小笠原氏(清和源氏・義光流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、小笠原氏(清和源氏・義光流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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小笠原氏(豊前国小倉藩主)の略系図

小笠原氏の略系図1

1 長清小笠原長清の系図
1-A 時長伴野時長の系図
1-B 行長藤崎行長の系図

2 長経小笠原長経の系図
2-A1 清経赤沢清経~小笠原経治の系図
2-A2 貞信小笠原貞信~貞三の系図
2-A3 直経小笠原直経~常亮の系図
2-A4 貞之小笠原貞之~貞直の系図

3 長忠小笠原長忠~宗長の系図
6-A1 貞長小笠原貞長~長房の系図
6-A2 長真小笠原長真~持齢の系図
6-A3 元定小笠原元定~元陳の系図

小笠原氏の略系図2

7 貞宗小笠原貞宗~政康の系図
11 持長小笠原持長~貞朝の系図
14-A1 定政小笠原定政~信盛・長貞~信興の系図
14-A2 広忠小笠原広忠・広信の系図
14-A3 信吉小笠原信吉~長賢・長章~長摸の系図
14-A4 広安小笠原広安~長重の系図
14-A5 直仍小笠原直仍~直温の系図
14-A6 長住小笠原長住~信編の系図

15 長棟小笠原長棟・長時の系図
17 貞慶小笠原貞慶・秀政の系図
19 忠真小笠原忠真の系図
20 忠雄小笠原忠雄~忠総の系図
23 忠苗小笠原忠苗~忠忱の系図

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小笠原長清の系図

小笠原長清の系図

  小笠原長清(ながきよ)【1162-1242】
 小笠原氏の祖。甲斐国小笠原で生まれた。源頼朝の挙兵に応じ、信濃守に任じられた。承久の乱で功をあげ、阿波守護となった。

祖父 清光源義清・清光の系図
 遠光加賀美遠光の系図
祖父 杉本義宗杉本義宗の系図

 藤原邦綱の娘
妻の父 藤原邦綱藤原盛国の系図
 長経小笠原長経の系図
 長忠小笠原長忠~宗長の系図
 赤沢清経赤沢清経~小笠原経治の系図

 伊那長綏(『系図纂要』による。)
 八代長光〔養父:八代信清〕
 母は『寛政重修諸家譜』による。
曾孫 長景(以下、『系図纂要』による。)

 小田清家
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 伴野時長伴野時長の系図
 藤崎行長藤崎行長の系図

 長房→小笠原長房の系図
 大井朝光→大井朝光の系図
 教意為長
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 長秀(以下、『華族系譜』による。)
孫の夫 山田泰親山田重満の系図

伴野時長の系図

伴野時長の系図

  伴野時長

祖父 遠光加賀美遠光の系図
 長清小笠原長清の系図
祖父 藤原邦綱藤原盛国の系図

 時直/長直
時直孫 泰房(以下、『系図纂要』による。)

時直孫 長房
長房の子の夫 小笠原長氏(『寛政重修諸家譜』による。)→小笠原長忠~宗長の系図

子の夫 安達義景→安達義景の系図

藤崎行長の系図

藤崎行長の系図

  藤崎行長

祖父 遠光加賀美遠光の系図
 長清小笠原長清の系図
祖父 藤原邦綱藤原盛国の系図

孫の夫 板垣長兼武田信義の系図

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小笠原長経の系図

小笠原長経の系図

  小笠原長経(ながつね)【1179-1247】
 母は『寛政重修諸家譜』による。源頼家の近臣として重用された。

祖父 遠光加賀美遠光の系図
 長清小笠原長清の系図
祖父 藤原邦綱藤原盛国の系図

 武田朝信の娘
妻の父 武田朝信武田信光の系図
 長忠 長政小笠原長忠~宗長の系図
 下条長能(ながよし)/長義(ながよし)
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 長実
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 平重衡の娘
妻の父 平重衡平清盛の系図
 赤沢清経 安経赤沢清経~小笠原経治の系図

 長房→小笠原長房の系図
 長時/長持
 尊重(『系図纂要』による。)
 観照〔養子:津毛経氏(→小笠原長忠~宗長の系図)〕

赤沢清経~小笠原経治の系図

赤沢清経~小笠原経治の系図

  赤沢清経(きよつね)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
 伊豆国赤沢に住んだ。

祖父 長清小笠原長清の系図
 長経小笠原長経の系図
祖父 平重衡平清盛の系図


  赤沢安経(やすつね)【1230-1325】


  赤沢経顕(つねあき)【1255-1326】


  赤沢長興(ながおき)/氏常(うじつね)
 実は小笠原長氏(→小笠原長忠~宗長の系図)の子。


  赤沢常興(つねおき)


  赤沢経光(つねみつ)【?-1410】


  赤沢武経(たけつね)【?-1430】


  赤沢満経(みつつね)【1379-1456】
子の夫 小笠原持長→小笠原持長の系図


  赤沢教経(のりつね)【1400-1443】


  赤沢経隆(つねたか)


