本多氏(藤原氏北家・兼通流)・正吉流の系図

系図のメモ帳
スポンサーリンク

 このページでは、本多氏(藤原氏北家・兼通流)・正吉流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

スポンサーリンク

本多氏・正吉流(信濃国飯山藩主)の略系図

本多氏・正吉流の略系図

1 正吉本多正吉~忠利の系図
7-A 重世本多重世~助佳の系図
9-A 助久本多助久~助詮の系図
9-B 利朗井上利朗~本多紀貞の系図
9-C 利政本多利政~利貞の系図

10 利長本多利長~助有の系図
14 助盈本多助盈~助寵の系図

スポンサーリンク

本多正吉~忠利の系図

本多正吉~忠利の系図

  本多正吉(まさよし)

祖父 助政 定正藤原顕忠~本多忠高の系図


  本多正経(まさつね)


  本多秀清(ひできよ)【1427-1498】


  本多清重(きよしげ)【1467-1516】


  本多信重(のぶしげ)【1507-1529】


  本多広孝(ひろたか)【1527-1596】
 松平広忠・徳川家康に仕え、のちに上野国白井城主になった。
 松平義春の娘
妻の父 松平義春松平親忠~信忠の系図
 重純(しげずみ)
 母は『寛政重修諸家譜』による。25歳で亡くなった。
子の妻 奥平貞能の娘
子の妻の父 奥平貞能→奥平貞能の系図
 重章(しげあきら)【1584-1605】

 庄蔵【?-1617】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 石川春重石川康長~春房・春忠~春厚の系図


  本多康重(やすしげ)【1554-1611】
 上野国白井藩主・三河国岡崎藩主。徳川家康に仕えた。
 石川家成の娘
妻の父 石川家成石川家成の系図
 次郎丸
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 紀貞(のりさだ)【1580-1623】
 白井藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。嗣子がなく廃藩となった。
子の夫 飛鳥井雅庸飛鳥井雅庸~雅豊の系図
子の夫 堀利重→堀利重の系図

 重世 重時本多重世~助佳の系図
子の夫 諏訪頼水→諏訪頼水の系図


  本多康紀(やすのり)【1579-1623】
 岡崎藩主。
 松平家清の娘〔養父:久松俊勝(→久松俊勝・定員の系図)〕
妻の父 松平家清→松平家清の系図
 栄都紀利大蔵
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 ネイ→桑山貞晴の系図


  本多忠利(ただとし)【1600-1645】
 岡崎藩主。
 井上正就の娘
妻の父 井上正就→井上正就の系図
 豊後【1627-1638】
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 利長 助芳本多利長~助有の系図
 井上利朗 本多利好井上利朗~本多紀貞の系図
 ツナ太田資次~資晴の系図
 リキ
 母は『寛政重修諸家譜』による。菅沼定実に嫁ぐ予定であった。
 彦次郎弥太郎織部 ヤマ
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 助久 利重本多助久~助詮の系図
 利政 利紀本多利政~利貞の系図
 利義(としよし)【1645-1664】
 イサ本多重世~助佳の系図

本多助久~助詮の系図

本多助久~助詮の系図

  本多助久(すけひさ)【1616-1669】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 康紀 忠利本多正吉~忠利の系図

 大河内久綱の娘
妻の父 大河内久綱大河内久綱の系図

 助芳〔養父:本多利長〕→本多利長~助有の系図
子の夫 大田好敬→大田好敬の系図


  本多利重(とししげ)【1658-1704】
 井上正義の娘
妻の父 井上正義→井上正義の系図

 利房(としふさ)【1680-1698】
 利重の娘〔養父:坪内定重〕→坪内定重の系図
子の夫 堀田正清→堀田正清の系図 


  本多助孝(すけたか)【1694-1734】


  本多紀智(のりとも)【1710-1776】
 実は本多紀武の子。
 建部政周の娘
 実は建部政民(→建部政周~政世の系図)の娘。
妻の父 建部政周建部政周~政世の系図


  本多助友(すけとも)【1736-1784】
 実は堀田正陳(→堀田正陳の系図)の子。
 助友の娘〔養父:本多助阜〕
子の夫 西尾茂教→西尾茂教の系図
子の夫 佐野茂親→佐野茂親の系図


  本多助阜(すけひさ)【1772-1796】
 本多ヨシ
 本多助盈(→本多助盈~助寵の系図)の娘。
 有馬広春→有馬広春の系図


  本多助詮(すけあきら)【1776-?】
 実は本多正命(→本多正之~正収の系図)の子。
 本多助阜の娘
 実は本多助友の娘。

井上利朗~本多紀貞の系図

井上利朗~本多紀貞の系図

  井上利朗(としあきら)【1637-1689】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 康紀 忠利本多正吉~忠利の系図
祖父 井上正就→井上正就の系図

