このページでは、清水谷家(藤原氏北家・公季流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
清水谷家(羽林家)の略系図
1 実有→一条実有~実連の系図
4 公有→一条公有~清水谷公栄の系図
13 実業→清水谷実業~公美の系図
17 陳季→清水谷陳季~実睦の系図
一条実有~実連の系図
一条実有【1203-1260】
権大納言。母は範雅の娘、源仲経(→源顕仲の系図)の娘とも。清水谷家の祖。一条と号した。
祖父 実宗→西園寺実宗の系図
父 公経→西園寺公経の系図
祖父 源雅頼→源雅頼の系図
妻 北条義時の娘
妻の父 北条義時→北条義時の系図
子 公持【1227-1268】
権大納言。
子の妻 藤原基平の娘
子の妻の父 藤原基平→鷹司頼平の系図
子の妻 室町実藤の娘
子の妻の父 室町実藤→室町実藤~実為の系図
孫 実芿〔養父:徳大寺実基(→徳大寺実基~実孝の系図)〕
孫の夫 九条忠教→九条教実~師教の系図
子 了遍(りょうへん)【1223-1311】
東寺長者。
子の夫 鷹司兼平→鷹司兼平~冬教の系図
子の夫 滋野井公光→滋野井公光~教国の系図
子の夫 近衛基平→近衛基平の系図
子の夫 室町実藤→室町実藤~実為の系図
一条公藤【1235-1281】
権大納言。
妻 藤原宗継の娘
妻の父 藤原宗継→藤原宗継の系図
妻 藤原親季の娘
妻の父 藤原親季→藤原親能・定季の系図
子 有性(『系図纂要』による。)
一条実連【?-1314】
正二位。
妻 室町公重の娘
妻の父 室町公重→室町実藤~実為の系図
子 公有・孫 実材→一条公有~清水谷公栄の系図
一条公有~清水谷公栄の系図
一条公有【1296-1352】
権中納言。
祖父 公藤・父 実連→一条実有~実連の系図
祖父 室町公重→室町実藤~実為の系図
妻 藤原能冬の娘
妻の父 藤原能冬→一条高能の系図
一条実材【1309-?】
権大納言。
妻 中御門経宣の娘
妻の父 中御門経宣→中御門経継~宣豊の系図
一条公勝【?-1389】
権中納言。
一条実秋【?-1420】〔養父:藤原公広(→清水谷公定の系図)〕
権大納言。
一条実久【1432-1498】
権大納言。
子 橋本公夏〔養父:橋本公国・橋本実郷〕→橋本公夏~実村の系図
子 行季〔養父:藤原行康〕→藤原伊経の系図
一条公松
実は橋本公夏(→橋本公夏~実村の系図)の子。
子 橋本実勝→橋本公夏~実村の系図
清水谷実任/忠定【1587-1664】〔養父:阿野季時(→阿野季継~実顕の系図)〕(以下、『系図纂要』による。)
権大納言。実は阿野実時(→阿野季継~実顕の系図)の子。
妻 脇坂安治の娘【?-1668】
妻の父 脇坂安治→脇坂安治の系図
清水谷公栄【1620-1691】
実は三条西公勝(→三条西公勝~公福の系図)の子。母は実教の娘(『系図纂要』)、脇坂安元(→脇坂安元の系図)の娘(『清水谷家譜』)とも。
子 実業・孫 雅季→清水谷実業~公美の系図
清水谷実業~公美の系図
清水谷実業(さねなり)【1648-1709】
権大納言。実は三条西実条の孫。宮廷歌壇で活躍したほか、熊沢蕃山に師事した。
祖父 実任・父 公栄→一条公有~清水谷公栄の系図
子 小倉有季〔養父:小倉煕季〕→小倉煕季~長季の系図
子 重雅(『清水谷家譜』による。)
子 石子→中御門天皇~後桃園天皇の系図
清水谷雅季【1684-1747】
権大納言。
妻 阿野公緒の娘
妻の父 阿野公緒→阿野公業~実惟の系図
子 押小路従季〔養父:押小路実岑〕→押小路公音~実潔の系図
子 藪保季〔養父:藪嗣義〕→藪保季~実方の系図
子 公潤・子 恵岳(『清水谷家譜』による。)
清水谷実栄/家季【1722-1777】〔養子:清水谷公寿〕
権大納言。
妻 吉田良延の娘
妻の父 吉田良延→吉田良延の系図
子 陳季〔養父:清水谷公美〕
子 啓実・慈観(『清水谷家譜』による。)
子の夫 東久世通武→東久世通廉~通禧の系図
清水谷公美【1743-1764】
妻 藤堂高朗の娘
妻の父 藤堂高朗→藤堂高治・高朗の系図
子 陳季・孫 公寿→清水谷陳季~実睦の系図
清水谷陳季~実睦の系図
清水谷陳季【1750-1771】
実は清水谷実栄(→清水谷実業~公美の系図)の子。
祖父 実栄・父 公美→清水谷実業~公美の系図
子の夫 押小路実茂→押小路公音~実潔の系図
清水谷公寿/兼邦【1759-1801】〔養父:清水谷実栄〕
権中納言。実は吉田良延(→吉田良延の系図)の子。
子 澄覚(『清水谷家譜』による。)
清水谷実揖【1782-1851】〔養子:二条咸麿(→二条治孝~斉敬の系図)〕
権大納言。実は徳大寺実祖(→徳大寺実祖~実則の系図)の子。
子・子の夫 裏辻季忠〔養父:裏辻実孚〕→裏辻季福~実脩の系図
子 宝澄・実揖の息子(『清水谷家譜』による。)
子 実揖の娘【1813-?】(『清水谷家譜』による。)
清水谷公正【1809-1883】
権中納言。
子 公考(きんなる)【1845-1882】
箱館府知事などを務めた。
子の妻 松前崇広の娘
子の妻の父 松前崇広→松前章広~修広の系図
子 観静【1836-?】(『清水谷家譜』による。)
子 実穆【1842-?】(『清水谷家譜』による。)
子 実循(『清水谷家譜』による。)
子 鼎丸【1872-?】(『清水谷家譜』による。)
子 公正の息子〔養父:中山忠能〕(『中山家譜』による。)→中山愛親~忠愛の系図
子 公正の娘【1831-?】(『清水谷家譜』による。)
子 公正の娘【1832-?】(『清水谷家譜』による。)
荒尾清に嫁いだ。
子 豊子【1849-?】(『清水谷家譜』による。)
子 公正の娘【1852-?】(『清水谷家譜』による。)
宍戸璣に嫁いだ。
清水谷実睦【1834-1854】
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。