本多氏(藤原氏北家・兼通流)・定吉流の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、本多氏(藤原氏北家・兼通流)・定吉流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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本多氏・定吉流(駿河国田中藩主)の略系図

本多氏・定吉流の略系図

1 定吉本多定吉~正貫の系図
5-A1 正信本多正信~正勝・政重・忠純~犬千代の系図
5-A2 政朝本多政朝~政房の系図
5-A3 正之本多正之~正収の系図
7-A 正綱本多正綱~正恭の系図

8 正直本多正直~正矩の系図
12 正珍本多正珍~正憲の系図

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本多定吉~正貫の系図

本多定吉~正貫の系図

  本多定吉(さだよし)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 助政 定正藤原顕忠~本多忠高の系図


  本多正明(まさあき)/助持(すけもち)


  本多忠正(ただまさ)(以下、『系図纂要』による。)
 父は本多正助(→本多正時~忠次の系図)(『系図纂要』)とも。
 忠正の娘(『本多家譜(安房長尾)』による。)


  本多正定(まささだ)


  本多俊正(としまさ)
 重貞〔養父:青野八左衛門〕
 正信 正純忠純 政重本多正信~正勝・政重・忠純~犬千代の系図
 十助(『寛政重修諸家譜』による。)


  本多正重(まさしげ)【1545-1617】
 下総国相馬藩主。徳川家康に仕え、姉川の戦いや長篠の戦いに参加した。後に家康の下を去ったが、再び仕えて大坂の陣で功をあげた。
 正氏(まさうじ)【1570-1595】
 正包(まさかね)【1592-1608】
子の夫 成瀬正成→成瀬正成の系図
子の夫 小出吉親→小出吉親の系図
子の夫 竹村万嘉→竹村万嘉の系図


  本多正貫(まさつら)【1593-1672】
 実は長坂重吉の子。
 正直 正永本多正直~正矩の系図
 正綱 正種本多正綱~正恭の系図
子の夫 戸田重種戸田重元~重種・光正~長重の系図
 重恒戸田重恒~光弘の系図

本多正綱~正恭の系図

本多正綱~正恭の系図

  本多正綱(まさつな)/正恒(まさつね)【1624-1682】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 正重 正貫本多定吉~正貫の系図

 舟橋秀雅の娘
妻の父 舟橋秀雅→舟橋秀雅の系図
 佐久間正満〔養父:佐久間英顕〕→佐久間正満の系図


  本多正種(まさたね)【1654-1717】
 松平乗次の娘
 実は畠山義里(→畠山義里の系図)の娘。
妻の父 松平乗次松平真次~盈乗の系図
 松平乗真〔養父:松平乗成〕→松平真次~盈乗の系図
 正尹〔養父:本多正孟〕

子の夫 本多忠晴本多忠清~行孝の系図
子の夫 三宅重房→三宅重房の系図
子の夫 平野長英→平野長英の系図


  本多正孟(まさたけ)【1683-1761】
 堀利安の娘
妻の父 堀利安→堀利安の系図


  本多正尹(まさただ)【1709-1782】
 実は本多正種の子。
 大久保忠義の娘
妻の父 大久保忠義→大久保忠義の系図

子の夫 矢部正勝→矢部正勝の系図


  本多正喬(まさたか)【1746-?】
 実は北条氏貞(→北条氏貞~氏恭の系図)の子。
子の夫 服部保春→服部保春の系図


  本多正恭(まさよし)【1766-?】
 村上正武の娘
 実は木村元英(→木村元英の系図)の娘。
妻の父 村上正武→村上正武の系図

本多正信~正勝・政重・忠純~犬千代の系図

本多正信~正勝・政重・忠純~犬千代の系図

  本多正信(まさのぶ)/正保(まさやす)/正行(まさゆき)【1538-1616】
 相模国玉縄藩主。徳川家康の側近として活躍した。

祖父 正定 俊正本多定吉~正貫の系図

 正信の娘(2人)(『本多家譜(安房長尾)』による。)


  本多正純(まさずみ)【1565-1637】
 下野国宇都宮藩主。徳川家康の側近として活躍したが、秀忠の時に改易された。
 酒井重忠の娘
妻の父 酒井重忠酒井広親~重忠の系図


  本多正勝(まさかつ)【1596-1630】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 戸田氏鉄の娘
妻の父 戸田氏鉄戸田氏輝~氏鉄の系図

