このページでは、中園家(藤原氏南家・貞嗣流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
中園季遠~実受の系図
中園季遠/季定【1627-1686】
参議。中園家の祖。
祖父 教遠→高倉範継~教遠の系図
父 嗣良→藪嗣良~嗣義の系図
子 高丘季起・孫 季敦→高丘季起~紀季の系図
中園季親【1654-1706】
正三位。
中園季顕【1689-1751】
参議。
中園季豊【1730-1786】
参議。
子 季豊の娘(『中園家譜』による。)
中園実綱【1758-1839】
権中納言。
子 綱子→桑原長義~為政の系図
中園季隆【1777-1826】
正三位。
妻 櫛笥隆久の娘
妻の父 櫛笥隆久→櫛笥隆望~隆韶の系図
子 公利〔養父:中園実暉〕
中園実暉【1793-1845】
正三位。実は甘露寺篤長(→甘露寺規長・篤長の系図)の子。
妻 中御門俊子
中御門経定(→中御門宣顕~宣猷の系図)の娘。
子 実暉の娘(2人)(『中園家譜』による。)
子 実知〔養父:中園公利〕
子の夫 猪熊千倉(『中園家譜』による。)
中園公利【1813-1849】
実は中園季隆の子。
妻 錦織久雄の娘
妻の父 錦織久雄→錦織久雄の系図
子 義麿・子 文子(『中園家譜』による。)
子 瑩照【?-1861】(『中園家譜』による。)
中園実知【1833-1869】
実は中園実暉の子。
子 心呉・弘鑁・正千代・常麿・子 弘子(『中園家譜』による。)
子 知子〔養父:佐々木太郎〕(『中園家譜』による。)
中園実受【1845-1904】
妻 藪季栄の娘
妻の父 藪季栄→藪保季~実方の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。