二条家(藤原氏北家)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、二条家(藤原氏北家)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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二条良実・師忠の系図

二条良実・師忠の系図

  二条良実(よしざね)【1216-1270】〔養子:九条彦子(→守貞親王~四条天皇の系図)〕
 関白・左大臣。父道家に義絶された。二条家の祖。家名は邸宅が二条京極にあったことによる。普光園院殿と号した。

祖父 良経九条良経の系図
 道家九条道家の系図
祖父 西園寺公経西園寺公経の系図

 藤原儷子
 藤原隆衡(→藤原隆衡の系図)の娘。二条師忠の養母。
 道良(みちなが)【1234-1259】
 左大臣。
子の妻 藤原為家の娘
子の妻の父 藤原為家藤原為家の系図

子の妻 藤原有信の娘
子の妻の父 藤原有信坊門信清の系図

孫の夫 九条忠教九条教実~師教の系図

 藤原隆保の娘
妻の父 藤原隆保藤原隆季の系図
 教良【1234-?】
 権大納言。
 経教【1286-?】〔養父:二条師忠〕
 正二位。
孫の夫 二条兼基→二条兼基の系図

 持明院厚子
 持明院家能(→持明院基宗~基世の系図)の娘。
 道玄(どうげん)【1237-1304】
 天台座主。後宇多天皇の護持僧を務めた。

 藤原親仲の娘
妻の父 藤原親仲水無瀬親兼~具隆の系図
 経通【1255-?】
 正二位。母は藤原有信(→坊門信清の系図)の娘とも。
 良雲/道尊〔養父:二条兼基(→二条兼基・道平の系図)〕

 松殿隆忠の娘
妻の父 松殿隆忠松殿隆忠・師家の系図
 尋源
 母は藤原基忠(→松殿隆忠・師家の系図)の娘とも。
 道潤〔養父:二条良実〕

 藤原兼良の娘
妻の父 藤原兼良藤原兼房の系図

 兼基〔養父:二条師忠〕→二条兼基・道平の系図
 道潤
 実は尋源の子。
 良宝
子の妻 松殿基嗣の娘
子の妻の父 松殿基嗣松殿隆忠・師家の系図
 良忠(りょうちゅう)
 護良親王に仕えた。

 道乗〔養父:二条師忠〕
子の夫 徳大寺公孝徳大寺実基~実孝の系図
子の夫 源彦仁→源彦仁の系図


  二条師忠(もろただ)【1254-1341】〔養子:藤原経教、良忠、道乗、道救(→三条実親・公親の系図)〕
 関白・左大臣。香園院殿と号した。
 藤原裎子
 藤原基信(→坊門忠信の系図)の娘。
 兼基 道平二条兼基・道平の系図

 源康成の娘
 冬通【1285-1316】
 正三位。

子の夫 二条道平二条兼基・道平の系図

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二条兼基・道平の系図

二条兼基・道平の系図

  二条兼基(かねもと)【1268-1334】〔養子:藤原忠基(→九条良経の系図)、良雲(→二条良実・師忠の系図)〕
 摂政・関白・太政大臣。実は二条良実(→二条良実・師忠の系図)の子。光明照院殿と号した。

祖父 良実 師忠二条良実・師忠の系図
祖父 藤原基信坊門忠信の系図

 藤原宣子(せんし)【?-1321】
 藤原為顕(→藤原為家の系図)の娘。歌人。後宇多天皇に仕えた。

 源兼任の娘
妻の父 源兼任清仁親王~源顕康の系図
 師基(もろもと)【1301-1365】〔養父:二条道平〕
 権大納言。南朝に仕え、関白・左大臣になった。
子の妻 藤原長嗣の娘
子の妻の父 藤原長嗣清水谷公定の系図

 教基
 南朝で関白になった。
曾孫 冬実
 南朝で左大臣になった。

 教忠(『系図纂要』による。)
 良順〔養父:二条良基(→二条良基~持基の系図)〕(『系図纂要』による。)
 嘉喜門院後村上天皇~後亀山天皇の系図

 九条禖子
 九条忠教(→九条教実~師教の系図)の娘。
 治子九条房実~満教の系図

 藤原教良の娘
 歌人として活躍した。
妻の父 藤原教良二条良実・師忠の系図

 今小路良冬【1322-?】
 権大納言。
 基冬【1341-1382】〔養父:二条良基(→二条良基~持基の系図)〕
 権大納言。
曾孫 師冬
 権大納言。
曾孫の妻 白川殿
 源意(→源基の系図)の娘。

良冬孫 満冬【1384-?】
 権中納言。
良冬孫 持冬【?-1436】(以下、『系図纂要』による。)
 権中納言。
良冬孫 成冬
 正三位。

良冬孫 満済(まんさい)【1378-1435】〔養父:足利義満(→足利義満の系図)〕
 醍醐寺座主。足利将軍家から厚い信頼を得たため、幕政にも影響力を持った。日記は『満済准后日記』。

良冬孫 持巌〔養父:二条持通〕(『系図纂要』による。)→二条持通~晴良の系図

 良誉
 実は道琳の子。
 増珍/道淳〔養父:二条良基(→二条良基~持基の系図)〕(『系図纂要』による。)

