このページでは、土岐氏(清和源氏・頼光流)・頼基流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
土岐氏・頼基流(上野国沼田藩主)の略系図

1 頼基→土岐頼基~明智定明の系図
12 定政→土岐定政~頼行の系図
13-A 頼豊→土岐頼豊~頼躬の系図
13-B 頼親→土岐頼親~頼栄の系図
13-C1 頼久→土岐頼久・頼利の系図
13-C2 頼在→土岐頼在~頼族の系図
15 頼殷→土岐頼殷~頼煕の系図
15-A 頼郷→土岐頼郷~頼門の系図
18 定経→土岐定経~頼之の系図
土岐頼基~明智定明の系図
土岐頼基(よりもと)
祖父 光定→土岐光定の系図
父 頼貞→土岐頼貞の系図
祖父 北条宗頼→北条泰時~時頼の系図
子 頼高・頼助(『系図纂要』による。)
明智頼重(よりしげ)
明智頼篤(よりあつ)(以下、『系図纂要』による。)
明智国篤(くにあつ)
明智頼秋(よりあき)
明智頼秀(よりひで)
明智成頼(なりより)/頼弘(よりひろ)
明智頼定(よりさだ)
明智頼尚(よりなお)
明智頼明(よりあきら)
明智定明(さだあきら)【?-1552】
妻 菅沼定広の娘
妻の父 菅沼定広→菅沼定広の系図
夫 奥平貞勝→奥平貞勝の系図
子 土岐定政・孫 定義→土岐定政~頼行の系図
土岐定政~頼行の系図
土岐定政(さだまさ)【1551-1597】
下総国守谷藩主。幼くして父を失ったため、母方の菅沼氏を頼り、徳川家康に仕えた。
祖父 頼明・父 定明→土岐頼基~明智定明の系図
祖父 菅沼定広→菅沼定広の系図
妻 鳥居元忠の娘
妻の父 鳥居元忠→鳥居元忠の系図
子の夫 本多成重→本多信正~成重の系図
孫 重能→本多重能~重賀の系図
孫 重看→本多重看~成孝の系図
孫 重良→本多重良~繁文の系図
子の夫 牧野信成→牧野信成の系図
子 久太郎(『土岐家譜』による。)
土岐定義(さだよし)【1580-1619】
守谷藩主・摂津国高槻藩主。
妻 諏訪頼水の娘
妻の父 諏訪頼水→諏訪頼水の系図
子 滝川利貞〔養父:滝川正利〕→滝川利貞の系図
子 頼豊・孫 頼以→土岐頼豊~頼躬の系図
子 頼親・孫 頼定→土岐頼親~頼栄の系図
子 頼久・孫 頼利→土岐頼久・頼利の系図
子の夫 牧野尹成→牧野尹成の系図
土岐頼行(よりゆき)【1608-1684】
高槻藩主・出羽国上山藩主。紫衣事件で流罪となった沢庵を預かった。槍術を学び、自得記流を創始した。
妻 伊丹康勝の娘
妻の父 伊丹康勝→伊丹康勝の系図
子 頼長(よりなが)【1642-1694】
子の妻 真田信政の娘
子の妻の父 真田信政→真田信政の系図
子 頼殷・孫 頼稔→土岐頼殷~頼煕の系図
孫 頼郷→土岐頼郷~頼門の系図
子 頼賢(よりかた)【1659-1685】
子の夫 田中定格→田中定格の系図
子の夫 小堀政恒→小堀政恒の系図
土岐頼豊~頼躬の系図
土岐頼豊(よりとよ)【?-1691】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 定政・父 定義→土岐定政~頼行の系図
祖父 諏訪頼水→諏訪頼水の系図
土岐頼以(よりのり)【1643-1718】
実は諏訪頼風(→諏訪頼風の系図)の子。
子 頼誠(よりなり)【?-1712】
孫 頼誠の娘〔養父:土岐頼顕〕
子の夫 仁賀保誠方→仁賀保誠方の系図
土岐頼顕(よりあきら)【1675-1737】
実は小栗久弘(→小栗久弘の系図)の子。
子 小林正頼〔養父:小林正房〕→小林正頼の系図
子の夫 森雲長→森雲長の系図
土岐頼記(よりのり)【1716-1780】
妻 座光寺昌貴の娘
妻の父 座光寺昌貴→座光寺昌貴の系図
妻 伊丹勝範の娘
妻の父 伊丹勝範→伊丹勝範の系図
子 高伴〔養父:多賀常政(→多賀常政の系図)〕
子 亥三郎〔養父:大島信賢〕
子の夫 権太泰俊→権太泰俊の系図
土岐頼多(よりひろ)【1743-?】
子の夫 佐々長義→佐々長義の系図
