このページでは、藤原氏北家・公季流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
藤原氏北家・公季流の略系図
1 公季→藤原公季・実成の系図
3 公成→藤原公成の系図
4 実季→藤原実季の系図
4-A 保実→藤原保実の系図
4-B 仲実→藤原仲実の系図
5 公実→藤原公実の系図
5-A 実隆・季成→藤原実隆・季成の系図
藤原公季・実成の系図
藤原公季(きんすえ)【957-1029】〔養子:藤原公成(→藤原公成の系図)〕
太政大臣。閑院流の祖。
祖父 忠平→藤原忠平の系図
父 師輔→藤原師輔の系図
祖父 醍醐天皇→醍醐天皇・朱雀天皇の系図
妻 有明親王の娘
妻の父 有明親王→有明親王・源守清の系図
子 如源【977-1021】
子 義子→円融天皇・一条天皇の系図
子 信覚(しんかく)【1011-1084】
東大寺別当や東寺長者を務めた。
藤原実成(さねなり)【975-1044】
中納言。
妻 藤原陳政の娘
妻の父 藤原陳政→藤原安親の系図
子 公成→藤原公成の系図
孫 実季→藤原実季の系図
子の夫 藤原能信→藤原能信の系図
子の夫 源顕基→源顕基の系図
藤原公成の系図
藤原公成(きんなり)【999-1043】〔養父:藤原公季(→藤原公季・実成の系図)、養子:大江清綱(→大江朝綱の系図)〕
権中納言。
祖父 公季・父 実成→藤原公季・実成の系図
祖父 藤原陳政→藤原安親の系図
妻 藤原定佐の娘
妻の父 藤原定佐→藤原守仁・兼清の系図
子 実季→藤原実季の系図
孫 公実→藤原公実の系図
孫 保実→藤原保実の系図
孫 仲実→藤原仲実の系図
子 茂子→後三条天皇の系図
妻 小式部内侍→藤原教通の系図
藤原実季の系図
藤原実季(さねすえ)【1035-1091】〔養子:藤原顕季(→藤原顕季の系図)〕
大納言。白河天皇の外舅として活躍した。
祖父 実成→藤原公季・実成の系図
父 公成→藤原公成の系図
祖父 藤原定佐→藤原守仁・兼清の系図
妻 藤原睦子
藤原経平(→藤原経平の系図)の娘。
子 公実→藤原公実の系図
孫 実隆・季成→藤原実隆・季成の系図
孫 三条実行→三条実行の系図
孫 西園寺通季→西園寺通季の系図
孫 徳大寺実能→徳大寺実能の系図
子 保実→藤原保実の系図
子 仲実→藤原仲実の系図
子 苡子→堀河天皇の系図
孫 鳥羽天皇→鳥羽天皇~近衛天皇の系図
藤原保実の系図
藤原保実【1061-1102】
権中納言。
祖父 公成→藤原公成の系図
父 実季→藤原実季の系図
祖父 藤原経平→藤原経平の系図
妻 藤原顕綱の娘
妻の父 藤原顕綱→藤原顕綱の系図
子 実信【?-1130】
孫 公信【?-1151】
曾孫 実清
曾孫の妻 藤原家光の娘
曾孫の妻の父 藤原家光→花山院家忠の系図
曾孫の夫 藤原教長→難波忠教の系図
子 定通(さだみち)【1085-1115】〔養父:藤原通俊(→藤原経平の系図)、藤原宗通(→藤原宗通の系図)〕
右少弁に任じられて間もなく亡くなったため、七日弁と称された。
孫 定顕/定仁
曾孫 有俊/円源
藤原仲実の系図
藤原仲実【?-1121】
権大納言。
祖父 公成→藤原公成の系図
父 実季→藤原実季の系図
祖父 藤原経平→藤原経平の系図
妻 藤原顕季の娘
妻の父 藤原顕季→藤原顕季の系図