 植村家貞の娘
妻の父 植村家貞植村家貞~家包の系図


  本多利好(としよし)【1670-1701】
 実は本多利政(→本多利政~利貞の系図)の子。
 三井吉直の娘
 実は高井清方(→高井清方の系図)の娘。
妻の父 三井吉直→三井吉直の系図


  本多紀当(のりまさ)【1671-1707】
 実は本多助勝の子。
 吉良義成の娘
妻の父 吉良義成→吉良義成の系図


  本多利英(としふさ)【1693-1729】
 実は小幡景松(→小幡景松の系図)の子。


  本多紀品(のりただ)【1715-1786】
 実は本多紀武の子。
 松平忠根の娘
妻の父 松平忠根→松平忠根の系図

子の夫 松平正屋松平正久・正佐~正名の系図
子の夫 竹中元長→竹中元長の系図
子の夫 稲生正静→稲生正静の系図
子の夫 依田守忠→依田守忠の系図
子の夫 玉虫千茂→玉虫千茂の系図


  本多紀文(のりぶん)【1753-?】


  本多紀方(のりかた)【1772-1796】
 小出英明の娘
妻の父 小出英明→小出英明の系図


  本多紀貞(のりさだ)【1788-?】〔養子:本多セキ(→本多助盈~助寵の系図)〕

本多利政~利貞の系図

本多利政~利貞の系図

  本多利政(としまさ)【1644-1698】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 康紀 忠利本多正吉~忠利の系図

 牛込重〓の娘(〓は「夭」+「心」)
妻の父 牛込重〓→牛込重〓の系図
 利好〔養父:井上利朗〕→井上利朗~本多紀貞の系図


  本多利紀(としのり)【1691-1762】
 青山幸度の娘
妻の父 青山幸度青山幸度~幸飽の系図
 助盈〔養父:本多助有〕→本多助盈~助寵の系図

 土岐定武の娘
妻の父 土岐定武土岐頼親~頼栄の系図

 小川康明の娘
妻の父 小川康明→小川康明の系図
 利貞〔養父:本多利寛〕

子の夫 小笠原長賢小笠原長章~長世の系図
子の夫 小笠原広通→小笠原広通の系図
子の夫 渡辺義渡辺均~直・保~胤の系図


  本多利寛(としひろ)【1740-?】


  本多利貞(としさだ)【1755-?】
 実は本多利紀の子。
 仁賀保誠之の娘
妻の父 仁賀保誠之→仁賀保誠之の系図

 内藤信就の娘
妻の父 内藤信就内藤信通~信幅の系図
 田村顕曹→田村顕曹の系図
 井上利貞→井上利貞の系図

本多重世~助佳の系図

本多重世~助佳の系図

  本多重世(しげよ)【1603-1642】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 広孝 康重本多正吉~忠利の系図

 山名豊政の娘
妻の父 山名豊政→山名豊政の系図


  本多重時(しげとき)/亀時(かめとき)/亀輝(かめてる)/幸敷(ゆきのぶ)/寿宣(よしのぶ)【1636-1697】
 本多イサ
 本多忠利(→本多正吉~忠利の系図)の娘。
 孝則(たかのり)【1661-1688】

 信里(のぶさと)【1674-1697】
 実は真田信就(→真田信就の系図)の子。
子の夫 岡野友明→岡野友明の系図


  本多直上(なおかみ)/直保(なおやす)【1670-1732】
 実は堀直良(→堀直良~直喜の系図)の子。


  本多栄文(よしぶみ)【1702-1741】
 松平忠郷の娘
妻の父 松平忠郷→松平忠郷の系図


  本多直嗣(なおつぐ)【1732-1785】
 実は堀直央(→堀直良~直喜の系図)の子。
 本多栄文の娘
 実は竹本正綱(→竹本正綱の系図)の娘。
 前田菊
 実は前田利理(→前田利英・利理の系図)の娘。
妻の父 前田孝始前田孝矩~矩方の系図

