このページでは、小笠原氏(清和源氏・義光流)・忠知流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
小笠原氏・忠知流(肥前国唐津藩主)の略系図
1 忠知→小笠原忠知~長重の系図
1-A 長定→小笠原長定~長有の系図
1-B 長秋→小笠原長秋~長栄の系図
5 長煕→小笠原長煕~長恭の系図
8 長尭→小笠原長尭~長国の系図
小笠原忠知~長重の系図
小笠原忠知(ただとも)/貞政(さだまさ)【1599-1663】
豊後国木付藩主・三河国吉田藩主。
祖父 貞慶・父 秀政→小笠原貞慶・秀政の系図
祖父 徳川家康→徳川家康の系図
妻 多賀光定の娘
子 長敦(ながあつ)/忠敦(ただあつ)【1627-1651】
妻 馬杉氏
子 長定・孫 長郷→小笠原長定~長有の系図
妻 大米氏
子 長秋・孫 長之→小笠原長秋~長栄の系図
子 長一(ながかず)【1654-1682】
小笠原長矩(ながのり)/忠根(ただもと)/長頼(ながより)【1624-1678】
吉田藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 菅沼定芳の娘
妻の父 菅沼定芳→菅沼定芳の系図
子 長重〔養父:小笠原長祐〕
子 米【1642-1663】
小笠原長祐(ながすけ)/長治(ながはる)/長教(ながのり)【1644-1690】
吉田藩主。
妻 黒田長興の娘
妻の父 黒田長興→黒田長興~長貞の系図
子 長千代【1673-1674】
子 勝【1675-1688】
子 豊【1678-1686】
子 通【1681-1690】
子 長祐の娘【?-1683】
小笠原長重(ながしげ)/長好(ながよし)/長亮(ながあきら)【1650-1732】
老中・吉田藩主・武蔵国岩槻藩主。実は小笠原長矩の子。
妻 細川興隆の娘
妻の父 細川興隆→細川興元~興誠の系図
子 長道(ながみち)【1684-1697】
子 長煕・孫 長庸→小笠原長煕~長恭の系図
子 八之丞【1692-1702】
小笠原長定~長有の系図
小笠原長定(ながさだ)【1640-1720】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
母は『華族系譜』による。
祖父 秀政→小笠原貞慶・秀政の系図
父 忠知→小笠原忠知~長重の系図
妻 庭田雅純の娘
妻の父 庭田雅純→庭田雅純~重孝の系図
子 長之〔養父:小笠原長秋〕→小笠原長秋~長栄の系図
子 長昌(ながまさ)【1671-1701】
子の夫 筒井政明→筒井政明の系図
小笠原長郷(ながさと)【1667-1708】
妻 前田孝矩の娘
妻の父 前田孝矩→前田孝矩~矩方の系図
子の夫 横山忠知→横山忠知の系図
子の夫 浅野氏備→浅野氏備の系図
小笠原長剛(ながかた)/長輝(ながてる)【1688-1750】
子 長剛の娘〔養父:小笠原長賢〕
小笠原長賢(ながよし)【1715-1769】〔養父:小笠原長煕(→小笠原長煕~長恭の系図)〕
小笠原長儀(ながよし)/政辰(まさとき)【1724-1757】
実は小笠原政登(→小笠原政登の系図)の子。
妻 小笠原長賢の娘
実は小笠原長剛の娘。
子 広保〔養父:小笠原広芬〕→小笠原広保の系図
小笠原長有(ながもち)【1750-?】
妻 伊達村信の娘
妻の父 伊達村信→伊達宗純~村信の系図
子 長坦【1795-1842】
実は小笠原長尭(→小笠原長尭~長国の系図)の子。
子 八百【1791-1795】
実は小笠原長尭(→小笠原長尭~長国の系図)の娘。
小笠原長秋~長栄の系図
小笠原長秋(ながあき)【1643-1707】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
母は『華族系譜』による。
祖父 秀政→小笠原貞慶・秀政の系図
父 忠知→小笠原忠知~長重の系図
妻 横山知清の娘
妻の父 横山知清→横山知清の系図
小笠原長之(ながゆき)/長託(ながより)【1668-1733】
実は小笠原長定(→小笠原長定~長有の系図)の子。
子の夫 久松定愷→久松定弘~定安の系図
小笠原長員(なかかず)【1704-1781】
実は細川利昌(→細川利重~利恭の系図)の子。
子の夫 植村泰頼→植村則泰~泰根・泰久~泰贇の系図
子の夫 向井政香→向井政香の系図
小笠原長民(ながたみ)【1724-1762】
妻 竹中定矩の娘
妻の父 竹中定矩→竹中定矩の系図
子の夫 竹本正温→竹本正温の系図
子の夫 桑山一新→桑山一新の系図
子の夫 渡辺直→渡辺均~直・保~胤の系図
