このページでは、中山家(藤原氏北家・師実流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
中山家(羽林家)の略系図
1 忠親→中山忠親・兼宗の系図
3 忠定→中山忠定~親通の系図
11 宣親→中山宣親~孝親の系図
14 親綱→中山親綱~英親の系図
18 篤親→中山篤親~栄親の系図
21 愛親→中山愛親~忠愛の系図
中山忠親・兼宗の系図
中山忠親(ただちか)【1131-1195】〔養子:藤原親家(→藤原家隆の系図)、隆遍(→藤原光房の系図)〕
内大臣。中山家の祖。朝議や故実にあかるく重用された。日記は『山槐記』。『水鏡』の著者ともされる。
祖父 家忠→花山院家忠の系図
父 忠宗→花山院忠宗の系図
祖父 藤原家保→藤原家保の系図
妻 藤原光房の娘
妻の父 藤原光房→藤原光房の系図
子 忠季(ただすえ)【?-1196】
子の妻 能円の娘
子の妻の父 能円→能円の系図
子の妻の夫 近衛基通→近衛基通の系図
子の妻 九条光長の娘
子の妻の父 九条光長→九条光長・長房の系図
子の妻の夫 二条資家→二条資家の系図
孫 円兼
父は藤原忠季とも。
妻 平時忠の娘
妻の父 平時忠→平時信の系図
子 忠明【1183-?】
従三位。
子 兼季(かねすえ)【1179-?】
従三位。
孫 覚済(かくぜい)【1227-1303】
醍醐寺座主や東寺長者を務めた。
孫 忠海
父は藤原忠明とも。
孫の夫 月輪基家→九条良経の系図
子の夫 三条公房→三条公房の系図
孫 実親→三条実親・公親の系図
中山兼宗【1163-1242】〔養子:承教(→松殿忠房の系図)〕
大納言。
妻 六条重家の娘
妻の父 六条重家→六条重家の系図
子 忠定・孫 基雅→中山忠定~親通の系図
中山忠定~親通の系図
中山忠定【1188-1256】
参議。
祖父 忠親・父 兼宗→中山忠親・兼宗の系図
祖父 六条重家→六条重家の系図
妻 八条実俊の娘
妻の父 八条実俊→八条公清~一条公邦の系図
妻 藤原隆信の娘
妻の父 藤原隆信→藤原為経・隆信の系図
子 道平/兼平
中山基雅
正三位。
妻 藤原実世の娘
妻の父 藤原実世→姉小路公宣~実広の系図
子の夫 庭田経資→庭田経資~重賢の系図
中山家親
参議。
子 家親の娘(『中山家譜』による。)
中山定宗【1317-1371】
権中納言。母は『中山家譜』による。
子 宗子(『中山家譜』による。)
中山親雅(ちかまさ)【1353-1402】
権大納言。
子 尊雅(『中山家譜』による。)
中山満親(みつちか)/親兼【1371-1421】
権大納言。母は『中山家譜』による。
子 有親【?-1424】
子 親輔(『系図纂要』による。)
父は中山定親(『中山家譜』)とも。
子 尊助/政助【1406-1434】(『系図纂要』による。)
子 定我〔養父:花山院忠定(→花山院兼定~家輔の系図)〕(『中山家譜』による。)
子 政子・僚子・満親の娘(『中山家譜』による。)
中山定親(さだちか)【1401-1459】
権大納言。故実家として朝儀の復興に尽くした。日記は『薩戒記』。
子 賢深(『系図纂要』による。)
中山親通/教親【1426-1462】
権大納言。
子 宣親・孫 康親→中山宣親~孝親の系図
子 恵光(『系図纂要』による。)
子の夫 下冷泉政為→下冷泉持為~為豊の系図
中山宣親~孝親の系図
中山宣親(のぶちか)【1458-1517】
権中納言。
祖父 定親・父 親通→中山忠定~親通の系図
妻 兼寿の娘
妻の父 兼寿→兼寿の系図
子 庭田重親〔養父:庭田重経〕→庭田雅行~重保の系図
子 源雅【?-1530】
子 光尊〔養父:広橋守光〕→広橋兼郷~守光の系図
子 興子→勧修寺政顕~尹豊の系図
子の夫 兼琇→兼琇の系図
中山康親(やすちか)【1485-1538】
権大納言。たびたび加賀国に下向した。日記は『康親卿記』。
妻 正親町公兼の娘
妻の父 正親町公兼→正親町公仲~公叙の系図
子 慈承〔養父:日野内光〕→日野勝光~晴光の系図
中山孝親(たかちか)【1513-1578】
准大臣。
妻 五辻諸仲の娘
妻の父 五辻諸仲→五辻諸仲~済仲の系図
子 親綱・孫 慶親→中山親綱~英親の系図
孫 中山冷泉為親→中山冷泉為親~今城定国の系図
子 大炊御門経頼〔養父:大炊御門経名〕→大炊御門宗実~頼国の系図
子 源俊〔養父:柳原資定〕→柳原資定~資尭の系図
子 甘露寺煕長〔養父:甘露寺伊長〕→甘露寺房長~伊長の系図
子 禅海【1566-1597】
中山親綱~英親の系図
中山親綱(ちかつな)【1544-1598】
権大納言。日記は『親綱卿記』。
祖父 康親・父 孝親→中山宣親~孝親の系図
祖父 五辻諸仲→五辻諸仲~済仲の系図
妻 雅業王の娘
妻の父 雅業王→資忠王~雅業王の系図
子 中山冷泉為親・孫 今城為尚→中山冷泉為親~今城定国の系図
子 親子→後陽成天皇の系図
子の夫 今出川季持→今出川晴季~公規の系図
中山慶親【1567-1618】
権大納言。
妻 有馬則頼の娘
