このページでは、九鬼氏(藤原氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
九鬼氏(摂津国三田藩主)の略系図
1 隆良→九鬼隆良~嘉隆の系図
9 守隆→九鬼守隆~隆昌・隆重~隆安の系図
13 隆律→九鬼隆律~隆義の系図
九鬼隆良~嘉隆の系図
九鬼隆良(たかよし)
熊野八庄司の一つの家という。紀伊国九鬼浦に住み、のちに志摩国波切村に移ったという。
九鬼隆基(たかもと)
九鬼隆次(たかつぐ)
九鬼泰隆(やすたか)
九鬼定隆(さだたか)
子 嘉隆〔養父:九鬼澄隆〕
九鬼浄隆(きよたか)
九鬼澄隆(すみたか)【?-1584】
九鬼嘉隆(よしたか)【1542-1600】
実は九鬼定隆の子。織田信長・豊臣秀吉に仕え、志摩水軍を率いた。関ケ原の戦いで敗れ、自害した。
子 守隆・孫 貞隆・隆重→九鬼守隆~隆昌・隆重~隆安の系図
孫 隆季→九鬼隆季~隆寛の系図
子 主殿助【?-1600】
子 五郎八【?-1600】
孫 徳隆
孫の妻 九鬼守隆の娘
孫の妻の父 九鬼守隆→九鬼守隆~隆昌・隆重~隆安の系図
孫 長兵衛
孫の妻 近藤秀用の娘
孫の妻の父 近藤秀用→近藤秀用~昌用の系図
孫の妻の夫 小笠原権之丞→小笠原定政~信盛・長貞~信興の系図
曾孫の夫 中川忠幸→中川忠幸の系図
九鬼守隆~隆昌・隆重~隆安の系図
九鬼守隆(もりたか)/友隆(ともたか)/光隆(みつたか)【1573-1632】
志摩国鳥羽藩主。関ケ原の戦いでは東軍に属し、領国を安堵された。
祖父 澄隆・父 嘉隆→九鬼隆良~嘉隆の系図
子 貞隆(さだたか)【1608-1631】
子の妻 京極高広の娘
子の妻の父 京極高広→京極高広・高勝~高平の系図
子 隆季・孫 隆常→九鬼隆季~隆寛の系図
子 久隆〔養父:九鬼良隆〕
子の夫 九鬼徳隆→九鬼隆良~嘉隆の系図
子の夫 戸田忠能→戸田尊次・忠能の系図
子の夫 松平勝隆→松平勝隆の系図
子の夫 水野勝俊→水野勝成~勝貞の系図
九鬼良隆(よしたか)【1605-1634】
九鬼久隆(ひさたか)/隆尚(たかなお)【1617-1649】
鳥羽藩主・摂津国三田藩主。実は九鬼守隆の子。
子の夫 柳生宗春→柳生永珍~宗在の系図
九鬼隆昌(たかまさ)【1647-1669】
三田藩主。
妻 池田輝澄の娘
妻の父 池田輝澄→池田輝澄の系図
子・子の夫 隆律・孫 副隆→九鬼隆律~隆義の系図
九鬼隆重(たかしげ)【1635-1679】
子 隆之〔養父:九鬼隆長〕
子の夫 大久保忠鎮→大久保忠鎮の系図
九鬼隆長(たかなが)【1645-1703】
妻 本多忠隆の娘
妻の父 本多忠隆→本多忠隆・忠吉・忠直~忠篤の系図
子 隆相〔養父:九鬼隆之〕
九鬼隆之(たかゆき)【1668-1746】
実は九鬼隆重の子。
九鬼隆相(たかすけ)【1698-1781】
実は九鬼隆長の子。
妻 富永勝浄の娘
妻の父 富永勝浄→富永勝浄の系図
九鬼隆起(たかおき)【1741-?】
実は富永勝浄(→富永勝浄の系図)の子。
妻 井上正長の娘
妻の父 井上正長→井上政重~政清・政明~正英の系図
子 浅井良直〔養父:浅井良啓〕→浅井良直の系図
子の夫 藤本稠昌→藤本稠昌の系図
九鬼隆安(たかやす)
妻 北村春水の娘
妻の父 北村春水→北村春水の系図
九鬼隆律~隆義の系図
九鬼隆律(たかのり)/隆仲(たかなか)【1657-1686】
三田藩主。実は池田光仲(→池田忠継~光仲の系図)の子。
祖父 久隆・父 隆昌→九鬼守隆~隆昌・隆重~隆安の系図
妻 九鬼隆昌の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻の父 九鬼隆昌→九鬼守隆~隆昌・隆重~隆安の系図
妻 池田政武の娘
妻の父 池田政武→池田政武の系図
子 隆律の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
九鬼副隆(すえたか)【1674-1697】
三田藩主。実は柳生宗春(→柳生永珍~宗在の系図)の子。
九鬼隆久(たかひさ)/隆方(たかみち)【1680-1722】
三田藩主。実は柳生宗在(→柳生永珍~宗在の系図)の子。
九鬼隆抵(たかやす)/隆休(たかやす)【1690-1733】
三田藩主。実は戸田忠章(→戸田忠章~忠偲の系図)の子。
妻 植村家言の娘
妻の父 植村家言→植村家貞~家包の系図
子 隆抵の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
九鬼隆由(たかより)【1718-1743】
三田藩主。実は九鬼隆寛(→九鬼隆季~隆寛の系図)の子。
九鬼隆邑(たかむら)【1727-1820】
三田藩主。実は九鬼隆寛(→九鬼隆季~隆寛の系図)の子。
妻 伊東祐永の娘
妻の父 伊東祐永→伊東祐由~祐之の系図
九鬼隆張(たかはる)【1747-1821】
三田藩主。
妻 島津久柄の娘
妻の父 島津久柄→島津久柄の系図
子の夫 小堀邦明→小堀邦明の系図
九鬼隆国(たかくに)【1781-1852】(以下、『九鬼家譜(摂津三田)』による。)
三田藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 蜂須賀理
蜂須賀重喜(→蜂須賀至央・重喜の系図)の娘。
子の夫 谷衛弥(『系図纂要』による。)→谷衛秀~衛滋の系図
九鬼隆徳(たかのり)【1801-1864】
三田藩主。
妻 蜂須賀姞
蜂須賀治昭(→蜂須賀治昭~茂韶の系図)の娘。
妻 岡田美津【1813-?】(『華族系譜』による。)
子の夫 牧野誠成→牧野誠成の系図
九鬼精隆(きよたか)【1824-1859】
三田藩主。
妻 大村純昌の娘
妻の父 大村純昌→大村純保~純煕の系図
夫 松平忠恕→松平忠福~忠恕の系図
九鬼隆義(たかよし)【1837-1891】
三田藩主。実は九鬼隆都(→九鬼隆貞~隆備の系図)の子。白洲退蔵を登用して藩政改革を行った。
妻 松平鏐
松平康爵(→松平康定~康載の系図)の娘。
妻 佐藤園【1849-?】(『華族系譜』による。)
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。