このページでは、細川氏(清和源氏・義国流)・頼貞流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
細川氏・頼貞流(肥後国熊本藩主)の略系図
1 頼貞→細川頼貞~忠興の系図
12 忠利→細川忠利~綱利の系図
15 宣紀→細川宣紀~治年の系図
19 斉茲→細川斉茲~護久の系図
細川頼貞~忠興の系図
細川頼貞(よりさだ)【?-1335】
祖父 義季・父 俊氏→細川義季・俊氏の系図
子 直俊(なおとし・ただとし)【1319-1337】
足利尊氏に従い、南朝方の大塚惟正と戦って討ち死にした。
子 氏之〔養父:細川顕氏〕
子 定禅(じょうぜん)
足利尊氏に呼応して讃岐で挙兵した。
子 皇海(こうかい)
土佐守護。
子 繁氏・政氏
父は細川顕氏とも。
細川顕氏(あきうじ)【?-1352】
足利尊氏に従い、石清水八幡宮に籠る南朝方を破った。
子 繁氏(しげうじ)【?-1359】
父は細川頼貞とも。足利義詮に従って南朝方と戦った。
孫 祐氏(以下、『系図纂要』による。)
子 氏之【?-1359】
実は細川頼貞の子。
子 政氏
父は細川頼貞とも。19歳で討ち死にした。
細川業氏(なりうじ)/経氏
実は細川和氏(→細川公頼・頼春の系図)の子。
細川満経(みつつね)
細川持経(もちつね)
細川成経(なりつね)【1428-?】
細川尚経(なおつね)
細川尹隆(ただたか)/尹経(ただつね)
細川晴経(はるつね)
細川輝経(てるつね)(以下、『系図纂要』による。)
細川忠興(ただおき)【1563-1645】
豊前国中津藩主・豊前国小倉藩主。実は細川藤孝(→細川頼有~藤孝の系図)の子。
妻 明智ガラシャ/玉子【1563-1600】
明智光秀(→明智光秀の系図)の娘。キリスト教を信仰した。関ケ原の戦いに際し、石田三成の人質要求を拒んで亡くなった。
子 忠隆(ただたか)【1580-1646】
子の妻 前田千世
前田利家(→前田利家・利長の系図)の娘。
孫の夫 西園寺実晴→西園寺実晴~致季の系図
子 長岡興秋(おきあき)/有閭【?-1615】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 忠利・孫 光尚→細川忠利~綱利の系図
子 多羅→稲葉貞通~一通の系図
孫 稲葉信通→稲葉信通~恒通の系図
子 長
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 清田氏
子 立孝・孫 行孝→細川立孝~興里の系図
子 興孝(おきたか)【1617-1679】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 郡氏
子 古保
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 明智氏
子 万姫→烏丸光宣~光賢の系図
孫 烏丸資慶→烏丸資慶~宣定の系図
孫 裏松資清→裏松資清~益光の系図
子 寄之〔養父:長岡興長〕(『細川家譜(肥後熊本)』による。)
細川忠利~綱利の系図
細川忠利(ただとし)/忠辰【1586-1641】
小倉藩主・肥後国熊本藩主。島原の乱の鎮圧にあたった。
祖父 輝経・父 忠興→細川頼貞~忠興の系図
祖父 明智光秀→明智光秀の系図
妻 徳川千代姫
実は小笠原秀政(→小笠原貞慶・秀政の系図)の娘。
妻の父 徳川秀忠→徳川秀忠の系図
妻 金子氏
子 宗玄(そうげん)【?-1684】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 額田氏
子 尚房(なおふさ)/尚良(なおよし)【1637-1680】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 元知〔養父:南条元信〕
子 藤→松平忠弘の系図
細川光尚(みつなお)/光利(みつとし)/光貞(みつさだ)【1619-1649】
熊本藩主。いとこの行孝に3万石を分与した。
妻 烏丸光賢の娘
妻の父 烏丸光賢→烏丸光宣~光賢の系図
妻 清水氏
子 利重・孫 利昌→細川利重~利恭の系図
細川綱利(つなとし)【1643-1714】
熊本藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。63年間藩主を務めた。
妻 松平犬
実は徳川頼房(→徳川頼房の系図)の娘。
妻の父 松平頼重→松平頼重・頼常の系図
子 菊→松平頼純の系図
子 光→酒井忠勝~忠真・忠俊~忠盈の系図
子 松
母は『寛政重修諸家譜』による。西園寺公満に嫁ぐ予定であった。
子 揚→松平隆政~直道の系図
子 吉→細川利重~利恭の系図
妻 仁田氏
子 与一郎【1687-1700】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 吉利(よしとし)/利章(としあき)【1689-1706】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 伊津
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 平賀氏
