二条家(藤原氏北家)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、二条家(藤原氏北家)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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二条家(摂家)の略系図

二条家の略系図

1 良実二条良実・師忠の系図
3 兼基二条兼基・道平の系図
5 良基二条良基~持基の系図
9 持通二条持通~晴良の系図
14 昭実二条昭実~綱平の系図
18 吉忠二条吉忠~重良の系図
22 治孝二条治孝~斉敬の系図

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二条良実・師忠の系図

二条良実・師忠の系図

  二条良実(よしざね)【1216-1270】〔養子:九条彦子(→守貞親王~四条天皇の系図)〕
 関白・左大臣。父道家に義絶された。二条家の祖。家名は邸宅が二条京極にあったことによる。普光園院殿と号した。

祖父 良経九条良経の系図
 道家九条道家の系図
祖父 西園寺公経西園寺公経の系図

 藤原儷子
 藤原隆衡(→藤原隆衡の系図)の娘。二条師忠の養母。
 道良(みちなが)【1234-1259】
 左大臣。
子の妻 藤原為家の娘
子の妻の父 藤原為家藤原為家の系図

子の妻 藤原有信の娘
子の妻の父 藤原有信坊門信清の系図

孫の夫 九条忠教九条教実~師教の系図

 藤原隆保の娘
妻の父 藤原隆保藤原隆季の系図
 教良【1234-?】
 権大納言。
 経教【1286-?】〔養父:二条師忠〕
 正二位。
孫の夫 二条兼基→二条兼基の系図

 持明院厚子
 持明院家能(→持明院基宗~基世の系図)の娘。
 道玄(どうげん)【1237-1304】
 天台座主。後宇多天皇の護持僧を務めた。

 藤原親仲の娘
妻の父 藤原親仲水無瀬親兼~具隆の系図
 経通【1255-?】
 正二位。母は藤原有信(→坊門信清の系図)の娘とも。
 良雲/道尊〔養父:二条兼基(→二条兼基・道平の系図)〕

 松殿隆忠の娘
妻の父 松殿隆忠松殿隆忠・師家の系図
 尋源
 母は藤原基忠(→松殿隆忠・師家の系図)の娘とも。
 道潤〔養父:二条良実〕

 藤原兼良の娘
妻の父 藤原兼良藤原兼房の系図

 兼基〔養父:二条師忠〕→二条兼基・道平の系図
 道潤
 実は尋源の子。
 良宝
子の妻 松殿基嗣の娘
子の妻の父 松殿基嗣松殿隆忠・師家の系図
 良忠(りょうちゅう)
 護良親王に仕えた。

 道乗〔養父:二条師忠〕
子の夫 徳大寺公孝徳大寺実基~実孝の系図
子の夫 源彦仁→源彦仁の系図


  二条師忠(もろただ)【1254-1341】〔養子:藤原経教、良忠、道乗、道救(→三条実親・公親の系図)〕
 関白・左大臣。香園院殿と号した。
 藤原裎子
 藤原基信(→坊門忠信の系図)の娘。
 兼基 道平二条兼基・道平の系図

 源康成の娘
 冬通【1285-1316】
 正三位。

子の夫 二条道平二条兼基・道平の系図

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二条兼基・道平の系図

二条兼基・道平の系図

  二条兼基(かねもと)【1268-1334】〔養子:藤原忠基(→九条良経の系図)、良雲(→二条良実・師忠の系図)〕
 摂政・関白・太政大臣。実は二条良実(→二条良実・師忠の系図)の子。光明照院殿と号した。

祖父 良実 師忠二条良実・師忠の系図
祖父 藤原基信坊門忠信の系図

 藤原宣子(せんし)【?-1321】
 藤原為顕(→藤原為家の系図)の娘。歌人。後宇多天皇に仕えた。

 源兼任の娘
妻の父 源兼任清仁親王~源顕康の系図
 師基(もろもと)【1301-1365】〔養父:二条道平〕
 権大納言。南朝に仕え、関白・左大臣になった。
子の妻 藤原長嗣の娘
子の妻の父 藤原長嗣清水谷公定の系図

