このページでは、高倉家(藤原氏北家・長良流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
高倉家(半家)の略系図
1 永季→高倉永季~永豊の系図
5 永継→高倉永継~永相の系図
9 永孝→高倉永孝~永俊の系図
13 永重→高倉永重~永秀の系図
17 永範→高倉永範~永祜の系図
高倉永季~永豊の系図
高倉永季(ながすえ)【1338-1392】
参議。高倉家の祖。衣紋で後光厳天皇~後小松天皇に奉仕し、公卿に列した。
祖父 永忠・父 範賢→藤原範昌~冷泉範賢の系図
妻 藤原朝尹の娘
妻の父 藤原朝尹→藤原懐広の系図
妻 藤原光綱の娘
妻の父 藤原光綱→藤原宗光の系図
子 永俊
参議。
孫 永宣/永盛
高倉永行(ながゆき)【?-1416】
参議。母は藤原光綱(→藤原宗光の系図)の娘とも。『法体装束抄』などを著した。
高倉永藤(ながふじ)【1385-1436】
参議。硫黄島へ流罪になった。
子 永国(『系図纂要』による。)
高倉永豊【1407-1478】
権中納言。
子 永継・孫 永康→高倉永継~永相の系図
子 永煕(『系図纂要』による。)
子の夫 今出川教季→今出川兼季~公彦の系図
子の夫 徳大寺公有→徳大寺公有~公胤の系図
高倉永継~永相の系図
高倉永継【1427-1510】
権中納言。
祖父 永藤・父 永豊→高倉永季~永豊の系図
妻 東坊城益長の娘
妻の父 東坊城益長→東坊城益長~長維の系図
子 継子→後花園天皇~後柏原天皇の系図
子の夫 甘露寺元長→甘露寺房長~伊長の系図
子の夫 光兼→光兼の系図
子の夫 山科言国→山科顕言~言総の系図
子の夫 善鎮(『系図纂要』による。)
高倉永康【1464-1512】
参議。
妻 伊勢貞誠の娘
妻の父 伊勢貞誠→伊勢貞誠の系図
高倉永家(ながいえ)【1496-1578】
権大納言。
妻 伊勢貞陸の娘
妻の父 伊勢貞陸→伊勢貞陸の系図
子 増鎮・貞海(『系図纂要』による。)
子 堀河親具・孫 康胤→堀河親具~則康の系図
孫 樋口信孝→樋口信孝~康煕の系図
子の夫 広橋国光→広橋兼秀・国光の系図
孫 兼勝→広橋兼勝・総光の系図
子の夫 水無瀬兼成(『系図纂要』による。)→水無瀬具景~兼成の系図
子 量子→後奈良天皇~誠仁親王の系図
子 煕子(『系図纂要』による。)→九条政基~兼孝の系図
孫 九条幸家→九条幸家~輔実の系図
子 永家の娘(『系図纂要』による。)
高倉永相(ながすけ)/永綱【1531-1585】(以下、『系図纂要』による。)
権大納言。足利義昭について二条城を守るが、織田信長に降伏した。
子 永孝・孫 永慶→高倉永孝~永俊の系図
子の夫 水無瀬氏成→水無瀬氏成~氏信の系図
高倉永孝~永俊の系図
高倉永孝【1560-1607】
権中納言。
祖父 永家・父 永相→高倉永継~永相の系図
妻 三条西実世の娘
妻の父 三条西実世→三条西実世~実条の系図
子 白川雅陳〔養父:白川顕成〕→雅朝王~白川資訓の系図
高倉永慶(ながよし)【1591-1664】
権大納言。
妻 佐竹義重の娘
妻の父 佐竹義重→佐竹義重の系図
子 佐竹義寛(よしひろ)【1625-1676】〔養父:佐竹義長〕
子の夫 中院通純→中院通勝~通純の系図
孫 通茂→中院通茂~通枝の系図
子 佐竹義隣〔養父:佐竹主計〕(『高倉家譜』による。)
『系図纂要』では、義隣・義寛の名はなく、義親・永晴を掲げる。
子 永愿(『高倉家譜』による。)
子の夫 一柳直家→一柳宣高~末礼・直澄~直里の系図
高倉永敦/永将【1615-1681】
権大納言。
妻 持明院基定の娘
