系図
祖父 藤原通宗→藤原経平の系図
妻 藤原忠季の娘
子 知通【1102-1141】
子の妻 花園左府家女房昭
孫 尹明
孫の妻 中原師元の娘
孫の妻の父 中原師元→中原師元の系図
尹明孫 経衡/範尹
子の妻 藤原敦光の娘
子の妻の父 藤原敦光→藤原敦光の系図
子の妻 藤原俊忠の娘
子の妻の父 藤原俊忠→藤原俊忠の系図
孫 俊貞
実は藤原俊忠(→藤原俊忠の系図)の子。
孫の夫 藤原惟方→藤原惟方の系図
孫の夫 藤原頼憲→藤原憲方の系図
妻 高階基実の娘
妻の父 高階基実→高階敏忠・業遠の系図
子 観智
父は教尋とも。
観智孫 観兼〔養父:藤原範氏(→藤原範朝の系図)〕
子の夫 藤原成頼→藤原顕頼の系図
子の夫 藤原顕憲→藤原顕憲の系図
孫 憲親→藤原憲親・経憲の系図
曾孫の夫 土御門天皇→土御門天皇の系図
藤原実兼・通憲の系図
藤原実兼(さねかね)/敏範/敏綱【1085-1112】
漢詩人。『江談抄』の筆録者とされる。
祖父 実範→藤原能通・実範の系図
父 季綱→藤原季綱の系図
祖父 藤原通宗→藤原経平の系図
妻 源有房の娘
妻の父 源有房→源顕定の系図
藤原通憲(みちのり)/信西(しんぜい)【1106-1159】〔養父:高階経敏(→高階敏忠・業遠の系図)〕
母は源有家(→源顕定の系図)の娘とも。後白河天皇の側近として活躍した。やがて藤原信頼と対立し、平治の乱で奈良へと逃れる途中に斬首された。
妻 高階重仲の娘
妻の父 高階重仲→高階重仲の系図
子 俊憲→藤原俊憲の系図
子 貞憲→藤原貞憲の系図
子 是憲/高伊/円照(えんしょう)【1139-1177】
平治の乱で配流となり、その後出家。ひたすら念仏を唱えた。
子の妻 藤原顕時の娘
子の妻の父 藤原顕時→藤原長隆・顕時の系図
子 静賢(じょうけん)【1124-?】
平治の乱では丹波に流された。
孫 顕耀
父は藤原通憲とも。
子 澄憲→澄憲の系図
子 覚憲(かくけん)【1131-1212】
平治の乱で配流された。壺阪寺に隠遁したことから、壺坂僧正と称された。
妻 藤原朝子(ちょうし)【?-1166】
藤原兼永(→藤原永保の系図)の娘。後白河天皇の乳母。
子 成範→藤原成範の系図
子 脩範→藤原脩範の系図
妻 藤原隆重の娘
妻の父 藤原隆重→藤原清綱の系図
子 光憲→藤原貞憲の系図
父は藤原貞憲とも。
子 寛敏(かんびん)/寛海【?-1182】
子 顕耀
父は静賢とも。
子 明遍(みょうへん)【1142-1224】
平治の乱では越後に流された。
子 勝賢(しょうけん)/勝憲【1138-1196】
醍醐寺座主などを務めた。
子 憲慶/浄慶
子の夫 藤原隆季→藤原隆季の系図
子の夫 藤原長方→藤原長方の系図
孫 宗隆→藤原宗隆の系図
子の夫 水無瀬親信→水無瀬親信の系図
子の夫 藤原家房→藤原家保の系図
子の夫 村上為国→村上為国の系図
藤原俊憲の系図
藤原俊憲(としのり)【1122-1167】
参議。平治の乱で越後に流されて出家した。
祖父 実兼・父 通憲→藤原実兼・通憲の系図
祖父 高階重仲→高階重仲の系図
妻 三条公教の娘
妻の父 三条公教→三条公教の系図
子 基明
子の妻 源延俊の娘
子の妻の父 源延俊→源俊明の系図
孫 範宗(のりむね)【1171-1233】
従三位。歌人として活躍した。
孫の妻 高倉範季の娘
孫の妻の父 高倉範季→高倉範季の系図
曾孫 範保【1199-?】
従三位。
曾孫 宗仲/範仲
範保孫 慈範・範貫
父は藤原範保とも。
範貫の子の夫 高階泰継→高階泰継の系図
妻 藤原顕頼の娘
