このページでは、交野家(桓武平氏・高棟流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
交野時貞~時万の系図
交野時貞【1614-1681】
交野家の祖。
祖父 時当・父 時慶→西洞院行時~時慶の系図
子 時貞の娘【?-1679】(『交野家譜』による。)
子 時貞の娘【?-1659】(『交野家譜』による。)
子 時貞の娘(2人)(『交野家譜』による。)
子の夫 島津光久→島津光久の系図
交野時久【1647-1670】
実は西洞院時良(→西洞院時直~時光の系図)の子。
交野時香【1664-1711】
正三位。実は平松時量(→平松時庸~時春の系図)の子。
妻 山本実富の娘
妻の父 山本実富→山本勝忠~実政の系図
子の夫 高松重季→高松実名~公雄の系図
子の夫 平松時春→平松時庸~時春の系図
孫 時行→平松時行~時厚の系図
交野惟粛/時度【1706-1739】
従三位。実は裏松意光(→裏松資清~益光の系図)の子。
交野時永【1731-1785】
権中納言。実は長谷範昌(→長谷忠康~信成の系図)の子。
子 信徳【1771-?】
子 時永の息子(2人)(『交野家譜』による。)
交野時利【1766-1830】
参議。
妻 藤井充行の娘
妻の父 藤井充行→藤井充行の系図
子 時利の娘【1791-1792】(『交野家譜』による。)
子 宣麿【1793-1794】(『交野家譜』による。)
子 時利の娘【1795-?】(『交野家譜』による。)
子 時利の娘【?-1803】(『交野家譜』による。)
交野時雍/匡直【1785-1835】
正三位。実は広橋伊光(→広橋伊光の系図)の子。
子 時誠【1801-1827】
子 時万〔養父:交野時晃〕
子 時雍の息子【?-1830】(『交野家譜』による。)
子 時雍の息子【?-1834】(『交野家譜』による。)
子の夫 六角博通(『交野家譜』による。)→六角基維~博通の系図
交野時晃【1818-1861】
正三位。実は広橋胤定(→広橋胤定の系図)の子。
交野時万(ときつむ)【1832-1914】
正三位。実は交野時雍の子。
妻 池尻延房の娘
妻の父 池尻延房→池尻栄房~胤房の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。