 正之 正芳本多正之~正収の系図
子の夫 戸田氏豊→戸田氏豊の系図
子の夫 野間成大→野間成大の系図


  本多政重(まさしげ)【1580-1647】
 前田利長に仕えた。
 西洞院時直の娘
妻の父 西洞院時直西洞院時直~時光の系図

 政遂〔養父:本多忠純〕
 政朝 政方本多政朝~政房の系図
 政長
子の妻 前田春【?-1650】
 前田利常(→前田利常~綱紀の系図)の娘。


  本多忠純(ただずみ)【1586-1631】
 下野国皆川藩主。大坂夏の陣で活躍して加増されたが、後に家臣に殺された。
 片桐且元の娘
 実は片桐貞隆(→片桐貞隆の系図)の娘。
妻の父 片桐且元→片桐且元の系図

 忠次(ただつぐ)【1610-1626】
子の夫 長谷川広清→長谷川広清の系図
子の夫 古田重弘→古田重弘の系図


  本多政遂(まさもろ)【1613-1638】
 皆川藩主。実は本多政重の子。


  本多犬千代(いぬちよ)【1636-1640】
 皆川藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。跡継ぎがないまま亡くなり、領地を没収された。

本多正之~正収の系図

本多正之~正収の系図

  本多正之(まさゆき)【1630-1688】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 正純 正勝本多正信~正勝・政重・忠純~犬千代の系図

 舟橋相賢の娘
妻の父 舟橋相賢→舟橋相賢の系図

子の夫 高城清胤→高城清胤の系図


  本多正芳(まさよし)【1651-1724】
 実は石川政信(→石川政次・政信の系図)の子。
 政尹(まさたけ)
 実は本多政敏の子。


  本多正庸(まさつね)【1693-1765】
 実は水谷勝阜(→水谷勝阜の系図)の子。
 正貞(まささだ)【1721-1744】
子の妻 本多政淳の娘
子の妻の父 本多政淳→本多政淳の系図

子の夫 仁賀保誠陳→仁賀保誠陳の系図
子の夫 山口直郷→山口直郷の系図


  本多正安(まさやす)【1731-1753】


  本多正命(まさのり)【1734-1787】
 実は堀田正陳(→堀田正陳の系図)の子。
 米倉昌倫の娘
妻の父 米倉昌倫米倉昌仲~昌喜の系図
 保科正盈→保科正盈の系図

 水野政恒〔養父:水野忠直〕→水野守満~政恒の系図
 正利〔養父:本多正理〕→本多正利の系図
 助詮〔養父:本多助阜〕→本多助久~助詮の系図
子の夫 赤松範善→赤松範善の系図


  本多正峯(まさみね)【1762-1797】
 織田信直の娘
妻の父 織田信直→織田信直の系図


  本多正収(まさとき)【1786-?】

本多政朝~政房の系図

本多政朝~政房の系図

  本多政朝(まさとも)/政相(まさすけ)【1620-1661】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 正信 政重本多正信~正勝・政重・忠純~犬千代の系図

 三浦正次の娘
妻の父 三浦正次三浦正次・安次の系図
 政法〔養父:本多政方〕

子の夫 小出吉直→小出吉直の系図
子の夫 小出英陳→小出英陳の系図
子の夫 細井智勝→細井智勝の系図
子の夫 堀直行堀直行~直久の系図
子の夫 中川成慶→中川成慶の系図


  本多政方(まさかた)【1642-1673】


  本多政法(まさのり)【1650-1717】
 実は本多政朝の子。
 松平定寛の娘
妻の父 松平定寛松平定寛~定堅の系図

子の夫 山高信礼→山高信礼の系図


  本多政淳(まさあつ)【1685-1735】
 実は本多政敏の子。
 生駒親興の娘
妻の父 生駒親興→生駒親興の系図
 堀田正方→堀田正方の系図

 曽根次移〔養父:曽根孝次〕→曽根次移の系図
子の夫 本多正貞→本多正貞の系図


  本多政参(まさみつ)【1717-1771】


  本多政寛(まさたか)【1736-1780】
 建部政民の娘
妻の父 建部政民建部政周~政世の系図


  本多政房(まさふさ)/政由(まさよし)【1763-?】
 実は本多政行の子。
 大岡忠喜の娘
妻の父 大岡忠喜大岡忠光~忠要の系図

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本多正直~正矩の系図

本多正直~正矩の系図

  本多正直(まさなお)【1618-1677】(以下、女性の名は『本多家譜(安房長尾)』による。)

祖父 正重 正貫本多定吉~正貫の系図

 稲垣重綱の娘
妻の父 稲垣重綱→稲垣重綱の系図
 正方(まさかた)【1647-1692】
子の妻 菅沼定賞の娘
子の妻の父 菅沼定賞→菅沼定賞の系図
 正矩〔養父:本多正武〕