妻の父 藤原顕頼→藤原顕頼の系図
藤原貞憲の系図
藤原貞憲(さだのり)
祖父 実兼・父 通憲→藤原実兼・通憲の系図
祖父 高階重仲→高階重仲の系図
子 光憲/光範
父は藤原通憲(→藤原実兼・通憲の系図)とも。
孫 貞雲
父は藤原光憲とも。
曾孫 聖憲
父は貞雲とも。
子 貞慶(じょうけい)【1155-1213】
笠置寺に隠棲し、海住山寺を再興した。解脱上人と称された。
子 貞円/貞敏
孫 浄信/浄真
孫 公全/公金
孫 信乗/信承
曾孫 憲家〔養父:藤原為家(→藤原為家の系図)〕
貞覚孫 憲忠〔養父:藤原成輔〕
実は藤原憲家の子。
藤原成範の系図
藤原成範(なりのり)【1135-1187】
中納言。桜を好んだ。
祖父 実兼・父 通憲→藤原実兼・通憲の系図
祖父 藤原兼永→藤原永保の系図
妻 源重成の娘
子 基範(もとのり)/成俊
子の妻 藤原隆房の娘
子の妻の父 藤原隆房→藤原隆房の系図
孫 範長/範忠
孫 尊憲
父は縁成とも。
妻 藤原為通の娘
妻の父 藤原為通→藤原伊通の系図
孫 憲深(けんじん)【1192-1263】
醍醐寺座主。報恩院流の祖。
子 範行/憲行
子 成賢(じょうげん)【1162-1231】
醍醐寺座主。
子 定範(じょうはん)【1165-1225】
東大寺別当。醍醐寺座主。
子 小督局→高倉天皇・安徳天皇の系図
孫 尊憲
父は藤原基範とも。
藤原脩範の系図
藤原脩範(ながのり)【1143-?】
参議。
祖父 実兼・父 通憲→藤原実兼・通憲の系図
祖父 藤原兼永→藤原永保の系図
妻 平範家の娘
妻の父 平範家→平実親・範家の系図
子 範能
従三位。
子の妻 平業房の娘
子の妻の父 平業房→平維盛の系図
孫 有能【1184-?】
正三位。
孫の妻 藤原秀宗の娘
孫の妻の父 藤原秀宗→藤原秀宗の系図
孫の妻 牛玉
曾孫 資能
従二位。
資能孫 康能【?-1295】
参議。六条宰相と号した。
資能孫 有範/成嗣
資能孫 親能・成嗣
父は藤原氏能、藤原成能とも。
資能孫 顕尋
実は平重兼の子。
資能孫 成能
従二位。
子の妻 山科実教の娘
子の妻の父 山科実教→山科実教の系図
孫 範海〔養父:三条公房(→三条公房の系図)〕
孫の夫 三条公房→三条公房の系図
通時孫 重親〔養父:三条実重(→三条実重~公忠の系図)〕
子 範耀/範雅
実は平行範(→平行範・棟範の系図)の子。
子の夫 平忠房→平重盛の系図
澄憲の系図
澄憲(ちょうけん)【1126-1203】
平治の乱で下野に流された。唱導の安居院流の祖。
祖父 実兼・父 通憲→藤原実兼・通憲の系図
祖父 高階重仲→高階重仲の系図
子 海恵(かいえ)【1172-1207】
子 聖覚(せいかく・しょうかく)【1167-1235】〔養父:藤原定家(→藤原定家の系図)〕
唱導にすぐれた。源空の弟子とされる。
孫 長恵〔養父:藤原長兼(→藤原長方の系図)〕
曾孫 光源【?-1265】
園城寺を焼いたとされる。
孫 円憲
父は隆承とも。
孫 隆承〔養父:堀川具実(→堀川通具~基具の系図)〕
曾孫 憲実
曾孫の子の夫 九条忠長→九条忠長の系図
憲実孫 覚守〔養父:堀川具守(→堀川具守の系図)〕
曾孫 円憲・憲性
父は聖覚とも。
孫 憲性/範実
父は隆承とも。
曾孫 憲玄〔養父:紙屋河顕氏(→九条顕家の系図)〕
憲性孫 承憲/承明〔養父:御子左為世(→御子左為世の系図)〕
孫の夫 衣笠家良→粟田口忠良の系図
子 恵敏
父は藤原光憲(→藤原貞憲の系図)とも。
子 八条院高倉(はちじょういんのたかくら)
歌人。八条院に仕えた。
藤原友実・能兼の系図