  赤沢朝経(ともつね)【1451-1507】


  赤沢政経(まさつね)/政盛(まさもり)【1467-1512】


  赤沢経智(つねとも)【1511-1574】
 長勝(ながかつ)【1532-1558】


  小笠原貞経(さだつね)/経直(つねなお)【1543-1614】


  小笠原経治(つねはる)/経康(つねやす)【1576-1635】
 貞信 景経小笠原貞信~貞三の系図
 直経 常春小笠原直経~常亮の系図
 貞之 貞久小笠原貞之~貞直の系図
子の夫 榊原正勝→榊原正勝の系図

小笠原貞信~貞三の系図

小笠原貞信~貞三の系図

  小笠原貞信(さだのぶ)/貞治(さだはる)【1602-1672】

祖父 貞経 経治赤沢清経~小笠原経治の系図

 稲富正直の娘
妻の父 稲富正直→稲富正直の系図
 春日貞顕〔養父:春日満英〕→春日貞顕の系図

 相馬信胤〔養父:相馬要胤〕→相馬信胤の系図
子の夫 倉橋政周→倉橋政周の系図
子の夫 松平次保→松平次保の系図


  小笠原景経(かげつね)【1639-1675】
 伊藤治昌〔養父:伊藤重明〕→伊藤治昌の系図
子の夫 小笠原長泰→小笠原長泰の系図
子の夫 小尾武元→小尾武元の系図


  小笠原貞晃(さだてる)/貞清(さだきよ)【1662-1706】
 服部貞世の娘
妻の父 服部貞世→服部貞世の系図

子の夫 水上正美→水上正美の系図


  小笠原晃高(てるたか)【1701-1746】
 間宮盛信の娘
 実は菅谷平大夫の娘。
妻の父 間宮盛信→間宮盛信の系図


  小笠原貞吉/晃堅(てるかた)【1728-1788】
 柘植英利の娘
 実は生島秀厚(→生島秀厚の系図)の娘。
妻の父 柘植英利→柘植英利の系図

 宇都野正富の娘
妻の父 宇都野正富→宇都野正富の系図

子の夫 安部信忠→安部信忠の系図


  小笠原貞三(さだかず)/貞政(さだまさ)【1761-?】
 揖斐政寛の娘
妻の父 揖斐政寛→揖斐政寛の系図
 速水正恒→速水正恒の系図

 高木元真の娘
妻の父 高木元真→高木元真の系図

 小野高品の娘
妻の父 小野高品→小野高品の系図

小笠原直経~常亮の系図

小笠原直経~常亮の系図

  小笠原直経(なおつね)/貞則(さだのり)【1618-1678】

祖父 貞経 経治赤沢清経~小笠原経治の系図

 榊原正重の娘
妻の父 榊原正重→榊原正重の系図
 宇右衛門【1647-1667】

 時経(ときつね)【?-1664】


  小笠原常春(つねはる)/常政(つねまさ)/貞政(さだまさ)【1666-1747】
 松平重良の娘
 実は戸田正吉(→戸田正吉~勝英の系図)の娘。
妻の父 松平重良松平重良~勘満の系図
 松平勘敬〔養父:松平重矩〕→松平重良~勘満の系図

 丸毛利広〔養父:丸毛利雄〕→丸毛利広の系図
子の夫 松平信興→松平信興の系図


  小笠原常喜(つねよし)【1685-1769】
 坂部正羽の娘
妻の父 坂部正羽→坂部正羽の系図

 銕五郎【1724-1748】
子の夫 美濃部茂英→美濃部茂英の系図
子の夫 斎藤利幸→斎藤利幸の系図


  小笠原住常(すみつね)【1728-1775】
 大久保忠高の娘
妻の父 大久保忠高→大久保忠高の系図


  小笠原常倚(つねより)【1750-1775】
 実は土岐頼恭(→斎藤頼元~土岐頼永の系図)の子。
 小笠原住常の娘
 三宅清方→三宅清方の系図


  小笠原常方(つねみち)/直彭(なおちか)【1748-?】
 実は永井直該(→永井直該~直之の系図)の子。
 石丸有孝の娘
妻の父 石丸有孝→石丸有孝の系図


  小笠原常亮(つねすけ)【1779-?】

小笠原貞之~貞直の系図

小笠原貞之~貞直の系図

  小笠原貞之(さだゆき)【?-1682】

祖父 貞経 経治赤沢清経~小笠原経治の系図


  小笠原貞久(さだひさ)【?-1717】
子の夫 山中時生→山中時生の系図


  小笠原貞宣(さだのぶ)【1686-1745】
 実は河内常乗(→河内常乗の系図)の子。


  小笠原貞高(さだたか)【1717-1757】
 実は山中時焉(→山中時焉の系図)の子。
 伏見信景の娘
妻の父 伏見信景→伏見信景の系図


  小笠原貞房(さだふさ)【1738-1789】
 実は南条則房(→南条則房の系図)の子。
 藤沢次保の娘
妻の父 藤沢次保→藤沢次保の系図

 河村広定の娘
妻の父 河村広定→河村広定の系図
 蔦木盛輾〔養父:蔦木盛広〕→蔦木盛輾の系図

子の夫 葉山倫綱→葉山倫綱の系図


  小笠原貞直(さだなお)【1760-?】
 春日顕令の娘
妻の父 春日顕令→春日顕令の系図

 貞次/貞信

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小笠原長忠~宗長の系図

小笠原長忠~宗長の系図

  小笠原長忠(ながただ)【1202-1264】
 母は『寛政重修諸家譜』による。

祖父 長清小笠原長清の系図
 長経小笠原長経の系図
祖父 武田朝信武田信光の系図

 長冬(『系図纂要』による。)
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 経忠/忠綏
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 顕雲
 母は『寛政重修諸家譜』による。


