このページでは、芝山家(藤原氏北家・高藤流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
芝山宣豊~弘豊の系図
芝山宣豊(のぶとよ)【1612-1690】
権大納言。父は勧修寺致康(→勧修寺晴秀・晴豊の系図)とも。芝山家の祖。
祖父 晴豊→勧修寺晴秀・晴豊の系図
父 光豊→勧修寺光豊~経敬の系図
芝山定豊【1638-1707】
権中納言。
芝山広豊/季寿【1674-1723】〔養子:水無瀬経業(→水無瀬兼豊~経業の系図)〕
参議。実は四辻季輔(→四辻季継~季輔の系図)の子。
子の夫 石井行忠→石井行豊~行忠の系図
孫 行文→石井行文~行知の系図
芝山重豊(しげとよ)/季憲【1703-1766】
権中納言。実は高丘季起(→高丘季起~紀季の系図)の子。宝暦事件に関与した。
妻 山井兼仍の娘
妻の父 山井兼仍→山井兼仍~氏胤の系図
芝山持豊(もちとよ)【1742-1815】
権大納言。国学や和歌に通じた。
妻 万里小路政房の娘
妻の父 万里小路政房→万里小路稙房~通房の系図
芝山国豊(くにとよ)【1781-1821】
正三位。実は勧修寺経逸(→勧修寺顕道~経逸の系図)の子。
妻 伏原宣光の娘
妻の父 伏原宣光→伏原宣光の系図
子 芝小路豊訓・子 国豊の娘(『芝山家譜』による。)
子の夫 東園基貞→東園基禎~基愛の系図
芝山国典【1818-1843】
母は『芝山家譜』による。
妻 万里小路建房の娘
妻の父 万里小路建房→万里小路稙房~通房の系図
子 今園国映(『芝山家譜』による。)
芝山弘豊/敬豊【1837-1862】
『系図纂要』によれば実は坊城俊明(→坊城俊明~俊章の系図)の子。
妻 坊城昌子
坊城俊明(→坊城俊明~俊章の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。