土岐頼躬(よりみ)【1764-?】
土岐頼親~頼栄の系図
土岐頼親(よりちか)/頼張(よりはる)【?-1689】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 定政・父 定義→土岐定政~頼行の系図
祖父 諏訪頼水→諏訪頼水の系図
妻 根来盛正の娘
妻の父 根来盛正→根来盛正の系図
土岐頼定(よりさだ)【1646-1695】
子 頼治(よりはる)【?-1684】
子の夫 岡部定長→岡部定直~長貴の系図
土岐定武(さだたけ)/頼房(よりふさ)【?-1731】
妻 桑山元稠の娘
妻の父 桑山元稠→桑山元稠の系図
子の夫 土方久保→土方久保の系図
子の夫 本多利紀→本多利政~利貞の系図
土岐頼雄(よりお)【1715-1773】
妻 岡部長臧の娘
妻の父 岡部長臧→岡部定直~長貴の系図
妻 天野康建の娘
実は天野康作(→天野康作の系図)の娘。
妻の父 天野康建→天野康建の系図
土岐頼久(よりひさ)【1746-?】
実は石尾氏記(→石尾氏記の系図)の子。
子の夫 水野勝善→水野勝彦~勝善・勝英~勝順の系図
土岐頼栄(よりなか)
妻 上野忠昌の娘
妻の父 上野忠昌→上野忠昌の系図
夫 篠崎長発→篠崎長発の系図
土岐頼久・頼利の系図
土岐頼久(よりひさ)【1616-1672】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 定政・父 定義→土岐定政~頼行の系図
祖父 諏訪頼水→諏訪頼水の系図
土岐頼利(よりとし)【1653-1713】
実は滝川利貞(→滝川利貞の系図)の子。
妻 稲葉通照の娘
妻の父 稲葉通照→稲葉通照の系図
子 滝川利元〔養父:滝川利錦〕→滝川利元の系図
子 頼在・孫 頼門→土岐頼在~頼族の系図
子 刑部【1693-1702】
子の夫 柳沢政包→柳沢政包の系図
土岐頼在~頼族の系図
土岐頼在(よりあきら)/頼繁(よりしげ)【1696-1752】
祖父 頼久・父 頼利→土岐頼久・頼利の系図
祖父 稲葉通照→稲葉通照の系図
子 織田信尚〔養父:織田信豊〕→織田信尚の系図
子 頼看〔養父:土岐頼門〕
子の夫 柳沢政誠→柳沢政誠の系図
子の夫 赤井直詮→赤井直詮の系図
子の夫 有馬尚久→有馬尚久の系図
土岐頼門(よりかど)【1717-1766】
妻 青山幸増の娘
妻の父 青山幸増→青山幸増の系図
子 頼族〔養父:土岐頼看〕
子 頼門の娘〔養父:土岐頼看〕
子の夫 森盛寿→森盛寿の系図
土岐頼看(よりみ)【1744-?】
実は土岐頼在の子。
妻 竹中定弘の娘
妻の父 竹中定弘→竹中定弘の系図
夫 天野昌方→天野昌方の系図
夫 山田利往→山田利往の系図
子 頼第→村上義雄の系図
実は村上義礼の子。
子 頼有
実は竹中定弘(→竹中定弘の系図)の子。
子の夫 雀部辰芳→雀部辰芳の系図
土岐頼族(よりつぐ)【1765-1791】
実は土岐頼門の子。
妻 駒井昌臧の娘
妻の父 駒井昌臧→駒井昌臧の系図
妻 土岐頼看の娘
実は駒井岑有(→駒井岑有の系図)の娘。
夫 斎藤幸道→斎藤幸道の系図
土岐頼殷~頼煕の系図
土岐頼殷(よりたか)/頼隆【1641-1722】
上山藩主・駿河国田中藩主。
祖父 定義・父 頼行→土岐定政~頼行の系図
妻 西郷延員の娘
妻の父 西郷延員→西郷延員の系図
妻 牧野親成の娘
妻の父 牧野親成→牧野親成の系図
夫 建部政明→建部政明の系図
子 頼殷の娘(2人)
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 頼郷・孫 頼常→土岐頼郷~頼門の系図
土岐頼稔(よりとし)/頼俊【1695-1744】
老中・田中藩主・上野国沼田藩主。
妻 松平忠雄の娘
妻の父 松平忠雄→松平忠雄の系図
子 菅沼定興(さだおき)【1721-1744】
子 定則(さだのり)【1727-1750】