曾孫 良誉〔養父:今小路良冬〕

 良瑜(りょうゆ)/静助【1330-1397】
 園城寺長吏。
 澄助一条実経~内経の系図
 実は一条実家の子。
子の夫 忠房親王→忠房親王の系図


  二条道平(みちひら)【1288-1335】〔養子:二条師基〕
 関白・左大臣。後光明照院殿と号した。

 今出河公顕の娘
妻の父 今出河公顕西園寺実兼の系図
 良基 師嗣二条良基~持基の系図
 良忠【1321-?】
 権大納言。
 栄子後醍醐天皇の系図

 菊地氏
 富小路道直 通則(『系図纂要』による。)→富小路道直~通治の系図

 二条師忠の娘
妻の父 二条師忠二条良実・師忠の系図

 源宗明【1330-?】〔養父:久良親王〕
 権大納言。

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二条良基~持基の系図

二条良基~持基の系図

  二条良基(よしもと)【1320-1388】〔養子:今小路基冬・増珍・良順(→二条兼基・道平の系図)〕
 摂政・関白・太政大臣。後普光園院殿と号した。有職故実に通じ、和歌や連歌をよくした。『菟玖波集』を完成させたほか、多くの著作を遺した。

祖父 兼基 道平二条兼基・道平の系図
祖父 今出河公顕西園寺実兼の系図

 土岐頼康の娘
妻の父 土岐頼康→土岐頼康の系図
 一条経嗣一条経通~兼良の系図

 師良(もろよし)【1345-1382】
 関白・左大臣。是心院殿と号した。
 道豪桓教〔養父:二条良基〕
 良順
 父は二条良基とも。
 厳叡(『系図纂要』による。)

 道基/道意(どうい)【1354/1358-1429】
 園城寺長吏。
 道豪/道順【?-1404】
 実は二条師良の子。
 桓教
 実は二条師良の子。
 良玄(『系図纂要』による。)
 成瀬基久(『寛政重修諸家譜』による。)→成瀬基久の系図


  二条師嗣(もろつぐ)【1356-1400】〔養子:成基(→九条良経の系図)〕
 関白・左大臣。後香園院殿と号した。
 東坊城長綱の娘
妻の父 東坊城長綱東坊城茂長~長遠の系図
 持基〔養父:二条道忠〕


  二条道忠/満基(みつもと)【1383-1410】〔養父:足利義満(→足利義満の系図)〕
 関白・左大臣。福照院殿と号した。
 義快【1421-?】(『系図纂要』による。)
 成淳(『系図纂要』による。)


  二条持基(もちもと)/基教【1390-1445】
 摂政・関白・太政大臣。実は二条師嗣の子。
 持通 政嗣二条持通~晴良の系図
 尊応【1432-1514】
 隆快/隆海(『系図纂要』による。)
 実は鷲尾隆遠(→鷲尾隆良~隆康の系図)の子。

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二条持通~晴良の系図

二条持通~晴良の系図

  二条持通(もちみち)【1416-1493】
 関白・太政大臣。大染金剛院殿と号した。

祖父 道忠 持基二条良基~持基の系図

 雅兼王の娘
妻の父 雅兼王資忠王~雅業王の系図

 政覚(せいかく)【1453-1494】(『系図纂要』による。)
 持巌【?-1510】(『系図纂要』による。)
 実は今小路師冬(→二条兼基・道平の系図)の子。
 空済(『系図纂要』による。)
 実は甘露寺元長(→甘露寺房長~伊長の系図)の子。


  二条政嗣(まさつぐ)【1443-1480】〔養子:時詔(→甘露寺房長~伊長の系図)〕
 関白・左大臣。如法寿院殿と号した。
 水無瀬兼子〔養父:水無瀬季兼(→水無瀬具景~兼成の系図)〕
 実は細川下野守の子。
 広橋兼郷の娘
妻の父 広橋兼郷広橋兼郷~守光の系図

 性守(しょうしゅ)【1475-1530】
 大覚寺門主。


  二条尚基(ひさもと)【1471-1497】
 関白・右大臣。後如法寿院と号した。


  二条尹房(ただふさ)【1496-1551】〔養子:房済(→滋野井季国~之仲の系図)〕
 関白・左大臣。大内義隆を頼って周防国に下向したが、陶晴賢の攻撃に巻き込まれた。後大染金剛院殿と号した。
 九条経子
 九条尚経(→九条政基~兼孝の系図)の娘。

 良豊【1536-1551】
 正三位。父尹房とともに陶晴賢の攻撃に巻き込まれた。
 尋憲(じんけん)【1529-1585】〔養父:九条稙通(→九条政基~兼孝の系図)〕(『系図纂要』による。)
 興福寺別当。日記は『尋憲記』。
 尹房の娘〔養父:花山院家輔(→花山院兼定~家輔の系図)〕(『系図纂要』による。)


  二条晴良(はれよし・はるよし)【1526-1579】
 関白・左大臣。浄明珠院殿と号した。
 位子女王(いし)【1529-1616】
 貞敦親王(→貞敦親王の系図)の娘。
 九条兼孝〔養父:九条稙通〕→九条政基~兼孝の系図
 昭実→二条昭実の系図
 鷹司信房〔養父:鷹司忠冬〕→鷹司信房の系図
 義演(ぎえん)【1558-1626】〔養父:足利義昭(→足利義昭の系図)〕(『系図纂要』による。)
 醍醐寺座主。東寺長者。後七日御修法を再興した。

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