子の夫 大久保康敬→大久保康敬の系図
子の夫 井上利恭→井上利恭の系図


  本多道福(みちよし)【1769-?】
 本多サノ
 本多助之(→本多助盈~助寵の系図)の娘。


  本多助佳(すけよし)【1765-?】
 実は本多助盈(→本多助盈~助寵の系図)の子。
 井上利恭の娘
妻の父 井上利恭→井上利恭の系図

スポンサーリンク

本多利長~助有の系図

本多利長~助有の系図

  本多利長(としなが)【1635-1692】
 岡崎藩主・遠江国横須賀藩主・出羽国村山藩主。藩政の問題などで除封となったが、祖先の功労で出羽国村山藩に移された。

祖父 康紀 忠利本多正吉~忠利の系図
祖父 井上正就→井上正就の系図

 松平正綱の娘
妻の父 松平正綱松平正綱の系図

 板倉鍋
 板倉重宗(→板倉重宗の系図)の娘。


  本多助芳(すけよし)/利久(としひさ)【1663-1725】
 村山藩主・越後国糸魚川藩主・信濃国飯山藩主。実は本多助久(→本多助久~助詮の系図)の子。
 松平定重の娘
妻の父 松平定重松平定重の系図
 五島盛暢→五島盛暢の系図
 彦次郎
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 小笠原長重の娘
妻の父 小笠原長重→小笠原長重の系図
 助有〔養父:本多康明〕
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 ソヨ伊東長丘の系図
 伊東長詮伊東長詮の系図

 シケ松平直堅~直好の系図
 豊次郎 キヨ
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 加納久武→加納久武の系図

子の夫 戸田氏房(『寛政重修諸家譜』による。)→戸田氏経~氏房の系図


  本多康明(やすあきら)【1709-1730】
 飯山藩主。
子の夫 小笠原長賢小笠原長章~長世の系図


  本多助有(すけもち)【1714-1737】
 飯山藩主。実は本多助芳の子。
 諏訪忠虎の娘
妻の父 諏訪忠虎→諏訪忠虎の系図
 助盈 助之本多助盈~助寵の系図

スポンサーリンク

本多助盈~助寵の系図

本多助盈~助寵の系図

  本多助盈(すけみつ)/利為(としため)【1718-1774】
 飯山藩主。実は本多利紀(→本多利政~利貞の系図)の子。

祖父 康明 助有本多利長~助有の系図
祖父 諏訪忠虎→諏訪忠虎の系図

 秋田頼季の娘
妻の父 秋田頼季→秋田頼季の系図

 助佳〔養父:本多道福〕→本多重世~助佳の系図
 助受
 実は本多助之の子。
 八重松平堅房~直静の系図
 ユカ→松平守惇の系図
 アクリ朽木鋪綱・昌綱の系図
 トメ→織田信味の系図
 ヨシ(『華族系譜』による。)→本多助久~助詮の系図・有馬広春の系図
 銕五郎千之助斧三郎 リツヱツイラヤリ(『華族系譜』による。)


  本多助之(すけゆき)【1738-1771】
 堀田阿久理
 堀田正亮(→堀田正亮の系図)の娘。

 サノ本多重世~助佳の系図
 浜三郎寅之助定三郎 サヱ(『華族系譜』による。)


  本多助受(すけつぐ)/助富(すけとみ)【1764-1825】〔養父:本多助盈〕
 飯山藩主。
 丹羽満
 丹羽高庸(→丹羽高庸の系図)の娘。

 彦次郎【?-1805】
 助実〔養父:本多助賢〕
 セキ〔養父:本多紀貞(→井上利朗~本多紀貞の系図)〕(『華族系譜』による。)
 鋪三郎 ヒササクイクミチヱイ(『華族系譜』による。)


  本多助賢(すけとし)/助利【1791-1858】(以下、『華族系譜』による。)
 飯山藩主。実は戸田氏教(→戸田氏英・氏教の系図)の子。善光寺大地震の対応に苦慮した。
 タマワカ→畠山基徳の系図
 エタ酒井忠学~忠邦の系図
 助賢の娘〔養父:戸田氏庸(→戸田氏庸の系図)〕(『戸田家譜(美濃大垣)』による。)
 大高喬度に嫁いだ。

 〔養父:本多助実〕


  本多助実(すけざね)/助籍【1819-1877】
 飯山藩主。実は本多助受の子。助寵の死後、飯山藩知事を務めた。
 諏訪忠恕の娘
妻の父 諏訪忠恕→諏訪忠恕の系図

 米倉昌寿の娘
妻の父 米倉昌寿米倉昌晴~昌言の系図

 助寵〔養父:本多助成〕
 永井直進~直諒の系図


  本多助成(すけしげ)【1846-1868】
 飯山藩主。


  本多助寵(すけたか)【1854-1869】
 飯山藩主。実は本多助実の子。

スポンサーリンク

系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
タイトルとURLをコピーしました