  小笠原長政(ながまさ)【1222-1294】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 長朝勅使河原長直
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 長義(『系図纂要』による。)

 広吉(以下、『華族系譜』による。)


  小笠原長氏(ながうじ)【1246-1310】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 伴野長房の娘
妻の父 伴野長房伴野時長の系図
 泰氏
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 丸毛兼頼→丸毛兼頼の系図

 益田長綱(ながつな)【?-1332】
 山中政宗(まさむね)【?-1333】
 赤沢長興〔養父:赤沢経顕〕→赤沢清経~小笠原経治の系図
 津毛経氏〔養父:観照(→小笠原長経の系図)〕
子の夫 望月重数(『寛政重修諸家譜』による。)


  小笠原宗長(むねなが)【1272-1330】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 中原経行の娘
 子らの母は赤沢政常の娘とも。
 貞長 長高小笠原貞長~長房の系図
 貞宗 政長小笠原貞宗~政康の系図
 宗隆(『系図纂要』による。)
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 武田氏信武田氏信~元明の系図

小笠原貞長~長房の系図

小笠原貞長~長房の系図

  小笠原貞長(さだなが)

祖父 長氏 宗長小笠原長忠~宗長の系図


  小笠原長高(ながたか)/高長
 86歳で亡くなった。


  小笠原氏長(うじなが)
 74歳で亡くなった。


  小笠原満長(みつなが)/善長(よしなが)
 55歳で亡くなった。
 政広/教長
 持房(『系図纂要』による。)
 長算(『寛政重修諸家譜』による。)


  小笠原持長(もちなが)【1384-1458】
曾孫 元宗(『系図纂要』による。)
持清孫 秀清(『華族系譜』による。)


  小笠原元長(もとなが)【1433-1503】


  小笠原元清(もときよ)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)


  小笠原元続(もとつぐ)


  小笠原康広(やすひろ)【1531-1597】
 北条氏康の娘
妻の父 北条氏康北条氏康の系図

子の夫 伊東政世伊東政世~祐泰の系図


  小笠原長房(ながふさ)【?-1655】
 長真 持真小笠原長真~持齢の系図
 元定 長夷小笠原元定~元陳の系図
 義勝〔養父:蒔田頼久〕
子の夫 曽我古祐→曽我古祐の系図

小笠原長真~持齢の系図

小笠原長真~持齢の系図

  小笠原長真(ながざね)【?-1662】

祖父 康広 長房小笠原貞長~長房の系図

 山岡景本の娘
妻の父 山岡景本→山岡景本の系図

子の夫 木造俊雅→木造俊雅の系図
子の夫 石野則員石野則員~則存の系図


  小笠原持真(もちざね)【?-1709】
 伊東祐泰の娘
妻の父 伊東祐泰伊東政世~祐泰の系図


  小笠原持広(もちひろ)/政広(まさひろ)【1685-1759】
 実は杉浦政盛(→杉浦政盛の系図)の子。
 朝比奈勝盛の娘
妻の父 朝比奈勝盛→朝比奈勝盛の系図

子の夫 鈴木為政→鈴木為政の系図
子の夫 柴田勝彭→柴田勝彭の系図


  小笠原持賢(もちかた)【1520-1751】
 渋谷良信の娘
妻の父 渋谷良信→渋谷良信の系図

 川勝光隆の娘
妻の父 川勝光隆→川勝光隆の系図
 川勝隆安〔養父:川勝隆恭〕→川勝隆安の系図

子の夫 小出守広→小出守広の系図


  小笠原持易(もちやす)【1740-1776】
 目賀田守咸の娘
妻の父 目賀田守咸→目賀田守咸の系図

 鳥居忠雄の娘
妻の父 鳥居忠雄鳥居成勝~成純の系図
 中山勝功〔養父:中山勝尹〕→中山勝功の系図

子の夫 小出守傅→小出守傅の系図


  小笠原持齢(もちとし)【1761-?】
 稲葉通済の娘
妻の父 稲葉通済→稲葉通済の系図

 横田松房の娘
妻の父 横田松房→横田松房の系図

 酒井政勝の娘
妻の父 酒井政勝→酒井政勝の系図

小笠原元定~元陳の系図

小笠原元定~元陳の系図

  小笠原元定(もとさだ)【?-1658】

祖父 康広 長房小笠原貞長~長房の系図

 青山成次の娘
妻の父 青山成次青山忠重~成次・成親~成房の系図
 沢吉久〔養父:沢吉惟〕→沢吉久の系図


  小笠原長夷(ながひら)【?-1700】
 猪飼正冬の娘
妻の父 猪飼正冬→猪飼正冬の系図

 高利〔養父:平野源左衛門〕
子の夫 木造俊宗→木造俊宗の系図
子の夫 大河内政真大河内正澄~政儀の系図


  小笠原満孝(みつたか)【1671-1713】
 都筑正能の娘
妻の父 都筑正能→都筑正能の系図
 都筑正峯〔養父:都筑正容〕→都筑正峯の系図
 都筑正良〔養父:都筑正峯〕→都筑正良の系図

