このページでは、花園家(藤原氏北家・公季流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
花園実教~実延の系図
花園実教【?-1641】〔養父:三条公頼(→三条実香~公広の系図)〕
祖父 実望→正親町三条実雅~実望の系図
父 公兄→正親町三条公兄~公仲の系図
子 小倉公根〔養父:小倉季藤〕→小倉公種~実躬の系図
子の夫 三条西公国→三条西実世~実条の系図
花園公久(きんひさ)【1591-1631】
母は『花園家譜』による。花園家の祖。
花園実満(さねみつ)【1629-1684】
参議。
子の夫 吉田兼敬→吉田兼敬の系図
子の夫 庭田重条→庭田雅純~重孝の系図
花園公晴(きんはる)【1661-1736】
権中納言。
妻 藤谷為条の娘
『系図纂要』(藤谷家)では、藤谷為茂の娘とされる。
妻の父 藤谷為条→藤谷為賢・為条の系図
花園実廉(さねやす)/実仲【1690-1761】
権大納言。桂宮家仁親王から琵琶の伝授を受けた。
妻 姉小路八代子
姉小路公量(→姉小路公景~実武の系図)の娘。
子 超勝/季視【1737-?】〔養父:姉小路公文(→姉小路公文~公知の系図)、海昭〕
花園公緒【1730-1754】
花園公純/盛季【1734-1765】
実は三条西公福(→三条西公勝~公福の系図)の子。
子 季文【1762-1770】
実は姉小路公文(→姉小路公文~公知の系図)の子。
花園実章【1767-1810】
従三位。実は正親町三条公積(→正親町三条公積~公平の系図)の子。
妻 穂波尚孝の娘
妻の父 穂波尚孝→穂波経尚~経度の系図
花園公燕【1781-1840】〔養子:二条五百姫(→二条治孝~斉敬の系図)〕
参議。
花園実路(さねみち)/脩茂【1800-1837】
従三位。実は園基理(→園基衡~基祥の系図)の子。
花園公総(きんふさ)【1821-1862】
妻 持明院延子
持明院基延(→持明院基胤~基和の系図)の娘。
子 総子(『花園家譜』による。)
『長橋局日記』の執筆に携わった。
花園実延【1851-1882】
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。