このページでは、藤原氏北家・伊尹流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
藤原伊尹・義孝の系図
藤原伊尹(これまさ・これただ)【924-972】〔養子:藤原行成(→藤原行成の系図)〕
摂政・太政大臣。和歌にもすぐれ、『百人一首』に歌が収められる。歌集は『一条摂政御集』。
祖父 忠平→藤原忠平の系図
父 師輔→藤原師輔の系図
祖父 藤原経邦→藤原経邦の系図
妻 恵子女王(けいし)【925-992】
妻の父 代明親王→代明親王の系図
子 挙賢(たかかた)【953-974】
弟の義孝と同じ日に亡くなった。
子 義懐(よしちか)【957-1008】
権中納言。花山天皇の退位を機に出家した。
子の妻 藤原為雅の娘
子の妻の父 藤原為雅→藤原為雅・中清の系図
孫 成房/成信
曾孫の夫 大江定経→大江定経の系図
子の妻 藤原為光の娘
子の妻の父 藤原為光→藤原為光の系図
孫 延円(えんえん)【?-1040】
絵画や造園にすぐれた。
子 懐子→冷泉天皇・花山天皇の系図
子の夫 藤原隆家→藤原隆家の系図
子の夫 藤原為光→藤原為光の系図
孫 公信→藤原公信~伊信の系図
子の夫 為尊親王→冷泉天皇・花山天皇の系図
子の夫 藤原忠君→藤原遠量・忠君・遠度・遠基の系図
子の夫 源重信・子の夫 源致方→源重信の系図
藤原義孝(よしたか)/克孝【954-974】
将来を期待されるも若くして亡くなった。道心深く、死後は往生したとされる。『百人一首』に歌が収めらる。
妻 源保光の娘
妻の父 源保光→代明親王の系図
子 行成→藤原行成の系図
孫 行経→藤原行経・伊房の系図
藤原行成の系図
藤原行成(ゆきなり・こうぜい)【972-1027】〔養父:藤原伊尹(→藤原伊尹・義孝の系図)〕
権大納言。一条朝の四納言の一人。能筆で行成の書流は世尊寺流と称された。
祖父 伊尹・父 義孝→藤原伊尹・義孝の系図
祖父 源保光→代明親王の系図
妻 源泰清の娘
妻の父 源泰清→有明親王・源守清の系図
子 実経【1019-1045】
母は源泰経の娘とも。
子の妻 大江清通の娘
子の妻の父 大江清通→大江清通の系図
孫 師仲【1036-1093】
孫の妻 藤原家経の娘
孫の妻の父 藤原家経→藤原広業・家経の系図
曾孫 実信/忠実
曾孫 師子→源雅実・雅定の系図
曾孫の夫 藤原顕実→藤原資仲~資重の系図
子 良経【?-1058】
子の妻 藤原隆光の娘
子の妻の父 藤原隆光→藤原隆光の系図
孫 経範
母は源長経の娘とも。
孫 師保/伊行
孫 良意
父は藤原行成とも。
妻 藤原泰通の娘
妻の父 藤原泰通→藤原泰通の系図
子 行経・孫 伊房→藤原行経・伊房の系図
妻 橘為政の娘
妻の父 橘為政→橘為政の系図
子 永親【?-1083】
子の妻 平正度の娘
子の妻の父 平正度→平正度の系図
孫 永清【1031-1096】
父は藤原行経(→藤原行経・伊房の系図)とも。
曾孫 経尋〔養父:藤原伊房(→藤原行経・伊房の系図)〕
子の夫 源経頼→源扶義の系図
子の夫 源顕基→源顕基の系図
子の夫 藤原長家→藤原長家・忠家の系図
藤原行経・伊房の系図
藤原行経【1012-1050】
参議。母は源泰清(→有明親王・源守清の系図)の娘とも。
祖父 義孝→藤原伊尹・義孝の系図
父 行成→藤原行成の系図
祖父 藤原泰通→藤原泰通の系図
妻 源貞亮の娘
妻の父 源貞亮→源通理・国盛の系図
子 師行
子の妻 源長季の娘
子の妻の父 源長季→源忠賢~長季の系図
子 永清→藤原行成の系図
父は藤原永親とも。
藤原伊房(これふさ)【1030-1096】
権中納言。能書。前の三房の一人。契丹との密貿易を企てた。
妻 高階成章の娘
妻の父 高階成章→高階成章の系図
子 定実・孫 定信→藤原定実~伊行の系図
子 公伊(こういん)【1052-1134】
子 経尋→藤原行成の系図
実は藤原永清の子。
子の夫 藤原師季→藤原通任~師季の系図
孫 尹時→藤原尹時の系図
藤原定実~伊行の系図
藤原定実(さださね)
祖父 行経・父 伊房→藤原行経・伊房の系図
祖父 高階成章→高階成章の系図
妻 源基綱の娘
妻の父 源基綱→源経信の系図
子の夫 藤原伊通→藤原伊通の系図
藤原定信(さだのぶ)【1088-?】
子 定行/伊成
子の夫 藤原公重→西園寺通季の系図
子の夫 源師任→源師時の系図
藤原伊行(これゆき)
能書。『源氏釈』を著した。
妻 夕霧
筝の名手。
子 建礼門院右京大夫(けんれいもんいんのうきょうのだいぶ)
歌人。建礼門院や後鳥羽天皇に仕えた。
子 伊経→藤原伊経の系図
子 尊円/定伊
子の夫 大炊御門頼実→大炊御門頼実の系図