このページでは、大宮家(藤原氏北家・公季流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
大宮季光~公典の系図
大宮季光【1624-1684】
大宮家の祖。
祖父 実益・父 公益→西園寺公藤~公益の系図
子 季勝【1655-1660】
大宮実勝【1649-1686】
実は姉小路公景(→姉小路公景~実武の系図)の子。
大宮公央【1678-1719】
子 実堅【1703-1720】
母は『大宮家譜』による。
大宮昌季/英季【1714-1760】
正三位。
大宮貞季【1743-1804】
参議。実は西園寺致季(→西園寺実晴~致季の系図)の子。
大宮盛季【1768-1835】
権中納言。
子 篤実〔養父:大宮良季〕
子 俊季〔養父:大宮政季〕
子の夫 慈光寺実仲→慈光寺明郷~右仲の系図
大宮良季/良資【1782-1830】
正三位。実は日野資矩(→日野資時~資平の系図)の子。
妻 外山光実の娘
妻の父 外山光実→外山光顕~光輔の系図
子 公良【1815-1819】
母は『大宮家譜』による。
子 篤実【1800-1803】
実は大宮盛季の子。
子 良季の娘(『大宮家譜』による。)
大宮政季【1806-1862】
正三位。実は清閑寺昶定(→清閑寺益房~盛房の系図)の子。
妻 清閑寺共福の娘
妻の父 清閑寺共福→清閑寺益房~盛房の系図
子 暉季【1822-1828】
母は『大宮家譜』による。
子 俊季【1822-1849】
実は大宮盛季の子。母は『大宮家譜』による。
大宮公典【1844-1863】
母は『大宮家譜』による。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。