このページでは、清閑寺家(藤原氏北家・高藤流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
清閑寺家(名家)の略系図
1 資長→清閑寺資房~共綱の系図
9 煕房→清閑寺煕房~秀定の系図
13 益房→清閑寺益房~盛房の系図
清閑寺資房~共綱の系図
清閑寺資房/雅房〔養父:吉田定房(→吉田経長の系図)〕【1304-1344】
参議。清閑寺家の祖。
祖父 為経→吉田為経の系図
父 経長→吉田経長の系図
祖父 冷泉経頼→吉田為経の系図
清閑寺資定【?-1365】
参議。
清閑寺家房【1355-1423】
権中納言。
清閑寺家俊【1378-1433】
権大納言。
清閑寺幸房【1417-1461】
権中納言。
清閑寺家幸【1443-1501】
清閑寺共房【1589-1661】〔養子:房恕(→富小路俊通~貞維の系図)〕(以下、『系図纂要』による。)
内大臣。実は中御門資胤(→中御門資胤~宣基の系図)の子。中絶していた清閑寺家を再興した。
子 池尻共孝・孫 勝房→池尻共孝~共条の系図
子 梅小路定矩・孫 共方→梅小路定矩~定輯の系図
子の夫 烏丸資慶→烏丸資慶~宣定の系図
子の夫 富小路頼直→富小路俊通~貞維の系図
清閑寺共綱【1612-1675】
権大納言。
妻 中院通村の娘
妻の父 中院通村→中院通勝~通純の系図
子 煕房・孫 煕定→清閑寺煕房~秀定の系図
子 共子→後西天皇の系図
子 岡崎宗房〔養父:岡崎宣持〕→岡崎宣持~国有の系図
清閑寺煕房~秀定の系図
清閑寺煕房/保房【1633-1686】
権大納言。
祖父 共房・父 共綱→清閑寺資房~共綱の系図
祖父 中院通村→中院通勝~通純の系図
妻 高倉永敦の娘
妻の父 高倉永敦→高倉永孝~永俊の系図
子 万里小路尚房〔養父:万里小路淳房〕→万里小路雅房~尚房の系図
子 大典侍→徳川綱吉~家継の系図
子の夫 野宮定基→野宮定逸~定之の系図
子の夫 勧修寺尹隆→勧修寺尹隆・高顕の系図
子の夫 愛宕通晴→愛宕通福~通致の系図
子の夫 富小路貞維(『清閑寺家譜』による。)→富小路俊通~貞維の系図
清閑寺煕定【1662-1707】
権大納言。
子 竹姫→島津継豊の系図
子の夫 下冷泉宗家→下冷泉為俊~為柔の系図
子の夫 吉田兼章→吉田兼章の系図
子の夫 一柳直昌(『寛政重修諸家譜』による。)→一柳直昌~末栄の系図
清閑寺治房【1690-1733】
権大納言。
妻 中院通躬の娘
妻の父 中院通躬→中院通茂~通枝の系図
子 愛宕通敬〔養父:愛宕通貫〕→愛宕通福~通致の系図
子 性増〔養父:海増〕
清閑寺秀定【1709-1759】
権大納言。
妻 常勤の娘
妻の父 常勤→常勤の系図
子 益房・孫 昶定→清閑寺益房~盛房の系図
子 梅小路定福〔養父:梅小路共経〕→梅小路定矩~定輯の系図
清閑寺益房~盛房の系図
清閑寺益房【1736-1803】
権大納言。
祖父 治房・父 秀定→清閑寺煕房~秀定の系図
祖父 常勤→常勤の系図
子 梅小路定肖〔養父:梅小路共之〕→梅小路定矩~定輯の系図
子 池尻暉房〔養父:池尻定治〕→池尻栄房~胤房の系図
清閑寺昶定【1762-1817】
権大納言。
子 和房【1783-1787】
子 高房【1796-1803】
子 大宮政季〔養父:大宮良季〕→大宮季光~実典の系図
子 昶定の娘(『清閑寺家譜』による。)
子の夫 上冷泉為則(『清閑寺家譜』による。)→上冷泉為則~為紀の系図
子の夫 堤維長→中川貞長~堤功長の系図
子の夫 池尻延房→池尻栄房~胤房の系図
清閑寺共福【1793-1839】
参議。
妻 野宮定業の娘
妻の父 野宮定業→野宮定晴~定平の系図
子 寛房【1818-1822】
子の夫 大宮政季→大宮季光~実典の系図
清閑寺豊房【1822-1872】
権中納言。
妻 上冷泉為則の娘
妻の父 上冷泉為則→上冷泉為則~為紀の系図
子 義麿〔養父:河村九郎右衛門〕(『清閑寺家譜』による。)
子 留麿〔養父:池西新吉〕(『清閑寺家譜』による。)
子 亀尾(『清閑寺家譜』による。)
子 政〔養父:倉内猪左衛門〕(『清閑寺家譜』による。)
子 賢〔養父:山下八左衛門〕(『清閑寺家譜』による。)
清閑寺盛房【1845-1892】
母は『清閑寺家譜』による。
妻 梅小路定徳の娘
妻の父 梅小路定徳→梅小路定矩~定輯の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。