子 定経〔養父:土岐頼煕〕→土岐定経~頼之の系図
子 頼稔の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 松平康福→松平康福の系図
子の夫 加藤泰温→加藤泰温の系図
子の夫 木下俊泰→木下俊泰の系図
子の夫 織田輔宜→織田輔宜の系図
土岐頼煕(よりおき)/頼直(よりなお)【1719-1755】
沼田藩主。
妻 松平近貞の娘
妻の父 松平近貞→松平近禎・近貞の系図
妻 堀茂登
堀直恒(→堀直良~直喜の系図)の娘。
子 定経・孫 頼寛→土岐定経~頼之の系図
土岐頼郷~頼門の系図
土岐頼郷(よりさと)【1701-1732】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 頼行→土岐定政~頼行の系図
父 頼殷→土岐頼殷~頼煕の系図
子 芝山正僚〔養父:芝山正武〕→芝山正僚の系図
子の夫 松平康真→松平忠充~康豊の系図
土岐頼常(よりつね)【1721-1786】
妻 川口宗直の娘
父は川口恒寿とも。
妻の父 川口宗直→川口宗直の系図
夫 駒井政潔→駒井政潔の系図
子 小林正啓〔養父:小林正貞〕→小林正啓の系図
子 頼常の娘〔養父:土岐頼香〕
子の夫 石谷清憐→石谷清憐の系図
子の夫 八木正長→八木正長の系図
土岐頼香(よりか)【1752-1794】
『系図纂要』では土岐頼門の子。
妻 柳沢楽子
柳沢保卓(→柳沢経隆~光邦の系図)の娘。
子 定考(さだなか)【?-1818】(以下、『系図纂要』による。)
実は土岐定経(→土岐定経~頼之の系図)の子。
子の夫 小宮山昌周→小宮山昌周の系図
孫 頼旨
孫の妻 林忠英の娘
孫の妻の父 林忠英→林忠英~忠崇の系図
土岐頼門(よりかど)【1780-?】
『系図纂要』では土岐頼常の子。
妻 井上正乗の娘
妻の父 井上正乗→井上正乗の系図
土岐定経~頼之の系図
土岐定経(さだつね)【1728-1782】
沼田藩主。実は土岐頼稔(→土岐頼殷~頼煕の系図)の子。
祖父 頼稔・父 頼煕→土岐頼殷~頼煕の系図
子 頼相(よりすけ)【?-1764】
子 定吉〔養父:土岐頼寛〕
子 定富〔養父:土岐定吉〕
子 頼布〔養父:土岐定富〕
子 定考〔養父:土岐頼香〕→土岐頼郷~頼門の系図
子の夫 井上正定→井上正定の系図
子の夫 松平定剛→松平定剛~定法の系図
土岐頼寛(よりひろ)【1764-1782】
沼田藩主。
土岐定吉(さだよ・さだよし)【1766-1786】
沼田藩主。実は土岐定経の子。
土岐定富(さだとみ)【1774-1790】
沼田藩主。実は土岐定経の子。
土岐頼布(よりのぶ)/定峯(さだみね)【1775-1837】
沼田藩主。実は土岐定経の子。
妻 松平忠祇の娘
妻の父 松平忠祇→松平忠祇の系図
子 鍈蔵・錦之助・子 頼布の娘(『土岐家譜』による。)
子の夫 西尾忠受(『土岐家譜』による。)→西尾忠受の系図
土岐頼潤(よりみつ)【1788-1826】
沼田藩主。実は阿部正倫(→阿部正倫の系図)の子。
妻 有馬錘【1796-1842】
有馬頼貴(→有馬頼貴の系図)の娘。
子 頼寧〔養父:土岐頼功〕
子 鋌五郎・頼潤の息子・子 頼潤の娘(2人)(『土岐家譜』による。)
土岐頼功(よりかず・よりかつ)【1803-1843】
沼田藩主。実は堀親長(→堀親長の系図)の子。
子 頼功の娘〔養父:土岐頼寧〕
子 松之助・賢次郎・恭十郎・子 頼功の娘(3人)(『土岐家譜』による。)
土岐頼寧(よりやす)【1827-1847】
沼田藩主。実は土岐頼潤の子。
妻 堀親寚の娘
実は秋田孝季(→秋田孝季の系図)の娘。
妻の父 堀親寚→堀親寚の系図
土岐頼之(よりゆき)/定之【1826-1873】
沼田藩主。実は松平定永(→松平定永~定教の系図)の子。
妻 土岐頼寧の娘
実は土岐頼功の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。