このページでは、外山家(藤原氏北家・真夏流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
外山光顕~光輔の系図
外山光顕(みつあき)/宣勝【1652-1738】
権大納言。外山家の祖。
祖父 光慶→日野輝資~光慶の系図
父 弘資→日野弘資~永資の系図
子 豊岡光全〔養父:豊岡(日野)資時〕→豊岡有尚~健資の系図
子 長沢資親→長沢資親の系図
外山光和/勝守【1680-1743】
権中納言。
子 北小路光香〔養父:北小路資福〕→北小路徳光~随光の系図
外山光任【1716-1769】
外山光時【1737-?】
実は竹屋光兼(→竹屋兼俊~光昭の系図)の子。
外山光実(みつざね)/資幹【1756-1821】
権中納言。実は烏丸光胤(→烏丸光栄~光徳の系図)の子。和歌にすぐれた。
妻 青木信子
青木信周(→柳沢吉里の系図)の娘。
子 光実の息子【?-1813】
子の夫 大宮良季→大宮季光~実典の系図
子の夫 河鰭実利→河鰭実陳~公述の系図
子の夫 東坊城聡長→東坊城恒長~夏長の系図
外山光施【1784-1839】
正三位。
妻 柳沢貞子【?-1859】
柳沢保光(→柳沢保光~保申の系図)の娘。
子 竹内惟賢〔養父:竹内惟和〕→竹内惟賢の系図
子 清子(『外山家譜』による。)
子の夫 日野西光暉→日野西総盛~延栄の系図
外山光親【1807-1850】
正三位。
子 光煕【1835-1850】
外山光輔(みつすけ)【1843-1871】
新政府の政策に不満を持ち、反乱を画策したが、逮捕されて切腹を命じられた。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。