このページでは、堀氏(清和源氏・義国流)・直之流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
堀氏・直之流(越後国椎谷藩主)の略系図
1 直之→堀直之・直景の系図
1-A1 直政→堀直政~直高の系図
1-A2 直好→堀直好~直雄の系図
1-B 直氏→堀直氏~直道の系図
2-A 直行→堀直行~直久の系図
堀直之・直景の系図
堀直之(なおゆき)【1585-1642】
祖父 直純→奥田氏種~直純の系図
父 直政→堀直政の系図
子 直政・孫 直延→堀直政~直高の系図
子 九郎次郎【1609-1633】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 柴田直好【1626-1698】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 直氏・孫 直能→堀直氏~直道の系図
子の夫 三浦正次→三浦正次・安次の系図
子の夫 堀直升→堀直重~直佑の系図
子の夫 奥田忠虎→奥田忠虎の系図
堀直景(なおかげ)【1604-1675】
上総国苅谷藩主。
妻 戸川逵安の娘
妻の父 戸川逵安→戸川逵安の系図
夫 岡家重→岡家重の系図
子 直景の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 内藤忠興の娘
実は西尾光教(→西尾光教の系図)の娘。
妻の父 内藤忠興→内藤忠興~義稠の系図
子 直良・孫 直宥→堀直良~直喜の系図
子 直行・孫 直元→堀直行~直久の系図
子 直定〔養父:堀直延〕→堀直政~直高の系図
堀直行~直久の系図
堀直行(なおゆき)/直方(なおかた)【1645-1688】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 直之・父 直景→堀直之・直景の系図
祖父 内藤忠興→内藤忠興~義稠の系図
妻 本多政朝の娘
妻の父 本多政朝→本多政朝~政房の系図
子 遠山政徳〔養父:遠山頼直〕→遠山政亮~内藤政業の系図
子の夫 山高信礼→山高信礼の系図
子の夫 溝口勝興→溝口勝興の系図
堀直元(なおもと)【1682-1702】
堀直意(なおもと)【1694-1735】
実は堀直宥(→堀直良~直喜の系図)の子。
妻 近藤用張の娘
妻の父 近藤用張→近藤用弘~用予の系図
堀直富(なおとみ)【1715-1753】
妻 森正親の娘
妻の父 森正親→森正親の系図
子の夫 吉田盛従→吉田盛従の系図
子の夫 荒川繁義→荒川繁義の系図
堀直芳(なおよし)【1738-1796】
妻 天野昌興の娘
妻の父 天野昌興→天野昌興の系図
子の夫 山岡景風→山岡景風の系図
堀直久(なおひさ)【1759-?】
実は山高信昉(→山高信昉の系図)の子。
堀直政~直高の系図
堀直政(なおまさ)/直広(なおひろ)【1609-1658】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
妻 朽木元綱の娘
妻の父 朽木元綱→朽木義綱~元綱の系図
子の夫 野一色義忠→野一色義忠の系図
堀直延(なおのぶ)【1634-1660】
堀直定(なおさだ)【1646-1682】
実は堀直景(→堀直之・直景の系図)の子。
妻 秋山正俊の娘
妻の父 秋山正俊→秋山正俊の系図
子 津田正典〔養父:津田正親〕→津田正典の系図
子の夫 野一色義茷→野一色義茷の系図
堀直高(なおたか)/直廉(なおかど)【1668-1737】
妻 秋山正勝の娘
妻の父 秋山正勝→秋山正勝の系図
子 直好・孫 直昌→堀直好~直雄の系図
子 野一色義休〔養父:野一色義茷〕→野一色義休の系図
子の夫 細井勝為→細井勝為の系図
子の夫 堀直与→堀直昭~直喬の系図
子の夫 前田孝武→前田豊昌~孝思の系図
堀直好~直雄の系図
堀直好(なおよし)【1698-1734】
祖父 直定・父 直高→堀直政~直高の系図
祖父 秋山正勝→秋山正勝の系図
妻 横山忠知の娘
妻の父 横山忠知→横山忠知の系図
子 野一色義簾〔養父:野一色義休〕→野一色義簾の系図
堀直昌(なおまさ)【1719-?】
妻 近藤政共の娘
妻の父 近藤政共→近藤政共の系図
夫 宮崎幹忠→宮崎幹忠の系図
子 直雄〔養父:堀直行〕
子の夫 武田信敏→武田信良~信敏・信成~信邦の系図
子の夫 富永参前→富永参前の系図
子の夫 戸田政信→戸田忠勝~忠明の系図
堀直行(なおゆき)【1753-?】
実は堀直尭(→堀直尭・直教の系図)の子。
堀直雄(なおかつ)【1773-?】
実は堀直昌の子。
妻 本堂親房の娘
妻の父 本堂親房→本堂親房の系図
堀直氏~直道の系図