子 綱利の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 黒川氏
子 綱利の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 宣紀・孫 宗孝→細川宣紀~治年の系図
子 具→久我通誠~通兄の系図
子 初姫→松平定陳~定温の系図
細川宣紀~治年の系図
細川宣紀(のぶのり)/利武(としたけ)【1676-1732】
熊本藩主。実は細川利重(→細川利重~利恭の系図)の子。
祖父 光尚・父 綱利→細川忠利~綱利の系図
妻 小田野氏
子 竹之助・万次郎・子 宣紀の娘(2人)
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 鳥居氏
子 八三郎【?-1714】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 喜和→宗義誠~義蕃の系図
子 三千→安藤信尹~信馨の系図
子 竜五郎・子 宣紀の娘(2人)
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 安野氏
子 興彭【?-1785】〔養父:長岡興行〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 八代→松平頼豊~頼恭の系図
孫 松平頼真→松平頼真~頼儀の系図
子 衛代・津代
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 宣紀の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
妻 岩瀬氏
子 重賢〔養父:細川宗孝〕
子 豊→織田信旧の系図
子 軌子→細川立孝~興里の系図
妻 友成氏
子 長岡紀休/紀豊【?-1787】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 宣紀の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
細川宗孝(むねたか)/紀逵(のりみち)【1716-1747】
熊本藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。板倉勝該に人違いで斬りつけられて亡くなった。
妻 徳川友姫
徳川宗直(→徳川宗直の系図)の娘。
細川重賢(しげかた)/紀雄(のりお)【1720-1785】
熊本藩主。実は細川宣紀の子。藩政改革を行い、藩校時習館を創設した。
妻 久我通兄の娘
妻の父 久我通兄→久我通誠~通兄の系図
妻 小川氏
子 長岡豪次
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 親→細川興虎~興貫の系図
細川治年(はるとし)/賢年(かたとし)【1758-1787】
熊本藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。『寛政重修諸家譜』によれば、遠藤氏を母とする娘が一人いる。
妻 細川興文の娘
妻の父 細川興文→細川興文の系図
妻 織田氏
子 長岡応五郎
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 咸→松平頼永~頼策の系図
子 斉茲・孫 斉樹→細川斉茲~護久の系図
子 年和(『細川家譜(肥後熊本)』による。)
子 就→久我信通~通久の系図
細川斉茲~護久の系図
細川斉茲(なりしげ)/立礼(たつひろ)【1755-1835】
肥後国宇土藩主・熊本藩主。実は細川興文(→細川興文の系図)の子。
祖父 重賢・父 治年→細川宣紀~治年の系図
妻 岩城隆恭の娘
妻の父 岩城隆恭→岩城隆恭の系図
子 立之→細川立之~行真の系図
妻 守氏
子の夫 松平斉恒→松平宣維~定安の系図
子 富子→一条忠良~実良の系図
細川斉樹(なりたつ)/茲樹(しげたつ)【1797-1826】(以下、『細川家譜(肥後熊本)』による。)
熊本藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 一橋治済の娘
妻の父 一橋治済→一橋治済の系図
細川斉護(なりもり)/立政(たつまさ)【1804-1860】
宇土藩主・熊本藩主。実は細川立之(→細川立之~行真の系図)の子。
妻 浅野斉賢の娘
妻の父 浅野斉賢→浅野斉賢~長勲の系図
子 慶前/護前
子の妻 細川利用の娘
子の妻の父 細川利用→細川利寛~利永の系図
子 護久〔養父:細川韶邦〕
子 津軽承昭〔養父:津軽順承〕→津軽信寧~承昭の系図
子 喜連川紀氏〔養父:喜連川煕氏〕→喜連川氏連~足利聡氏の系図
子 行芬→細川行芬の系図
子 勇→松平宗昌~茂昭の系図
細川韶邦(よしくに)/慶順(よしゆき)/護順【1835-1876】
熊本藩主。
妻 一条峯子/礼子/篤君
実は三条実万(→三条実顕~実美の系図)の娘。
妻の父 一条忠香→一条忠良~実良の系図
細川護久(もりひさ)/喜廷【1839-1893】
熊本藩主。実は細川斉護の子。
妻 鍋島宏子
鍋島直正(→鍋島斉直~直大の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。