 市正(『本多家譜(安房長尾)』による。)
子の夫 松平乗次松平真次~盈乗の系図
子の夫 榊原久政→榊原久政の系図


  本多正永(まさなが)【1645-1711】
 老中・下総国舟戸藩主・上野国沼田藩主。
 堀田一輝の娘
妻の父 堀田一輝→堀田一輝の系図

 源十郎(『寛政重修諸家譜』による。)
 ツフ→高木正陳の系図
 イヨ
 本多正武に嫁ぐ予定であった。
 イク→大久保常春の系図
 ミヲ(『本多家譜(安房長尾)』による。)


  本多正武(まさたけ)/久寧(ひさやす)【1665-1721】
 沼田藩主。実は榊原久政(→榊原久政の系図)の子。
 テル(『寛政重修諸家譜』による。)
 ヨリステ(『本多家譜(安房長尾)』による。)
 ヱツ大村純長~純富の系図


  本多正矩(まさのり)【1681-1735】
 沼田藩主・駿河国田中藩主。実は本多正方の子。
 松野助義の娘
妻の父 松野助義→松野助義の系図
 正珍 正供本多正珍~正憲の系図
 内蔵之助吉三郎留七郎 ウメマチヤチ
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 ヱン(『寛政重修諸家譜』による。)

 黒田直純〔養父:黒田直邦〕→黒田直純の系図
 生駒親睦〔養父:生駒親賢〕→生駒親睦の系図

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本多正珍~正憲の系図

本多正珍~正憲の系図

  本多正珍(まさよし)【1710-1786】
 老中・田中藩主。

祖父 正武 正矩本多正直~正矩の系図
祖父 松野助義→松野助義の系図

 正堅(まさかた)【1736-1757】
子の妻 溝口直温の娘
子の妻の父 溝口直温→溝口直温の系図

 ツレ戸田忠寛~忠友・忠舜~忠綱の系図
 ヨシ松平信復・信礼の系図
 シケ→大久保忠卿の系図
 トミ→分部光実の系図
 ナヲ(『寛政重修諸家譜』による。)

 忠誨〔養父:大久保忠温(→大久保忠温の系図)〕
孫の妻 本多ミキ/イホ


  本多正供(まさよし)【1746-1777】
 田中藩主。


  本多正温(まさはる)/正徳【1766-1838】
 田中藩主。
 永井直珍の娘
妻の父 永井直珍永井直珍の系図
 六郷政速→六郷政速の系図

 正礼【1791-1830】〔養父:鳥井成純〕
 正哲【1792-?】〔養父:内藤正右〕
 正猷【1793-1811】
 正福/正盈【1808-1868】(『本多家譜(安房長尾)』による。)
 正迪【1813-?】(『本多家譜(安房長尾)』による。)
 正貴【1814-1840】(『本多家譜(安房長尾)』による。)
 松平堅房~直静の系図
 コト/マス/マト
 筧之助騏三郎 チカラク正温の娘(『本多家譜(安房長尾)』による。)


  本多正意(まさおき)【1784-1829】
 田中藩主。
 戸田忠翰の娘
妻の父 戸田忠翰戸田忠寛~忠友・忠舜~忠綱の系図
 正貞【1810-1862】〔養父:菅沼定敬〕
 正憲〔養父:本多正訥〕

 正行【1815-1830】
 正訥〔養父:本多正寛〕
 クマ板倉勝政~勝弼の系図・鍋島直孝の系図
 マサ/タケ(『本多家譜(安房長尾)』による。)
 ケフ/トミ(『本多家譜(安房長尾)』による。)
 レン〔養父:玉虫茂知〕
 信之丞正意の息子(2人)・ チカテルケフ正意の娘(『本多家譜(安房長尾)』による。)


  本多正寛(まさひろ)【1808-1860】(以下、『本多家譜(安房長尾)』による。)
 田中藩主。藩政改革を行い、藩校日新館を設立した。
 松平斉孝の娘
妻の父 松平斉孝松平康乂~慶倫の系図

 雄丸【1829-1831】
 ケイ/ヲフ
 ステ/キミ
 トキ水野忠啓~忠幹の系図


  本多正訥(まさもり)【1827-1885】
 田中藩主・安房国長尾藩主。実は本多正意の子。昌平坂学問所の初代奉行を務めた。
 松平信発の娘
 実は秋山正光の娘。
妻の父 松平信発松平信友~信謹の系図

 稲垣長剛の娘
妻の父 稲垣長剛→稲垣長剛の系図


  本多正憲(まさのり)【1849-1937】
 長尾藩主。実は本多正貞の子。
 中山忠能の娘
妻の父 中山忠能中山愛親~忠愛の系図

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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