 教基
 南朝で関白になった。
曾孫 冬実
 南朝で左大臣になった。

 教忠(『系図纂要』による。)
 良順〔養父:二条良基(→二条良基~持基の系図)〕(『系図纂要』による。)
 嘉喜門院後村上天皇~後亀山天皇の系図

 九条禖子
 九条忠教(→九条教実~師教の系図)の娘。
 治子九条房実~満教の系図

 藤原教良の娘
 歌人として活躍した。
妻の父 藤原教良二条良実・師忠の系図

 今小路良冬【1322-?】
 権大納言。
 基冬【1341-1382】〔養父:二条良基(→二条良基~持基の系図)〕
 権大納言。
曾孫 師冬
 権大納言。
曾孫の妻 白川殿
 源意(→源基の系図)の娘。

良冬孫 満冬【1384-?】
 権中納言。
良冬孫 持冬【?-1436】(以下、『系図纂要』による。)
 権中納言。
良冬孫 成冬
 正三位。

良冬孫 満済(まんさい)【1378-1435】〔養父:足利義満(→足利義詮・義満の系図)〕
 醍醐寺座主。足利将軍家から厚い信頼を得たため、幕政にも影響力を持った。日記は『満済准后日記』。

良冬孫 持巌〔養父:二条持通〕(『系図纂要』による。)→二条持通~晴良の系図

 良誉
 実は道琳の子。
 増珍/道淳〔養父:二条良基(→二条良基~持基の系図)〕(『系図纂要』による。)

曾孫 良誉〔養父:今小路良冬〕

 良瑜(りょうゆ)/静助【1330-1397】
 園城寺長吏。
 澄助一条実経~内経の系図
 実は一条実家の子。
子の夫 忠房親王→忠房親王の系図


  二条道平(みちひら)【1288-1335】〔養子:二条師基〕
 関白・左大臣。後光明照院殿と号した。

 今出河公顕の娘
妻の父 今出河公顕西園寺実兼の系図
 良基 師嗣二条良基~持基の系図
 良忠【1321-?】
 権大納言。
 栄子後醍醐天皇の系図

 菊地氏
 富小路道直 通則(『系図纂要』による。)→富小路道直~通治の系図

 二条師忠の娘
妻の父 二条師忠二条良実・師忠の系図

 源宗明【1330-?】〔養父:久良親王〕
 権大納言。

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二条良基~持基の系図

二条良基~持基の系図

  二条良基(よしもと)【1320-1388】〔養子:今小路基冬・増珍・良順(→二条兼基・道平の系図)〕
 摂政・関白・太政大臣。後普光園院殿と号した。有職故実に通じ、和歌や連歌をよくした。『菟玖波集』を完成させたほか、多くの著作を遺した。

祖父 兼基 道平二条兼基・道平の系図
祖父 今出河公顕西園寺実兼の系図

 土岐頼康の娘
妻の父 土岐頼康土岐頼清の系図
 一条経嗣一条経通~兼良の系図

 師良(もろよし)【1345-1382】
 関白・左大臣。是心院殿と号した。
 道豪桓教〔養父:二条良基〕
 良順
 父は二条良基とも。
 厳叡(『系図纂要』による。)

 道基/道意(どうい)【1354/1358-1429】
 園城寺長吏。
 道豪/道順【?-1404】
 実は二条師良の子。
 桓教
 実は二条師良の子。
 良玄(『系図纂要』による。)
 成瀬基久(『寛政重修諸家譜』による。)→成瀬基久の系図


  二条師嗣(もろつぐ)【1356-1400】〔養子:成基(→九条良経の系図)〕
 関白・左大臣。後香園院殿と号した。
 東坊城長綱の娘
妻の父 東坊城長綱東坊城茂長~長遠の系図
 持基〔養父:二条道忠〕