藤原友実(ともざね)/保実【1062-1097】
祖父 実範→藤原能通・実範の系図
父 季綱→藤原季綱の系図
祖父 藤原親経→藤原親経の系図
子の夫 馬場仲正→馬場仲正の系図
孫 頼政→馬場頼政~宗仲の系図
孫 小国頼行→小国頼行の系図
藤原能兼(よしかね)【1086-1139】
妻 高階為賢の娘
子 範兼→藤原範兼の系図
孫 範光→藤原範光の系図
孫 範康
実は高階明順(→高階峯緒~良臣の系図)の子。
曾孫 清範
父は藤原範光(→藤原範光の系図)とも。
曾孫の子の夫 源定平→源雅頼の系図
清範孫 基範【?-1267】
清範孫 範方
父は藤原清範とも。
曾孫 雅範
父は藤原範忠とも。
孫 阿御前・孫の夫 高倉範季→高倉範季の系図
妻 高階為時の娘
子 高倉範季→高倉範季の系図
孫 範資・範弘→高倉範資・範弘の系図
孫 範茂→高倉範茂の系図
子の夫 藤原成光→藤原成光の系図
藤原範兼の系図
藤原範兼(のりかね)【1107-1165】
従三位。歌人。歌学書『和歌童蒙抄』などを著した。
祖父 友実・父 能兼→藤原友実・能兼の系図
妻 源俊重の娘
妻の父 源俊重→源俊頼の系図
子 範光→藤原範光の系図
孫 範朝→藤原範朝の系図
子 高倉範季→高倉範季の系図
実は藤原能兼(→藤原友実・能兼の系図)の子。実父は藤原友実とも。
子 範子→能円の系図・源通親の系図
孫 久我通光→久我通光の系図
孫 土御門定通→土御門定通・顕定の系図
孫 中院通方→中院通方の系図
子 兼子→藤原光頼~葉室資頼の系図・大炊御門頼実の系図
子の夫 白河伊実→白河伊実の系図
子の夫 藤原家輔→藤原家輔の系図
藤原範光の系図
藤原範光(のりみつ)【1154-1213】〔養父:高倉範季(→高倉範季の系図)、養子:藤原範宣(→高倉範季の系図)〕
権中納言。後鳥羽院の近臣として活躍した。
祖父 能兼→藤原友実・能兼の系図
父 範兼→藤原範兼の系図
祖父 源俊重→源俊頼の系図
妻 高倉季子
高倉範季(→高倉範季の系図)の娘。
子 範朝→藤原範朝の系図
子 範基【1179-1226】
従三位。
子 清範→藤原友実・能兼の系図
父は藤原範康とも。
子 兼遍
父は源兼定(→源雅頼の系図)とも。
孫 承遍〔養父:藤原為家(→藤原為家の系図)〕
子 兼子→九条兼実の系図
子 憲子→源通家の系図
子の夫 久我通光→久我通光の系図
孫 通忠→久我通忠~通雄の系図
孫 六条通有→六条通有~有定の系図
子の夫 藤原輔平→坊門信清の系図
子 東御方→順徳天皇・仲恭天皇の系図
子 宮内卿局→土御門天皇の系図
藤原範朝の系図
藤原範朝(のりとも)【1178-1237】
権中納言。
祖父 範兼→藤原範兼の系図
父 範光→藤原範光の系図
祖父 高倉範季→高倉範季の系図
妻 日野資実の娘
妻の父 日野資実→日野資実の系図
子 範氏【1212-?】〔養子:観兼(→藤原尹通の系図)〕
従三位。
曾孫 範雄【?-1322】
従三位。
範長孫 範嗣/範忠/範綱【1283-1351】
従二位。
範長孫 範国【?-1363】
従三位。
範長孫 範輔
従三位。
範長孫 範方【?-1407】
実は清原良賢(→清原良賢の系図)の子。
範長孫 範景/範量
曾孫 顕昭〔養父:堀川基具(→堀川通具~基具の系図)〕
曾孫 範益/範基
曾孫 雲聖〔養父:二条資季(→二条資家の系図)〕
妻 菅原在高の娘
妻の父 菅原在高→菅原在高~良頼の系図
子 範方/範賢
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。