子の夫 本多敏之→本多敏之の系図


  小笠原満忠(みつただ)【1696-1763】
 中川信秀の娘
妻の父 中川信秀→中川信秀の系図
 都筑正房〔養父:都筑正良〕→都筑正房の系図

子の夫 船田正久→船田正久の系図


  小笠原元珍(もとよし)【1718-1782】
 吉益忠園の娘
妻の父 吉益忠園→吉益忠園の系図

 信時
 実は小栗信倚(→小栗信倚の系図)の子。


  小笠原元陳(もとのぶ)【1764-?】
 実は本康徳儀(→本康徳儀の系図)の子。
 鈴木之武の娘
妻の父 鈴木之武→鈴木之武の系図

 町野清諱の娘
妻の父 町野清諱→町野清諱の系図

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小笠原貞宗~政康の系図

小笠原貞宗~政康の系図

  小笠原貞宗(さだむね)【1292-1347】
 母は『寛政重修諸家譜』による。母は赤沢政常の娘とも。足利氏に従い、信濃守護となった。

祖父 長氏 宗長小笠原長忠~宗長の系図

 宗政
  母は『寛政重修諸家譜』による。
 坂西宗満永用政経
  母は『寛政重修諸家譜』による。 母は赤沢氏経の娘とも。
 貞明(『華族系譜』による。)

子の夫 逸見光武伴野時景(『寛政重修諸家譜』による。)


  小笠原政長(まさなが)【1319-1365】
 母は『寛政重修諸家譜』による。母は赤沢氏経の娘とも。信濃守護。
 中川清政氏長
  母は『寛政重修諸家譜』による。
 秀行〔養父:小笠原長基〕


  小笠原長基(ながもと)【1347-1407】
 母は『寛政重修諸家譜』による。信濃守護。後に信濃守護となった斯波義種に国人らと抵抗した。
 武田信春の娘
妻の父 武田信春武田信春・信満の系図
 長将(ながまさ)【?-1439】
 父は小笠原長秀とも。
 持長小笠原持長~貞朝の系図
 父は小笠原政康とも。
孫の夫 松井保信(『華族系譜』による。)→松井維義~宗豊の系図

 長義(ながよし)【?-1439】
 父は小笠原長秀とも。
 長秀(ながひで)【1366-1424】
 信濃守護となったが、国人一揆にあった。
 長将長義
 父は小笠原長基とも。

 秀行
 実は中川清政の子。


  小笠原政康(まさやす)【1376-1442】
 信濃守護。
 持長 清宗小笠原持長~貞朝の系図
 宗康(むねやす)【?-1446】
 母は『寛政重修諸家譜』による。持長と家督を争ったが敗れた。
 政秀(まさひで)/政貞(まささだ)【?-1493】
曾孫 長貞熊丸(『系図纂要』による。)

 政家(『系図纂要』による。)
 林氏の祖ともされる。

 光康 家長小笠原光康~信貴の系図
 有馨(『寛政重修諸家譜』による。)

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小笠原持長~貞朝の系図

小笠原持長~貞朝の系図

  小笠原持長(もちなが)【1396-1462】
 父は小笠原長将(→小笠原貞宗~政康の系図)とも。宗康と家督を争った。

祖父 長基 政康小笠原貞宗~政康の系図

 宗蔵王/俊宗
 宗則政豊
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 六郎/長増/宗基
子の夫 松井宗泰(『華族系譜』による。)→松井維義~宗豊の系図


  小笠原清宗(きよむね)【1427-1478】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 武田信昌の娘
妻の父 武田信昌武田信重~信昌の系図
 林光政 光友林光政~忠政・忠定~土屋存久の系図
 清宗の娘(2人)
 母は『寛政重修諸家譜』による。


  小笠原長朝(ながとも)【1443-1501】
 貞政(以下、『華族系譜』による。)
孫の夫 小笠原定政小笠原定政~信盛・長貞~信興の系図


  小笠原貞朝(さだとも)【1461-1515】
 長棟 長時小笠原長棟・長時の系図
 定政 広正小笠原定政~信盛・長貞~信興の系図
 統最長利
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 長隆(以下、『華族系譜』による。)
孫の妻 小笠原広重の娘
孫の妻の父 小笠原広重小笠原定政~信盛・長貞~信興の系図
曾孫 吉次【?-1618】

曾孫の夫 久世長宣久世左大夫~広宣の系図

子の夫 小笠原貞忠小笠原光康~信貴の系図
子の夫 三村左近右衛門(『華族系譜』による。)

小笠原定政~信盛・長貞~信興の系図

小笠原定政~信盛・長貞~信興の系図

  小笠原定政(さだまさ)

祖父 長朝 貞朝小笠原持長~貞朝の系図

 小笠原貞政の娘
妻の父 小笠原貞政小笠原持長~貞朝の系図

 長政(以下、『系図纂要』による。)