  二条道忠/満基(みつもと)【1383-1410】〔養父:足利義満(→足利義詮・義満の系図)〕
 関白・左大臣。福照院殿と号した。
 義快【1421-?】〔養父:足利義教(→足利義教・義政の系図)〕(『系図纂要』による。)
 成淳(『系図纂要』による。)


  二条持基(もちもと)/基教【1390-1445】
 摂政・関白・太政大臣。実は二条師嗣の子。
 持通 政嗣二条持通~晴良の系図
 尊応【1432-1514】
 隆快/隆海(『系図纂要』による。)
 実は鷲尾隆遠(→鷲尾隆良~隆康の系図)の子。

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二条持通~晴良の系図

二条持通~晴良の系図

  二条持通(もちみち)【1416-1493】
 関白・太政大臣。大染金剛院殿と号した。

祖父 道忠 持基二条良基~持基の系図

 雅兼王の娘
妻の父 雅兼王資忠王~雅業王の系図

 政覚(せいかく)【1453-1494】(『系図纂要』による。)
 持巌【?-1510】(『系図纂要』による。)
 実は今小路師冬(→二条兼基・道平の系図)の子。
 空済(『系図纂要』による。)
 実は甘露寺元長(→甘露寺房長~伊長の系図)の子。


  二条政嗣(まさつぐ)【1443-1480】〔養子:時詔(→甘露寺房長~伊長の系図)〕
 関白・左大臣。如法寿院殿と号した。
 水無瀬兼子〔養父:水無瀬季兼(→水無瀬具景~兼成の系図)〕
 実は細川下野守の子。
 広橋兼郷の娘
妻の父 広橋兼郷広橋兼郷~守光の系図

 性守(しょうしゅ)【1475-1530】
 大覚寺門主。


  二条尚基(ひさもと)【1471-1497】
 関白・右大臣。後如法寿院と号した。


  二条尹房(ただふさ)【1496-1551】〔養子:房済(→滋野井季国~之仲の系図)〕
 関白・左大臣。大内義隆を頼って周防国に下向したが、陶晴賢の攻撃に巻き込まれた。後大染金剛院殿と号した。
 九条経子
 九条尚経(→九条政基~兼孝の系図)の娘。

 良豊【1536-1551】
 正三位。父尹房とともに陶晴賢の攻撃に巻き込まれた。
 尋憲(じんけん)【1529-1585】〔養父:九条稙通(→九条政基~兼孝の系図)〕(『系図纂要』による。)
 興福寺別当。日記は『尋憲記』。
 尹房の娘〔養父:花山院家輔(→花山院兼定~家輔の系図)〕(『系図纂要』による。)


  二条晴良(はれよし・はるよし)【1526-1579】
 関白・左大臣。浄明珠院殿と号した。
 位子女王(いし)【1529-1616】
 貞敦親王(→貞敦親王の系図)の娘。
 九条兼孝〔養父:九条稙通〕→九条政基~兼孝の系図
 昭実 康道二条昭実~綱平の系図
 鷹司信房〔養父:鷹司忠冬〕→鷹司信房~教平の系図
 義演(ぎえん)【1558-1626】〔養父:足利義昭(→足利義昭の系図)〕(『系図纂要』による。)
 醍醐寺座主。東寺長者。後七日御修法を再興した。

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二条昭実~綱平の系図

二条昭実~綱平の系図

  二条昭実(あきざね)【1556-1619】
 関白・左大臣。禁中并公家諸法度の制定に関わった。

祖父 尹房 晴良二条持通~晴良の系図
祖父 貞敦親王→貞敦親王の系図

 織田信長の娘
妻の父 織田信長→織田信長の系図


  二条康道(やすみち)【1607-1666】〔養子:性演(→性演の系図)〕(以下、『系図纂要』による。)
 摂政・左大臣。実は九条幸家(→九条幸家~輔実の系図)の子。日記は『康道公記』。
 貞子内親王(さだこ)【1606-1675】
 後陽成天皇(→後陽成天皇の系図)の皇女。

