このページでは、大江氏の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
大枝本主・大江音人の系図
大枝本主
『尊卑分脈』などでは平城天皇の皇子である阿保親王の子とする。
大江音人(おとんど)【811-877】
参議。大枝を大江に改め、江相公と号した。『日本文徳天皇実録』や『貞観格式』の編纂に携わった。
子 千里(ちさと)
三十六歌仙の一人。
子 千古・孫 維時→大江千古~成衡の系図
孫 朝綱→大江朝綱の系図
曾孫 如鏡(ゆきあきら)
如鏡孫 師業〔養父:小槻永業(→小槻永業の系図)〕
曾孫 成通/利兼
大江朝綱の系図
大江朝綱(あさつな)【886-957】
参議。詩文にすぐれた。後江相公と号した。
祖父 音人・父 玉淵→大枝本主・大江音人の系図
孫 清通(きよみち)
孫の妻 藤原豊子(ほうし)
藤原道綱(→藤原道綱の系図)の娘。藤原彰子に仕え、後一条天皇の乳母を務めた。
曾孫 定経
曾孫の妻 藤原成房の娘
曾孫の妻の父 藤原成房→藤原伊尹・義孝の系図
曾孫の子の夫 藤原経家・曾孫の子の夫 藤原定綱→藤原公任の系図
曾孫の子の夫 源高房→源行任・高房の系図
澄明孫 清綱〔養父:藤原公成(→藤原公成の系図)〕
清綱の子の夫 源俊頼→源俊頼の系図
曾孫の夫 藤原実経→藤原行成の系図
曾孫の夫 藤原輔公→藤原清通の系図
曾孫の夫 源頼成→源頼成の系図
曾孫 朝通
曾孫の子の夫 藤原公経→藤原公経・成経の系図
曾孫 佐国(すけくに)
漢詩をよくした。『拾遺抄目録』の著者といわれる。
澄江孫 景遠
実は藤原景通の孫。
澄江孫 公国/公佐
澄江孫 盛家/公家
大江千古~成衡の系図
大江千古(ちふる)【866-924】
醍醐天皇の侍読を務めた。
祖父 本主・父 音人→大枝本主・大江音人の系図
妻 巨勢文雄の娘
妻の父 巨勢文雄(ふみお)【824-892】
子 維望/維潔
孫 理任
父は大江維望とも。
曾孫 以言(もちとき)【955-1010】
以言孫 以円(いえん)(『系図纂要』による。)
清言孫 公資
公資の妻 源頼光の娘
公資の妻の父 源頼光→源頼光の系図
公資の子の夫 藤原永相→藤原守正~資国の系図
清言孫 広経
広経の子の夫 藤原成季→藤原成季~永範の系図
大江維時(これとき)【888-963】
中納言。醍醐天皇~村上天皇の侍読を務めた。江納言と称された。
子 斉光(ただみつ)【934-987】
参議。
孫 定基/寂照(じゃくしょう)【?-1034】
子の夫 藤原兼通→藤原兼通の系図
大江重光(しげみつ)【?-1010】
大江匡衡(まさひら)【952-1012】
一条天皇の侍読。儒者として活躍した。
妻 赤染衛門(あかぞめえもん)
平兼盛(→式瞻王・興我王・忠望王の系図)の娘。三十六歌仙の一人。源倫子に仕えた。『栄花物語』の作者とされる。
子 江侍従(ごうじのじじゅう)
藤原道長に仕えた。
子 林豪
実は平生成の子。養父は大江挙周とも。
大江挙周(たかちか)【?-1046】〔養子:藤原信綱(→藤原季随の系図)、林豪〕
大江成衡(しげひら)
子 匡房・孫 維順→大江匡房~維光の系図
大江匡房~維光の系図
大江匡房(まさふさ)【1041-1111】〔養子:藤原家保(→藤原師家・家範の系図)〕
権中納言。政治家・漢文学者として活躍し、『江家次第』など多くの著作を遺した。
祖父 挙周・父 成衡→大江千古~成衡の系図
子 広房→橘広房の系図
実は橘以綱の子。
子 有元→源顕定の系図
実は源有宗の子。
大江維順(これのぶ)/匡時
子の夫 大炊御門光能→大炊御門光能の系図
子の夫 中原広季→中原広季の系図
大江維光(これみつ)
子 匡範→大江匡範の系図
子 時房(『系図纂要』による。)
子 親光
父は中原広忠(→中原広忠の系図)とも。
孫 親厳〔養父:中原広季(→中原広季の系図)〕
子 広元→大江広元の系図
孫 毛利季光→毛利季光~貞親の系図
子の夫 藤原仲教→藤原義綱の系図
子の夫 近藤能成→近藤脩行~能成の系図
子の夫 藤原重保→藤原邦忠の系図
大江広元の系図
大江広元(ひろもと)【1148-1225】〔養父:中原広季(→中原広季の系図)〕
実は大炊御門光能(→大炊御門光能の系図)の子。源頼朝に招かれて鎌倉幕府で政所別当を務め、幕府の基礎固めに貢献した。
祖父 維順・父 維光→大江匡房~維光の系図
子 親広→大江親広の系図
子 長井時広→長井時広の系図
子 那波宗元→那波宗元の系図
子 毛利季光・孫 経光→毛利季光~貞親の系図
子 忠成→大江忠成の系図
子 重清→藤原邦忠の系図
実は藤原重保の子。
子の夫 飛鳥井雅経→飛鳥井雅経~雅孝の系図
子の夫 中原師業→中原師業の系図
子の夫 滋野井実国→滋野井実国~実宣の系図
子の夫 川原公国→川原実家・公国の系図
孫 実重・孫 近衛実光→川原実重・近衛実光の系図
子の夫 藤原仲教→藤原義綱の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。