小笠原長知(ながとも)【1746-1789】
妻 芦野資演の娘
妻の父 蘆野資演→蘆野資演の系図
夫 芦野資予→蘆野資予の系図
妻 中川忠英の娘
妻の父 中川忠英→中川忠英の系図
小笠原長栄(ながひさ)【1782-?】
実は片桐貞芳(→片桐貞芳の系図)の子。
妻 小笠原長知の娘
実は松平乗完(→松平乗完~乗秩の系図)の娘。
小笠原長煕~長恭の系図
小笠原長煕(ながひろ)/長信(ながのぶ)/長寛(ながひろ)【1690-1752】
岩槻藩主・遠江国掛川藩主。
祖父 長祐・父 長重→小笠原忠知~長重の系図
妻 松平染姫
松平頼貞(→松平頼元・頼貞の系図)の娘。
子 大吉【1711-1716】
子 万勝【1719-1721】
子 加弥/栄【1715-1732】
子 長賢→小笠原長定~長有の系図
実は小笠原長剛の子。
子 留勢【1723-1734】
子 逸【1724-1734】
小笠原長庸(ながつね)【1722-1744】
掛川藩主。実は小笠原長丘(→小笠原長章~長世の系図)の子。
妻 小笠原庫【1717-1740】
小笠原長煕の娘。当初は小笠原長賢に嫁ぐ予定であった。
子 鍋→小笠原真方~貞顕の系図
孫 小笠原貞温→小笠原貞温~貞正の系図
子 虎→北条氏貞~氏恭の系図
子 敏→九鬼隆貞~隆備の系図
小笠原長恭(ながゆき)/長明(ながあき)【1740-1776】
掛川藩主・陸奥国棚倉藩主。
妻 小笠原永
実は小笠原忠貞(→小笠原忠雄~忠総の系図)の娘。
妻の父 小笠原忠基→小笠原忠雄~忠総の系図
妻 市川園井
子 槌→板倉勝暁~勝殷の系図・織田信浮の系図
妻 栗原環
子 長尭・孫 長昌→小笠原長尭~長国の系図
子 長富(ながとみ)【1765-1805】
母は『華族系譜』による。
子 長英(ながてる)【1769-1816】
小笠原長尭~長国の系図
小笠原長尭(ながたか)【1761-1812】(以下、『華族系譜』による。)
棚倉藩主。
祖父 長庸・父 長恭→小笠原長煕~長恭の系図
妻 松平頼恭の娘
妻の父 松平頼恭→松平頼豊~頼恭の系図
子 長尭の息子【1786】
子 千勝丸【1789-1793】
妻 水野縑/由良
子 長瑗(ながてる)【1789-1809】
子の妻 浅野重晟の娘
子の妻の父 浅野重晟→浅野重晟の系図
子 義八郎【1794-1801】
子 長坦〔養父:小笠原長有〕→小笠原長定~長有の系図
子 辰→北条氏貞~氏恭の系図
子 八百〔養父:小笠原長有〕→小笠原長定~長有の系図
子 重/知【1792-1793】
子 徳/志満/善【1799-1871】
子 千賀/弥名【1804-1862】
妻 石
子 的→小笠原真方~貞顕の系図
妻 砂
子 長貴【1797-1819】
子 橘【1799】
妻 篠
子 冨次郎【1800-1816】
子 理之助【1801-1802】
妻 仲
子 織之助【1808-1822】
子 直五郎【1809-1814】
子 長光/長純【1811-?】
妻 杣
子 統【1809-1814】
子 峯【1770-1775】
子 辰【1810-1814】
小笠原長昌(ながまさ)【1796-1823】
棚倉藩主・肥前国唐津藩主。
妻 水野忠光の娘
妻の父 水野忠光→水野忠光の系図
妻 浪江
子 長行(ながみち)/長会/長若【1822-1891】〔養父:小笠原長国〕
藩主を継ぐ前であったが、藩政にあたり、老中に抜擢された。
子 言→森忠徳の系図
小笠原長泰(ながやす)【1806-1861】
唐津藩主。実は酒井忠徳(→酒井忠徳の系図)の子。
妻 花山
子 直綽/長序【1826-?】〔養父:永井直景〕
子 鋭之助【1829-1838】
子 前田長礼〔養父:前田長徳〕→前田長礼の系図
子 〓(「金」+「民」)→生駒親道の系図
妻 演
子 順孝/長順【1831-?】〔養父:酒井主税〕
子 欽【1829-1850】
妻 高原若浜
子 胖之助【1852-1868】
子 悌【1849-1860】
子 万【1831】
小笠原長会(ながお)【1811-1836】
唐津藩主。実は小笠原長保(→小笠原真方~貞顕の系図)の子。
小笠原長和(ながかず)【1822-1840】
唐津藩主。実は柳沢保泰(→柳沢保光~保申の系図)の子。飢饉により勃発した百姓一揆を鎮圧した。
小笠原長国(ながくに)【1824-1877】〔養子:小笠原長行〕
唐津藩主。実は戸田光庸(→戸田光悌~光則の系図)の子。
妻 土屋彦直の娘
妻の父 土屋彦直→土屋英直~挙直の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。