このページでは、大河内松平家(清和源氏・頼光流)・信興流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
大河内松平家・信興流(上野国高崎藩主)の略系図
1 信興→松平信興~輝高の系図
5 輝和→松平輝和~輝声の系図
松平信興~輝高の系図
松平信興(のぶおき)/治綱(はるつな)/基綱(もとつな)/信衡(のぶひら)/興衡(おきひら)【1630-1691】
常陸国土浦藩主。
祖父 正綱→松平正綱の系図
父 信綱→松平信綱の系図
祖父 井上正就→井上正就の系図
妻 青山幸利の娘
妻の父 青山幸利→青山幸成~幸実の系図
子 采女・万菊・三之丞・藤左衛門
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 斐章(あやあき)/興一(おきかず)【1666-?】
実は松平信定(→松平信定の系図)の子。
松平輝貞(てるさだ)/武綱(たけつな)【1665-1747】
下野国壬生藩主・上野国高崎藩主・越後国村上藩主。実は松平輝綱(→松平輝綱・信輝の系図)の子。
妻 柳沢市子
実は折井正辰(→折井正辰の系図)の娘。
妻の父 柳沢吉保→柳沢吉保の系図
子の夫 本庄資訓→本庄資訓の系図
松平輝規(てるのり)/政直(まさなお)/政長(まさなが)/政方(まさかた)【1682-1756】
高崎藩主。実は松平信定(→松平信定の系図)の子。
子の夫 三浦明次→三浦明敬~明次の系図
松平輝高(てるたか)【1725-1781】
老中・高崎藩主。藩校遊芸館を創設した。
妻 松平信祝の娘
妻の父 松平信祝→松平信祝の系図
妻 林氏
子 輝行(てるちか)【1748-1775】
子の妻 戸田氏英の娘
子の妻の父 戸田氏英→戸田氏英・氏教の系図
子 輝和・孫 輝延→松平輝和~輝声の系図
子 永→柳沢保光~保申の系図
妻 大川氏
子 輝延〔養父:松平輝和〕→松平輝和~輝声の系図
松平輝和~輝声の系図
松平輝和(てるやす)【1750-1800】
高崎藩主。
祖父 輝規・父 輝高→松平信興~輝高の系図
妻 羽生田氏
子 輝健〔養父:松平輝延〕
子 長三郎(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 柳沢保民→柳沢保光~保申の系図
子の夫 本庄宗允→本庄宗允の系図
子の夫 松平直方→松平直行~直哉の系図
妻 小林氏
子 輝和の娘
松平信弥に嫁ぐ予定であった。
妻 山名氏
子 輝和の娘(2人)(『大河内家譜(上野高崎)』による。)
妻 井出氏
子 輝和の娘〔養父:藤懸永貞(→藤懸永貞の系図)〕(『大河内家譜(上野高崎)』による。)
松平輝延(てるのぶ)【1775-1825】(以下、『大河内家譜(上野高崎)』による。)
老中・高崎藩主。実は松平輝高(→松平信興~輝高の系図)の子。
妻 松平信明の娘
実は松平信譲(→松平信望~信弥の系図)の娘。
妻の父 松平信明→松平信明~信古の系図
子 輝茂【1796-1818】
子の妻 稲葉雍通の娘
子の妻の父 稲葉雍通→稲葉董通~久通の系図
妻 南部幸子
南部利正(→南部利雄~利用の系図)の娘。
子 雅子→南部利済~利恭の系図
妻 田中氏
子 輝実【1798-1822】
子の妻 松浦清の娘
子の妻の父 松浦清→松浦清~詮の系図
妻 安間氏
子の夫 朽木綱条→朽木倫綱~為綱の系図
妻 古川氏
子の夫 酒井忠義→酒井忠与~忠氏の系図
子の夫 本庄宗秀→本庄宗秀の系図
子 輝健(てるたけ)【1789-1811】
実は松平輝和の子。
子の妻 松平輝延の娘
実は松平定信(→松平定信の系図)の娘。
子の妻の夫 前田利幹→前田利幹~利同の系図
子の妻の夫 井伊直清→井伊直中~直憲の系図
松平輝承(てるよし)【1817-1839】
高崎藩主。
妻 酒井忠器の娘
実は黒田直侯(→黒田直方~直養の系図)の娘。
妻の父 酒井忠器→酒井忠器の系図
松平輝徳(てるあきら)/信民【1820-1840】
高崎藩主。実は松平信弥の子。
松平輝充(てるみち)/道教【1822-1862】
高崎藩主。実は本庄道昌(→本庄道昌の系図)の子。
松平輝聴(てるとし)/正連【1827-1860】
高崎藩主。実は松平正敬(→松平正升~正質の系図)の子。
妻 堀田万
堀田正睦(→堀田正睦の系図)の娘。
子 光→土屋英直~挙直の系図
妻 井村氏
子の夫 松平乗承→松平乗完~乗秩の系図
子の夫 前田利同→前田利幹~利同の系図
子の夫 高木正善→高木正善の系図
松平輝声(てるな)/輝照【1848-1882】
高崎藩主。
妻 酒井忠発の娘
妻の父 酒井忠発→酒井忠発~忠宝の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。