夫 源顕雅→源顕房の系図
子 実衡【1100-1142】
権中納言。
孫 実暁〔養父:公文〕
孫の夫 鳥羽天皇→鳥羽天皇~近衛天皇の系図
子 公頼〔養父:三条実行(→三条実行の系図)〕
高松大夫と号した。
妻 藤原惟綱の娘
妻の父 藤原惟綱→藤原頼成の系図
子 季重/通重/成経
子の妻 弁覚の娘
子の妻の父 弁覚→弁覚の系図
孫 有実/成経〔養父:藤原公光(→藤原実隆・季成の系図)〕
曾孫 公茂/実茂
曾孫の妻 源国行の娘
曾孫の妻の父 源国行→源光行の系図
季重孫 光実
光実の妻 藤原家範の娘
光実の妻の父 藤原家範→藤原成季~永範の系図
子 季兼/公康
子の夫 中御門宗能→中御門宗能の系図
子の夫 藤原実隆→藤原実隆・季成の系図
藤原公実の系図
藤原公実(きんざね)【1053-1107】
権大納言。鳥羽天皇の即位に際し、摂政就任を望んだとされる。
祖父 公成→藤原公成の系図
父 実季→藤原実季の系図
祖父 藤原経平→藤原経平の系図
妻 藤原永業の娘
妻の父 藤原永業→藤原永信・永業の系図
孫 成兼〔養父:三条公教(→三条公教の系図)〕
曾孫の夫 楊梅重季→楊梅重季~経季の系図
妻 藤原基貞の娘
妻の父 藤原基貞→藤原基貞の系図
子 実隆→藤原実隆・季成の系図
子 三条実行→三条実行の系図
孫 公教→三条公教の系図
妻 藤原光子(みつこ)【1060-1121】
藤原隆方(→藤原隆方の系図)の娘。堀河天皇・鳥羽天皇の乳母。
子 西園寺通季→西園寺通季の系図
孫 公通→西園寺公通の系図
子 璋子→鳥羽天皇~近衛天皇の系図
孫 後白河天皇→後白河天皇~六条天皇の系図
子 公子→大炊御門経実の系図
孫 大炊御門経宗→大炊御門経宗の系図
子 実子→藤原経忠の系図
孫 藤原忠能→藤原忠能の系図
孫 藤原信輔→藤原信輔の系図
子の夫 源有仁→源有仁の系図
妻 藤原通家の娘
妻の父 藤原通家→藤原経季の系図
子 季成→藤原実隆・季成の系図
子 仁実(にんじつ)【1091-1131】
天台座主。
藤原実隆・季成の系図
藤原実隆【1079-1127】〔養子:静実(→藤原隆佐の系図)〕
中納言。
祖父 実季→藤原実季の系図
父 公実→藤原公実の系図
祖父 藤原基貞→藤原基貞の系図
妻 大宮女房
子 隆季/季隆
妻 藤原仲実の娘
妻の父 藤原仲実→藤原仲実の系図
子 公隆【1104-1153】
参議。
子の妻 藤原信通の娘
子の妻の父 藤原信通→藤原信通・季通の系図
孫 実憲
実は源範信(→源範信の系図)の子。
子 成隆/公能
子の妻 藤原為成の娘
子の妻の父 藤原為成→藤原為宗の系図
藤原季成【1102-1165】
権大納言。
祖父 藤原通家→藤原経季の系図
妻 藤原顕頼の娘
妻の父 藤原顕頼→藤原顕頼の系図
子 公光【1130-1178】
権中納言。
子の妻 頼円の娘
子の妻の父 頼円→藤原憲親・経憲の系図
孫 有実→藤原仲実の系図
実は藤原季重の子。
妻 藤原隆通の娘
妻の父 藤原隆通→大炊御門経実の系図
子 成子→後白河天皇~六条天皇の系図
子の夫 藤原行憲→藤原朝憲の系図
子の夫 滋野井実国→滋野井実国~実宣の系図
子の夫 基家(『西園寺家譜』による。)
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。