妻の父 有馬則頼→有馬義祐~豊氏の系図
子 寛済【1596-1663】
『中山家譜』では、一本に同腹の兄弟が14人いたという。
中山元親【1593-1639】
権大納言。母は『中山家譜』による。
子 元親の娘(2人)(『中山家譜』による。)
中山英親【1627-1674】
権大納言。母は『中山家譜』による。
子 親量【1661-1667】(『系図纂要』による。)
子 篤親・孫 兼親→中山篤親~栄親の系図
子 英親の息子・子 英親の娘(3人)(『中山家譜』による。)
中山篤親~栄親の系図
中山篤親【1656-1716】(以下、『系図纂要』による。)
権大納言。実は正親町実豊(→正親町実彦~実豊の系図)の子。
祖父 元親・父 英親→中山親綱~英親の系図
子 庭田重孝〔養父:庭田重条〕→庭田雅純~重孝の系図
子 尊誠〔養父:花山院定誠(→花山院定誠~家理の系図)〕
子 定綱・孝廉・篤親の息子・子 篤親の娘(『中山家譜』による。)
子の夫 柳原資尭→柳原資定~資尭の系図
孫 光綱→柳原光綱~光定の系図
中山兼親【1684-1734】
准大臣。
妻 庭田重条の娘
妻の父 庭田重条→庭田雅純~重孝の系図
子 秀憲・子 兼親の娘(『中山家譜』による。)
子 正親町実連〔養父:正親町公梁〕→正親町公通~実連の系図
中山栄親【1709-1771】
権大納言。
妻 勧修寺高顕の娘
妻の父 勧修寺高顕→勧修寺尹隆・高顕の系図
子 愛親・孫 忠尹→中山愛親~忠愛の系図
子 秀実・栄親の息子・子 栄親の娘(『中山家譜』による。)
子 花山院愛徳〔養父:花山院長煕〕→花山院定誠~家理の系図
子 理子【?-1810】(『中山家譜』による。)
子 栄親の息子(4人)・子 栄親の娘(3人)(『中山家譜』による。)
息子の1人は、四条家の養子になった。
中山愛親~忠愛の系図
中山愛親(なるちか)【1741-1814】
権大納言。尊号一件に際しては議奏として折衝にあたったが、蟄居を命じられた。
祖父 兼親・父 栄親→中山篤親~栄親の系図
祖父 勧修寺高顕→勧修寺尹隆・高顕の系図
妻 今城定種の娘
妻の父 今城定種→中山冷泉為親~今城定国の系図
子 寛尹【1769-?】
母は『中山家譜』による。
子 韶有〔養父:孝宥〕(『中山家譜』による。)
子 愛親の息子(3人)・子 愛親の娘(3人)(『中山家譜』による。)
息子の1人は、河鰭家の養子になった。
子の夫 浄照坊(『中山家譜』による。)
子 庭田重基〔養父:庭田重能〕→庭田重煕~重胤の系図
子 伊奈丸〔養父:勧修寺経逸〕→勧修寺顕道~経逸の系図
子 績子→光格天皇~孝明天皇の系図
子 愛親の息子(2人)・子 春寿・照範・愛親の娘(4人)(『中山家譜』による。)
子の夫 今城定成→中山冷泉為親~今城定国の系図
子の夫 藤波寛忠→藤波寛忠の系図
子の夫 野宮定静→野宮定晴~定平の系図
子の夫 東坊(『中山家譜』による。)
中山忠尹【1756-1809】
権大納言。
妻 三条猶君
三条実顕(→三条実顕~実美の系図)の娘。
子 忠尹の息子・子 忠尹の娘(3人)(『中山家譜』による。)
息子は園家の養子になった。
子の夫 大炊御門経久→大炊御門経秀~師前の系図
妻 花山院常雅の娘
妻の父 花山院常雅→花山院定誠~家理の系図
子 忠尹の息子・子 忠尹の娘(6人)(『中山家譜』による。)
中山忠頼【1778-1825】
権大納言。
妻 正親町三条綱子
正親町三条実同(→正親町三条公積~公平の系図)の娘。
子 忠徳【1807-1809】
子 園基万〔養父:園基茂〕→園基衡~基祥の系図
子 忠頼の息子(2人)・子 忠頼の娘(『中山家譜』による。)
子の夫 勘解由小路光宙→勘解由小路資忠~光尚の系図
子 能成【1816-?】
子 忠頼の息子(『中山家譜』による。)
中山忠能(ただやす)【1809-1888】
准大臣。明治天皇の外祖父。維新後、議定に任じられた。
妻 園愛子〔養父:園基茂(→園基衡~基祥の系図)〕
実は松浦清(→松浦清~詮の系図)の娘。
子 正親町公董〔養父:正親町実徳〕→正親町公明~公董の系図
子 忠光(ただみつ)【1845-1864】〔養父:中山忠愛〕(『中山家譜』による。)
天誅組の乱に加わり、後に長州で暗殺された。
子 慶子→光格天皇~孝明天皇の系図
子 忠能の息子(3人)・子 忠能の娘(3人)(『中山家譜』による。)
子 野宮定平〔養父:野宮定功〕→野宮定晴~定平の系図
子 板倉勝任〔養父:板倉勝殷〕(『中山家譜』による。)
子 忠能の息子(『中山家譜』による。)
実は清水谷公正(→清水谷陳季~実睦の系図)の子。
子 栄子〔養父:庭田重胤(→庭田重煕~重胤の系図)〕(『中山家譜』による。)
子 忠能の息子(2人)・子 忠能の娘(『中山家譜』による。)
子の夫 本多正憲→本多正珍~正憲の系図
中山忠愛(ただなる)【1832-1882】
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。