このページでは、六条家(村上源氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
六条家(羽林家)の略系図

1 通有→六条通有~有定の系図
7 有継→六条有継~有藤の系図
14 有起→六条有起~有義の系図
六条通有~有定の系図
六条通有
六条家の祖。
祖父 通親→源通親の系図
父 通光→久我通光の系図
祖父 藤原範光→藤原範光の系図
妻 藤原清定の娘
妻の父 藤原清定→藤原永清の系図
六条有房(ありふさ)【1251-1319】
内大臣。歌人としても活躍した。
妻 室町実藤の娘
妻の父 室町実藤→室町実藤~実為の系図
子 中院光忠【1284-1331】
権大納言。左大臣を贈られた。
子の妻 法性寺雅平の娘
子の妻の父 法性寺雅平→法性寺雅平の系図
孫 親光(ちかみつ)/光房【?-1377】
権大納言。
曾孫 光顕/光国【?-1404】
権中納言。
親光孫 雅光/光成【?-1420】〔養父:中院光顕、千種顕経〕
権中納言。実は中院光興の子。
親光孫 具定/光清【?-1466】
権大納言。
親光孫 有継→六条有継~有藤の系図
子 季光/季忠
従三位。
子 房雲/照源【1298-1368】
子の夫 花山院家定→花山院通雅~長定の系図
六条有忠(ありただ)【1281-1338】
権中納言。
妻 橋本実俊の娘
妻の父 橋本実俊→橋本実俊~公国の系図
子 千種忠顕(ただあき)【?-1336】
参議。後醍醐天皇の側近。伊勢千種氏の祖。
孫 顕経【?-1377】
曾孫 雅光
実は中院光興の子。養父は中院光顕とも。
孫 治庸【?-1522】(以下、『系図纂要』による。)
治庸孫 治清【?-1544】
治庸孫 顕理【?-1614】
六条有光【1310-?】
権中納言。
妻 園基藤の娘
妻の父 園基藤→園基氏~基藤の系図
六条有孝【1348-1392】
六条有定(ありさだ)【1385-1448】
権大納言。
子 有継・孫 有親→六条有継~有藤の系図
六条有継~有藤の系図
六条有継【1435-1512】
権中納言。実は千種具定(→六条通有~有定の系図)の子。
祖父 有孝・父 有定→六条通有~有定の系図
孫 有清(『系図纂要』による。)
六条有親/俊久/俊広/有広【1564-1616】(以下、『系図纂要』による。)
権中納言。実は下冷泉為純(→下冷泉為純~為経の系図)の子。
妻 久我俊子
久我通堅(→久我晴通~敦通の系図)の娘。
子 有清(『六条家譜』による。)
六条有純(ありずみ)【1604-1644】
参議。
妻 戸田為春の娘
妻の父 戸田為春→戸田氏輝~氏鉄の系図
子 戸田氏豊→戸田氏豊の系図
子 日運(にちうん)【?-1686】
子 有雅(『六条家譜』による。)
子 中条信澄【?-1712】
孫 信治/康貞【1676-1739】
曾孫 信復【?-1742】
信澄孫 信敬/康隆【?-1815】
信澄孫 信義【?-1827】
信澄孫 信徳【?-1830】
子 お万の方→徳川家光・家綱の系図
六条有和【1623-1686】
権中納言。
子 房忠〔養父:六条有綱〕
子 有藤〔養父:六条房忠〕
子の夫 土屋政直→土屋数直・政直の系図
六条有綱【1654-1698】
妻 戸田氏信の娘
妻の父 戸田氏信→戸田氏信・氏西・氏広~氏昌の系図
夫 高木貞長→高木貞長の系図
妻 秋月種春の娘
妻の父 秋月種春→秋月種実~種信の系図
六条房忠/光胤【1668-1735】
実は六条有和の子。所労により官位を望まなかった。
六条有藤(ありふじ)/雅共/有慶【1672-1729】
権中納言。実は六条有和の子。
妻 広橋貞光の娘
妻の父 広橋貞光→広橋兼賢~貞光の系図
子 有起・孫 有栄→六条有起~有義の系図
子 櫛笥隆望〔養父:櫛笥隆周〕→櫛笥隆望~隆韶の系図
子 有栄〔養父:六条有起〕→六条有起~有義の系図
子 元雅〔養父:広幡豊忠〕→広幡忠幸・豊忠の系図
子の夫 米津田岡(『寛政重修諸家譜』による。)→米津田賢~田張・田和~田昌の系図
子の夫 斎藤三安(『寛政重修諸家譜』による。)→斎藤三安の系図
六条有起~有義の系図
六条有起【1701-1778】〔養子:阿野公縄の娘(→阿野公縄~実允の系図)〕
権大納言。
祖父 房忠・父 有藤→六条有継~有藤の系図
祖父 広橋貞光→広橋兼賢~貞光の系図
妻 山本公尹の娘
妻の父 山本公尹→山本勝忠~実政の系図
六条有栄/忠貞【1727-1787】
権大納言。実は六条有藤(→六条有継~有藤の系図)の子。
妻 山本実覩の娘
妻の父 山本実覩→山本勝忠~実政の系図
子 有家〔養父:六条有庸〕
子の夫 四辻公万→四辻公韶~公賀の系図
六条有庸【1752-1829】〔養子:慈光寺具仲の娘(→慈光寺明郷~右仲の系図)〕
権大納言。
妻 藪保季の娘
妻の父 藪保季→藪保季~実方の系図
子 有福【1779-1781】
子 有輝【1781-1783】
六条有家【1770-1815】
権中納言。実は六条有栄の子。
妻 山本公逵の娘
妻の父 山本公逵→山本勝忠~実政の系図
子 有家の息子(2人)(『六条家譜』による。)
六条有言/栄保【1791-1846】
参議。実は久世通根(→久世栄通~通煕の系図)の子。
子 梅渓通善〔養父:梅渓通修〕→梅渓通仲~通治の系図
子 有義〔養父:六条有容〕
子 真照・子 有言の娘(2人)(『六条家譜』による。)
子の夫 桜本為昭(『六条家譜』による。)
子の夫 藤大路納親(『六条家譜』による。)→堀河康暁~康隆の系図
六条有容【1814-1890】
権中納言。
妻 仙石久道の娘
妻の父 仙石久道→仙石久道の系図
子 有容の息子(『六条家譜』による。)
子 有容の息子・子 有容の娘(2人)(『六条家譜』による。)
六条有義【1829-1903】〔養父:久我通明(→久我信通~通久の系図)〕
実は六条有言の子。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。