  小笠原広正(ひろまさ)/広政(ひろまさ)(以下、『寛政重修諸家譜』による。)


  小笠原広重(ひろしげ)/重広(しげひろ)【?-1585】
 小笠原安元の娘
妻の父 小笠原安元→小笠原安元の系図
 広朝(ひろとも)【?-1603】
 権之丞
孫の妻 近藤秀用の娘
孫の妻の父 近藤秀用→近藤秀用の系図
孫の妻の夫 九鬼長兵衛→九鬼長兵衛の系図

 広忠 広信小笠原広忠・広信の系図

子の夫 小笠原貞頼小笠原長棟・長時の系図
子の夫 小笠原長隆小笠原持長~貞朝の系図


  小笠原信元(のぶもと)【1544-1612】


  小笠原信重(のぶしげ)/広行(ひろゆき)【1583-1606】
 実は小笠原広忠(→小笠原広忠・広信の系図)の子。
 富士信通の娘
妻の父 富士信通→富士信通の系図
 信吉 信直小笠原信吉~長賢・長章~長摸の系図


  小笠原信盛(のぶもり)【1605-1671】
 長住 長成小笠原長住~信編の系図
子の夫 河野通成→河野通成の系図


  小笠原長貞(ながさだ)【1642-1709】


  小笠原長重(ながしげ)【1697-1717】


  小笠原義信(よしのぶ)【1708-1760】
 実は小笠原長成(→小笠原長住~信編の系図)の子。
 信興〔養父:小笠原長旨〕
子の夫 小笠原信甫小笠原長住~信編の系図


  小笠原長旨(ながむね)【1745-1776】


  小笠原信興(のぶおき)【1751-?】
 進成羽の娘
妻の父 進成羽進成村~成美の系図

子の夫 山川忠英→山川忠英の系図
子の夫 小河益生→小河益生の系図

小笠原長住~信編の系図

小笠原長住~信編の系図

  小笠原長住(ながずみ)/信尚(のぶなお)/信賢(のぶかた)/長義(ながよし)【1627-1706】

祖父 信重 信盛小笠原定政~信盛・長貞~信興の系図

 向井忠勝の娘
妻の父 向井忠勝→向井忠勝の系図
 信光(のぶみつ)【1646-1675】
子の妻 小笠原信吉の娘
子の妻の父 小笠原信吉小笠原信吉~長賢・長章~長摸の系図

 佐藤成次の娘
妻の父 佐藤成次→佐藤成次の系図

子の夫 本郷久泰→本郷久泰の系図


  小笠原長成(ながなり)【1674-1756】
 大岡忠高の娘
妻の父 大岡忠高大岡忠高の系図

 義信〔養父:小笠原長重〕→小笠原定政~信盛・長貞~信興の系図
 長成の娘〔養父:本郷久泰〕→本郷久泰の系図
子の夫 前田直主→前田直主の系図
子の夫 大草高満→大草高満の系図
子の夫 設楽貞根→設楽貞根の系図
子の夫 成瀬正恒→成瀬正恒の系図
子の夫 小笠原長興小笠原信吉~長賢・長章~長摸の系図

孫の夫 人見正→人見正の系図


  小笠原信用(のぶみち)/義清(よしきよ)【1706-1760】
 信寛(のぶひろ)【1734-1755】
 三好直之丞〔養父:三好長憙〕→三好直之丞の系図
 信編〔養父:小笠原信甫〕
 信将〔養父:小笠原信安〕→小笠原信由~信将・信凭~直信の系図