妻の父 持明院基定→持明院基定~基雄の系図
子 永重〔養父:高倉永俊〕→高倉永重~永秀の系図
子 永福〔養父:高倉永重〕→高倉永重~永秀の系図
子 滋野井公澄〔養父:滋野井実光〕→滋野井公澄~公麗の系図
子 堅誡・永元・真舜・尭什(『高倉家譜』による。)
子の夫 清閑寺煕房→清閑寺煕房~秀定の系図
子の夫 東園基量→東園基教~基雅の系図
子の夫 秀旭(『高倉家譜』による。)
子の夫 清岡長時(『高倉家譜』による。)→清岡長時~長説の系図
高倉永俊【1640-1658】
子 永重・孫 永福→高倉永重~永秀の系図
高倉永重~永秀の系図
高倉永重【1653-1724】
実は高倉永敦(→高倉永孝~永俊の系図)の子。
祖父 永敦・父 永俊→高倉永孝~永俊の系図
子 堤晴長〔養父:堤為量〕→中川貞長~堤功長の系図
子 永房〔養父:高倉永福〕
子 永重の娘(『高倉家譜』による。)
子の夫 園基香→園基福~基香の系図
孫 基衡→園基衡~基祥の系図
高倉永福/季任【1657-1725】
権大納言。実は高倉永敦(→高倉永孝~永俊の系図)の子。
高倉永房【1688-1755】
権大納言。実は高倉永重の子。
妻 松木宗顕の娘
妻の父 松木宗顕→松木宗顕~宗有の系図
子 持明院宗時〔養父:持明院基胤〕→持明院基胤~基和の系図
子 舟橋本賢〔養父:舟橋親賢〕→舟橋本賢の系図
子 聖恕(『高倉家譜』による。)
子の夫 園基衡→園基衡~基祥の系図
子の夫 近衛内前(『高倉家譜』による。)→近衛家久・内前の系図
高倉永秀(ながひで)【1728-1799】
正三位。宝暦事件に連座した。
妻 永井直期の娘
妻の父 永井直期→永井直期・直行の系図
夫 飛鳥井雅重→飛鳥井雅香~雅望の系図
子 永晃【1750-1754】
妻 西洞院万知
西洞院範篤(→西洞院範篤~信愛の系図)の娘。
子 永範・孫 永彰→高倉永範~永祜の系図
子 八千姫〔養父:樋口基康〕→樋口基康・冬康の系図
子 永秀の娘(2人)(『高倉家譜』による。)
高倉永範~永祜の系図
高倉永範【1753-1805】
参議。
祖父 永房・父 永秀→高倉永重~永秀の系図
祖父 西洞院範篤→西洞院範篤~信愛の系図
妻 持明院宗時の娘
妻の父 持明院宗時→持明院基胤~基和の系図
妻 上冷泉為村の娘
妻の父 上冷泉為村→上冷泉為綱~為村の系図
子 永雅〔養父:高倉永彰〕
子 永範の娘(『高倉家譜』による。)
子の夫 高野保右(『高倉家譜』による。)→高野保春~保建の系図
高倉永彰【1774-1788】
高倉永雅【1784-1855】
権大納言。実は高倉永範の子。
妻 勧修寺経逸の娘
妻の父 勧修寺経逸→勧修寺顕道~経逸の系図
子 永雅の息子(4人)(『高倉家譜』による。)
子 永雅の娘(『高倉家譜』による。)
子の夫 樋口保康→樋口宜康~静康の系図
子の夫 長谷信篤(『高倉家譜』による。)→長谷忠康~信成の系図
『系図纂要』では永雅の子として長谷信篤を掲げる。
子の夫 鷲尾隆賢→鷲尾隆長~隆聚の系図
高倉永胤【1811-1845】
正三位。
妻 飛鳥井雅光の娘
妻の父 飛鳥井雅光→飛鳥井雅香~雅望の系図
子 永胤の息子・子 寿子(『高倉家譜』による。)
子の夫 樋口静康(『高倉家譜』による。)→樋口宜康~静康の系図
子の夫 香頂(『高倉家譜』による。)
高倉永祜【1838-1868】
従三位。
妻 坊城初子
坊城俊明(→坊城俊明~俊章の系図)の娘。
妻 広橋光成の娘
妻の父 広橋光成→広橋光成~胤光の系図
夫 三条西公允→三条西実称~公允の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。