 日通【?-1672】(『二条家譜』による。)
 康道の娘(『二条家譜』による。)


  二条光平(みつひら)【1624-1682】
 摂政・関白・左大臣。
 賀子内親王(よしこ)【1632-1696】
 後水尾天皇(→後水尾天皇~後光明天皇の系図)の皇女。
子の夫 徳川綱重徳川家光・家綱の系図


  二条綱平(つなひら)【1672-1732】〔養子:二条淳子(→職仁親王の系図)、日護・隆遍・祐常・二条宗煕(→二条吉忠~重良の系図)〕
 関白・左大臣。実は九条兼晴(→九条幸家~輔実の系図)の子。
 栄子内親王(まさこ)【1673-1746】
 霊元天皇(→霊元天皇の系図)の皇女。
 吉忠 宗煕二条吉忠~重良の系図
 綱平の娘【1688】(『二条家譜』による。)

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二条吉忠~重良の系図

二条吉忠~重良の系図

  二条吉忠(よしただ)【1689-1737】〔養子:光啓(→光啓の系図)〕
 関白・左大臣。

祖父 光平 綱平二条昭実~綱平の系図
祖父 霊元天皇霊元天皇の系図

 前田利子【?-1748】
 前田綱紀(→前田利常~綱紀の系図)の娘。
 舎子中御門天皇~後桃園天皇の系図
 淳子→職仁親王の系図

 理性院
 隆遍【1720-1777】〔養父:二条綱平(→二条昭実~綱平の系図)〕
 祐常【1723-1773】〔養父:二条綱平(→二条昭実~綱平の系図)〕
 日護【1717-1746】〔養父:二条綱平(→二条昭実~綱平の系図)〕(『二条家譜』による。)

 智久麿【1735-1736】(『二条家譜』による。)


  二条宗煕(むねひろ)【1718-1738】〔養父:二条綱平(→二条昭実~綱平の系図)〕
 右大臣。


  二条宗基(むねもと)【1727-1754】
 右大臣。実は九条幸教(→九条師孝~道孝の系図)の子。
 二条喜子【1728-1745】(『二条家譜』による。)
 宗基の息子【1745】(『二条家譜』による。)

 治孝〔養父:二条重良〕→二条治孝~斉敬の系図
 基子→光暉の系図


  二条重良(しげよし)【1751-1768】
 権大納言。
 治孝 斉信二条治孝~斉敬の系図
 惟子【1767-1785】(『二条家譜』による。)

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二条治孝~斉敬の系図

二条治孝~斉敬の系図

  二条治孝(はるたか)【1754-1826】
 左大臣。実は二条宗基(→二条吉忠~重良の系図)の子。

祖父 宗基 重良二条吉忠~重良の系図

 徳川翰子/嘉君【1757-1794】
 徳川宗翰(→徳川宗翰の系図)の娘。
 斉通(なりみち)【1781-1798】〔養子:二条勇麿〕
 内大臣。
 九条輔嗣〔養父:九条輔家〕→九条師孝~道孝の系図
 西園寺寛季〔養父:西園寺賞季〕→西園寺公晃~公望の系図
 孝姫【1789-1791】(『二条家譜』による。)

 樋口信子
 樋口基康(→樋口基康・冬康の系図)の娘。
 九条尚忠〔養父:九条輔嗣〕→九条師孝~道孝の系図
 翰麿【1791-1792】(『二条家譜』による。)
 治孝の息子【1798】(『二条家譜』による。)
 光子松平頼永~頼策の系図
 昌姫→光摂の系図
 理姫【1795-1827】(『二条家譜』による。)