  小笠原信甫(のぶやす)/長致(ながよし)【1748-1792】
 小笠原義信の娘
妻の父 小笠原義信小笠原定政~信盛・長貞~信興の系図

 酒井忠貫の娘
妻の父 酒井忠貫酒井忠助~忠懿の系図

子の夫 大草高般→大草高般の系図
子の夫 大河内政寿大河内秀政~政寿・政純~政和・清政~政成の系図
子の夫 向坂政敷→向坂政敷の系図


  小笠原信編(のぶえき)【1756-?】
 実は小笠原信用の子。
 宮城和忠の娘
妻の父 宮城和忠→宮城和忠の系図

小笠原信吉~長賢・長章~長摸の系図

小笠原信吉~長賢・長章~長摸の系図

  小笠原信吉(のぶよし)/信政(のぶまさ)【1605-1695】

祖父 信元 信重小笠原定政~信盛・長貞~信興の系図
祖父 富士信通→富士信通の系図

 布施重直の娘
妻の父 布施重直→布施重直の系図

子の夫 渡辺久永→渡辺久永の系図
子の夫 小笠原信光小笠原長住~信編の系図


  小笠原信直(のぶなお)【1644-1717】
 布施重成の娘
妻の父 布施重成→布施重成の系図

子の夫 保々貞長→保々貞長の系図


  小笠原長晃(ながみつ)【1669-1727】
 堀利邑の娘
妻の父 堀利邑堀利重~利和の系図


  小笠原長孝(ながたか)【1696-1772】
 岡部正要の娘
妻の父 岡部正要→岡部正要の系図
 青木正長〔養父:青木正之〕→青木正長の系図

 長摸〔養父:小笠原長行〕

子の夫 坂部正直→坂部正直の系図


  小笠原長興(ながおき)【1725-1797】
 牛込重行の娘
妻の父 牛込重行→牛込重行の系図

 林政寛の娘
妻の父 林政寛→林政寛の系図

 小笠原長成の娘
妻の父 小笠原長成小笠原長住~信編の系図

 加藤忠道の娘
妻の父 加藤忠道→加藤忠道の系図
 長賢〔養父:小笠原信年〕


  小笠原信年(のぶとし)【1759-1782】
 桜井信穆の娘
妻の父 桜井信穆→桜井信穆の系図


  小笠原長賢(ながよし)【1766-?】
 実は小笠原長興の子。


  小笠原長章(ながのり)【1706-1772】
 佐藤豊恭の娘
妻の父 佐藤豊恭→佐藤豊恭の系図

 長恒〔養父:小笠原長行〕


  小笠原長行(ながゆき)【1734-?】
 佐藤安行の娘
妻の父 佐藤安行→佐藤安行の系図

 長恒
 実は小笠原長章の子。


  小笠原長摸(ながのり)【1775-?】
 実は小笠原長久の子。

小笠原広忠・広信の系図

小笠原広忠・広信の系図

  小笠原広忠(ひろただ)/広綱(ひろつな)【?-1596】

祖父 広正 広重小笠原定政~信盛・長貞~信興の系図
祖父 小笠原安元→小笠原安元の系図

 信重〔養父:小笠原信元〕→小笠原定政~信盛・長貞~信興の系図


  小笠原広信(ひろのぶ)/広勝(ひろかつ)【?-1639】
 大久保右馬允の娘
 広安 直之小笠原広安~長重の系図

 阿加田三郎兵衛の娘
 直仍 広雄小笠原直仍~直温の系図

小笠原広安~長重の系図

小笠原広安~長重の系図

  小笠原広安(ひろやす)/直次(なおつぐ)【1606-1678】

祖父 広忠 広信小笠原広忠・広信の系図

 布施重直の娘
妻の父 布施重直→布施重直の系図

子の夫 壺井重信→壺井重信の系図
子の夫 保々貞俊→保々貞俊の系図


  小笠原直之(なおゆき)【1637-1708】
 蜂屋定吉の娘
妻の父 蜂屋定吉→蜂屋定吉の系図
 壺井長記〔養父:壺井信俊〕→壺井長記の系図


  小笠原長方(ながかた)【1666-1733】
 大久保忠次の娘
妻の父 大久保忠次→大久保忠次の系図

 長之〔養父:小笠原長羽〕


  小笠原長羽(ながのぶ)【1701-1764】
 実は小笠原政房の子。
 榊原職長の娘
妻の父 榊原職長→榊原職長の系図

 長之(ながゆき)
 実は小笠原長方の子。
子の妻 小笠原貞通の娘
子の妻の父 小笠原貞通小笠原真方~貞顕の系図
子の妻の夫 五島盛峰五島盛清~運竜の系図

子の夫 下山当寛→下山当寛の系図
子の夫 杉山正久→杉山正久の系図
子の夫 遠山直徳→遠山直徳の系図


  小笠原長重(ながしげ)【1746-?】
 宮原義汨の娘
妻の父 宮原義汨→宮原義汨の系図

子の夫 下山正路→下山正路の系図

小笠原直仍~直温の系図

小笠原直仍~直温の系図

  小笠原直仍(なおのり)【1627-1688】

祖父 広忠 広信小笠原広忠・広信の系図

 和田惟良の娘
妻の父 和田惟良→和田惟良の系図

 小栗政信の娘
妻の父 小栗政信→小栗政信の系図


  小笠原広雄(ひろお)【1675-1740】
 名取信突の娘
妻の父 名取信突→名取信突の系図

 広政(ひろまさ)【?-1734】
 実は柘植貞右衛門の子。


  小笠原広長(ひろなが)
 石川政利〔養父:石川政忠〕→石川政利の系図


  小笠原直美(なおよし)【1727-1775】
 柘植盈好の娘
妻の父 柘植盈好→柘植盈好の系図
 柘植盈孝〔養父:柘植盈則〕→柘植盈孝の系図
 伊藤修安〔養父:伊藤修徳〕→伊藤修安の系図

子の夫 小尾輔房→小尾輔房の系図


  小笠原直軌(なおき)【1749-?】
 渡辺登の娘
妻の父 渡辺登→渡辺登の系図


  小笠原直温(なおあつ)【1772-1798】
 窪田直喬の娘
妻の父 窪田直喬→窪田直喬の系図

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小笠原長棟・長時の系図

小笠原長棟・長時の系図

  小笠原長棟(ながむね)【1492-1549】
 母は『寛政重修諸家譜』による。

祖父 長朝 貞朝小笠原持長~貞朝の系図

 信定(のぶさだ)【1521-1569】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 長継(以下、『華族系譜』による。)
信定孫 信政/義喬
 実は小笠原長俊(→小笠原貞慶・秀政の系図)の子。

 信高舎人信兼 信定の娘(5人)(『華族系譜』による。)

 貞種
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 家政(『華族系譜』による。)
 政実(以下、『華族系譜』による。)
貞種孫 長勝
 実は小笠原貞頼の子。