堀直氏(なおうじ)/直治(なおはる)【1626-1698】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
妻 岡野英明の娘
妻の父 岡野英明→岡野英明の系図
子の夫 森正慶→森正慶の系図
子の夫 高城清胤→高城清胤の系図
子の夫 佐橋成意→佐橋成意の系図
堀直能(なおよし)【1671-1750】
子 岡野辰明〔養父:岡野重仍〕→岡野辰明の系図
堀直達(なおなり)【1693-1771】
妻 岡野成勝の娘
妻の父 岡野成勝→岡野成勝の系図
夫 堀正辰→堀正辰の系図
子の夫 高城胤従→高城胤従の系図
子の夫 落合道孝→落合道孝の系図
堀直正(なおまさ)
妻 青木信祐の娘
妻の父 青木信祐→青木信祐の系図
堀直従(なおより)【1741-?】
妻 松平常唯の娘
妻の父 松平常唯→松平重良~勘満の系図
堀直道(なおみち)【1777-?】
妻 山岡景寧の娘
妻の父 山岡景寧→山岡景寧の系図
堀直良~直喜の系図
堀直良(なおよし)【1643-1691】
苅谷藩主・上総国八幡藩主。
祖父 直之・父 直景→堀直之・直景の系図
祖父 内藤忠興→内藤忠興~義稠の系図
妻 植村家貞の娘
妻の父 植村家貞→植村家貞~家包の系図
子 本多直上〔養父:本多重時〕→本多重世~助佳の系図
子 直良の娘(2人)
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 増順〔養父:増甫〕
堀直宥(なおさだ)/直虎(なおとら)/直勝(なおかつ)【1665-1711】
八幡藩主・越後国椎谷藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 岡部行隆の娘
実は桑山一玄(→桑山一玄の系図)の娘。
妻の父 岡部行隆→岡部宣勝・行隆・高成~広高の系図
子 直意〔養父:堀直元〕→堀直行~直久の系図
子 春
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 直恒〔養父:堀直央〕
子 大沢直衡〔養父:大沢基躬〕→大沢直衡の系図
堀直央(なおなか)/直時(なおとき)【1688-1742】
椎谷藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
子 直旧〔養父:堀直恒〕
子 旧氏〔養父:松井氏知〕
子 本多直嗣〔養父:本多栄文〕→本多重世~助佳の系図
子 千代→武田信貞~信親・川窪信慈~信睦の系図
堀直恒(なおつね)【1700-1730】
椎谷藩主。
妻 松平忠雄の娘
実は稲垣重武(→稲垣重武の系図)の娘。
妻の父 松平忠雄→松平忠利~忠俔の系図
子 直喜〔養父:堀直旧〕
子 茂登→土岐頼殷~頼煕の系図
堀直旧(なおひさ)/直喬(なおたか)【1719-1748】
椎谷藩主。実は堀直央の子。
堀直喜(なおよし)【1730-1751】
椎谷藩主。実は堀直恒の子。
子 直著・孫 直宣→堀直著~之美の系図
堀直著~之美の系図
堀直著(なおあき)【1731-1768】
椎谷藩主。実は堀直英(→堀直英~直郷の系図)の子。
祖父 直旧・父 直喜→堀直良~直喜の系図
妻 板倉昌信の娘
妻の父 板倉昌信→板倉重宣~昌信の系図
子 著朝〔養父:堀直宣〕
子 峯→本堂親常の系図・近藤徳用~寿用の系図
堀直宣(なおのぶ)/直宜(なおのり)【1762-1781】
椎谷藩主。
堀著朝(あきとも)【1764-1815】
椎谷藩主。実は堀直著の子。天明義民一揆により、隠居を命じられた。
堀直起(なおのり)/乗厚【1766-1807】
椎谷藩主。実は松平乗佑(→松平乗佑の系図)の子。
妻 堀茂世子(もせこ)【1779-1829】
堀親長(→堀親長の系図)の娘。
夫 秋月種備→秋月種封~種賀の系図
堀直温(なおはる)【1781-1812】
椎谷藩主。実は池田治政(→池田継政~治政の系図)の子。
堀直哉(なおちか)【1798-1830】
椎谷藩主。実は水野忠光(→水野忠光の系図)の子。
妻 岡部長備の娘
妻の父 岡部長備→岡部長著~長備の系図
子 敏偶〔養父:跡部良弼〕→跡部良弼の系図
堀之敏(ゆきとし)【1820-1862】(以下、『華族系譜』による。)
椎谷藩主。
妻 三浦誠次の娘
妻の父 三浦誠次→三浦誠次~顕次の系図
子 〓吉
〓は「金」+「鹿」。
堀之美(ゆきよし)【1846-1882】
椎谷藩主。維新後奥田姓に復した。
妻 安藤鈺
安藤信正(→安藤信義~信勇の系図)の娘。
夫 京極高典→京極高通~高典の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。