 増護【1803-1875】〔養父:九条尚実(→九条師孝~道孝の系図)〕
 道永【1798-1821】〔養父:西園寺賞季(→西園寺公晃~公望の系図)〕
 祝麿【1781-1782】(『二条家譜』による。)
 胤麿【1786-1855】〔養父:三条実起(→三条実顕~実美の系図)〕(『二条家譜』による。)
 勇麿【1796-1799】〔養父:二条斉通〕(『二条家譜』による。)
 煕麿【1796-1798】(『二条家譜』による。)
 万麿/戚麿【1797-1852】〔養父:光摂(→光摂の系図)〕(『二条家譜』による。)
 祐麿【1796-1812】〔養父:三条実起(→三条実顕~実美の系図)〕(『二条家譜』による。)
 臣麿【1800-1801】(『二条家譜』による。)
 功麿【1804-1857】〔養父:高辻福長(→高辻総長~修長の系図)〕(『二条家譜』による。)
 克麿【1805-1809】(『二条家譜』による。)
 松園隆温〔養父:二条斉信〕
 有真〔養父:三条実起〕→三条実顕~実美の系図
 二条胤麿と同一人物か。
 秀葽〔養父:三条実起〕→三条実顕~実美の系図
 彰子一橋治済の系図
 恒姫【1776-1813】
 誠姫→光摂の系図
 脩子一橋斉敦~茂栄の系図
 福子黒田治之~長知の系図
 嶺姫【1804-1849】
 興姫/喜久姫【1807-1851】〔養父:光摂(→光摂の系図)〕
 篤子→摂信の系図
 陽姫【1782-1786】(『二条家譜』による。)
 千賀姫【1782-1783】(『二条家譜』による。)
 悟姫【1783-?】(『二条家譜』による。)
 嬌子【1790-1807】(『二条家譜』による。)
 五百姫【1792-1866】〔養父:花園公燕(→花園実教~実延の系図)〕(『二条家譜』による。)
 豊姫【1793-1794】(『二条家譜』による。)
 佐子【1793-1826】(『二条家譜』による。)
 亀代姫【1796-1798】(『二条家譜』による。)
 英姫【1797-1858】〔養父:顕証寺〕(『二条家譜』による。)
 純姫【1804-1817】〔養父:三条実起(→三条実顕~実美の系図)〕(『二条家譜』による。)
 冨貴姫【1800-1816】(『二条家譜』による。)
 千隺姫【1802】(『二条家譜』による。)
 遂子→鍋島直与の系図
 柔子【1809-1843】〔養父:真導〕(『二条家譜』による。)


  二条斉信(なりのぶ)【1788-1847】
 左大臣。
 徳川従子/偉姫/順姫/順君【1796-1844】
 徳川治紀(→徳川治紀・斉脩の系図)の娘。
 義賢【1828-1858】
 『二条家譜』によれば母は妾腹。
 受益麿【1817-1818】(『二条家譜』による。)
 斉信の息子【1814-1815】(『二条家譜』による。)
 広子→幟仁親王の系図
 綺子【1821-?】
 勉姫【1813-1814】(『二条家譜』による。)

 松園隆温
 実は二条治孝の子。
 偆麿【1824】(『二条家譜』による。)
 咸麿【1829-1834】〔養父:清水谷実揖(→清水谷陳季~実睦の系図)〕(『二条家譜』による。)
 定姫【1811-1813】(『二条家譜』による。)
 倶子【1815-1833】(『二条家譜』による。)
 助子【1817-?】〔養父:摂真〕(『二条家譜』による。)
 輔子【1820-?】〔養父:摂真、光沢(→光沢の系図)〕(『二条家譜』による。)
 春姫【1837-1840】(『二条家譜』による。)


  二条斉敬(なりゆき)【1816-1878】
 摂政・関白・左大臣。
 恒子女王【1826-1916】
 貞敬親王(→貞敬親王の系図)の娘。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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