 清鑑統虎
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 藤沢頼親諏訪頼敬小笠原長政(『寛政重修諸家譜』による。)


  小笠原長時(ながとき)【1514-1583】
 武田信玄に攻められ、信濃の領地を失った。後に上杉謙信や蘆名盛氏を頼ったが、家臣に殺された。
 仁科盛明の娘
 長隆(ながたか)【?-1581】(『寛政重修諸家譜』による。)
 長頼【1566-1630】(『華族系譜』による。)
孫の夫 中嶋明延(『華族系譜』による。)

 貞次 長時の娘(『寛政重修諸家譜』による。)

 江間氏
 貞慶 秀政小笠原貞慶・秀政の系図

 広橋中将の娘
 実は畠山氏の娘。
 長頼【1520-1555】(以下、『華族系譜』による。)
 貞信/長元【1539-1583】
曾孫 貞頼【1541-1601】
 実は小笠原長頼の子。
曾孫の妻 小笠原広重の娘
曾孫の妻の父 小笠原広重小笠原定政~信盛・長貞~信興の系図

長頼孫 重信【?-1615】
長頼孫 貞直/長直【1589-1675】
長頼孫 長勝〔養父:小笠原長実〕
長頼孫 貞頼の娘
 実は豊後の娘。

 貞頼〔養父:小笠原貞信〕
 重信【1552-1582】

子の夫 渡部秀縄(『華族系譜』による。)

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小笠原貞慶・秀政の系図

小笠原貞慶・秀政の系図

  小笠原貞慶(さだよし)【1546-1595】
 織田信長に仕えた後、旧領を取り戻した。その後、徳川家康の指揮下に入り、小田原攻めにも参加した。

祖父 長棟 長時小笠原長棟・長時の系図

 日野輝資の娘
 実は高畠長成の娘。
妻の父 日野輝資日野輝資~光慶の系図


  小笠原秀政(ひでまさ)/貞政(さだまさ)【1569-1615】
 下総国古河藩主・信濃国飯田藩主・信濃国松本藩主。大坂夏の陣で重傷を負って亡くなった。
 徳川登久姫/福子
 実は松平信康(→松平信康・忠吉・武田信吉・松平忠輝の系図)の娘。
妻の父 徳川家康徳川家康の系図
 忠脩 長次小笠原忠脩・長次の系図
 忠真小笠原忠真の系図
 忠雄小笠原忠雄~忠総の系図
 真方小笠原真方~貞顕の系図

 忠知 長矩小笠原忠知~長重の系図
 長定小笠原長定~長有の系図
 長秋小笠原長秋~長栄の系図

 松平重直〔養父:松平重忠〕→松平重直の系図
 忠慶(ただよし)/貞政(さだまさ)【1602-1675】
 長俊(ながとし)/長之(ながゆき)/長氏【1607-1658】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
 長繁〔養子:小笠原長順〕
 信政/義喬〔養父:小笠原元吉(→小笠原長棟・長時の系図)〕
 長順〔養父:小笠原長繁〕
孫の夫 武田信良武田信良~信敏・信成~信邦の系図

 万姫蜂須賀至鎮・忠英の系図
 千代姫細川忠利~綱利の系図

 政房(まさふさ)〔養父:溝口貞康〕【1608-1669】
 昌行(まさゆき)〔養父:原昌聡〕【1614-1685】

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小笠原忠真の系図

小笠原忠真の系図

  小笠原忠真(ただざね)/忠政(ただまさ)【1596-1667】
 松本藩主・播磨国明石藩主・豊前国小倉藩主。島原の乱の鎮圧に当たったほか、長崎の警固を行った。

祖父 貞慶 秀政小笠原貞慶・秀政の系図
祖父 徳川家康徳川家康の系図

 徳川家康の娘
 実は本多忠政(→本多忠政の系図)の娘。
妻の父 徳川家康徳川家康の系図
 小笠原忠脩小笠原忠脩・長次の系図
 長安(ながやす)/長政【1618-1667】
 姫松〔養父:小笠原忠真〕

 長宣(ながのぶ)【1631-1663】
子の妻 松平乗寿の娘
子の妻の父 松平乗寿松平家乗・乗寿の系図
子の妻の夫 松平乗親松平乗真~乗輪の系図

 【1656-1659】(『華族系譜』による。)

 黒田長政~光之・高政~長寛の系図
 黒田綱政黒田綱政~継高の系図

 松平頼元・頼貞の系図
 【1640-1644】
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 那須氏
 忠雄 忠基小笠原忠雄~忠総の系図
 真方 貞通小笠原真方~貞顕の系図
 千代/美代【1653-1654】(『華族系譜』による。)

 忠増(ただます)【1616-1688】〔養父:坂牧忠利〕
 長弘(ながひろ)/慶任/長員【1650-1726】
 姫松松平定長~定功・定章の系図
 蜂須賀至鎮・忠英の系図
 蜂須賀光隆蜂須賀光隆~綱矩の系図
 蜂須賀隆重蜂須賀隆重~正員の系図

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小笠原忠雄~忠総の系図

小笠原忠雄~忠総の系図

  小笠原忠雄(ただかつ)/長真(ながざね)【1647-1725】
 小倉藩主。

祖父 秀政小笠原貞慶・秀政の系図
 忠真小笠原忠真の系図

 浅野光晟の娘
妻の父 浅野光晟浅野長晟~綱晟・長治~長寔の系図
 貞通〔養父:小笠原真方〕→小笠原真方~貞顕の系図
 長親(ながちか)【1689-1709】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 藤堂高次~高敏の系図
 【1675-1680】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 浅野長晟~綱晟・長治~長寔の系図
 →牧野康重の系図
 須免→稲葉正知の系図

 鈴木氏
 稲葉正長〔養父:稲葉正辰〕→稲葉正長の系図

 久米姫松平宗昌~茂昭の系図


  小笠原忠基(ただもと)/清貞(きよさだ)/清遙(きよはる)/忠遙(ただはる)/忠晴(ただはる)【1682-1752】
 小倉藩主。
 浅野綱長の娘【1689-1706】
妻の父 浅野綱長浅野綱長・吉長の系図
 忠貞(たださだ)/忠達【1706-1741】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の妻 蜂須賀佐賀
 蜂須賀綱矩(→蜂須賀光隆~綱矩の系図)の娘。
 〔養父:小笠原忠基〕
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 長周〔養父:小笠原忠基〕

 井出氏
 長吉【1711-1717】(『華族系譜』による。)
 留之助【1713-1715】(『華族系譜』による。)
 利代【1708-1710】
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 松室清野【?-1768】
 長逵〔養父:小笠原長興〕→小笠原長勝~長逵の系図
 長良【1717-1733】(『華族系譜』による。)

 木村常【?-1779】

 長周(ながちか)【1734-1750】
 実は小笠原忠貞の子。
 /満/畿【1716-1721】
 松平明矩~直温の系図
 多賀【1733-1734】
 小笠原長煕~長恭の系図


  小笠原忠総(ただふさ)/長規(ながのり)【1727-1790】
 小倉藩主。犬甘知寛を家老とし、藩政改革を行った。藩校思永斎を創設した。
 浅野吉長の娘
 実は浅野長賢(→浅野長賢~長厚の系図)の娘。
妻の父 浅野吉長浅野綱長・吉長の系図

 山崎多賀【?-1785】
 〔養父:小笠原忠苗〕→小笠原忠苗~忠忱の系図

 忠苗 忠固小笠原忠苗~忠忱の系図

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小笠原忠苗~忠忱の系図

小笠原忠苗~忠忱の系図

  小笠原忠苗(ただみつ)/長浮(ながちか)【1746-1808】
 小倉藩主。実は小笠原長逵(→小笠原長勝~長逵の系図)の子。

祖父 忠基 忠総小笠原忠雄~忠総の系図

 山内豊敷の娘
妻の父 山内豊敷→山内豊敷の系図

 中川氏
 春次郎【1797-1798】(『華族系譜』による。)
 〔養父:小笠原忠固〕


  小笠原忠固(ただかた)/長之/忠徳【1770-1843】
 小倉藩主。実は小笠原長為(→小笠原長為~貞孚の系図)の子。
 小笠原富【1778-1837】
 小笠原忠総(→小笠原忠雄~忠総の系図)の娘。
 万松丸【1800-1811】
 母は『華族系譜』による。
 →堀田正愛の系図・松平忠栄の系図

 神田三千重【?-1840】
 忠固の息子【1807】(『華族系譜』による。)
 【1809-1811】(『華族系譜』による。)
 →大久保忠脩の系図

 【1804-1809】
 実は小笠原忠苗の娘。


  小笠原忠徴(ただあきら)【1808-1856】(以下、『華族系譜』による。)
 小倉藩主。
 前田寛【1815-1831】
 前田斉広(→前田治脩~慶寧の系図)の娘。
 忠徴の息子【1831】

 吉沢氏
 百代〔養父:小笠原忠固〕

 佐藤万代
 儔次郎【1845】
 和之助【1848-1849】
 【1847-1848】
 久寿【1851-1852】


  小笠原忠嘉(ただひろ)/貞嘉(さだひろ)【1839-1860】〔養父:小笠原貞謙(→小笠原貞温~貞正の系図)〕
 豊前国小倉新田藩主・小倉藩主。実は小笠原貞哲(→小笠原貞温~貞正の系図)の子。
 貞寧小笠原貞温~貞正の系図


  小笠原忠幹(ただよし)/貞幹(さだもと)/棟幹(むねもと)【1827-1865】
 播磨国安志藩主・小倉藩主。実は小笠原長武(→小笠原長為~貞孚の系図)の子。
 小笠原百代
 実は小笠原忠徴の娘。
 戸沢正実戸沢正親~正実の系図

 柳沢八代
 柳沢里顕(→柳沢時睦~徳忠の系図)の娘。
 貞孚小笠原長為~貞孚の系図

 前田千鶴枝
 登代【1865-?】

 →松平忠興の系図


  小笠原忠忱(ただのぶ)【1862-1897】
 小倉(香春・豊津)藩主。第二次長州征討で長州藩に敗れ、小倉城を焼いて藩庁を香春、豊津と移した。
 上杉虎
 実は上杉斉憲(→上杉斉憲の系図)の娘。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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