このページでは、清和源氏・義親流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
源義親の系図
源義親(よしちか)【?-1108】
対馬守在任中に人民を殺害するなどして隠岐に流された。その後も狼藉を働いたため、平正盛に追討された。
祖父 頼義→源頼義の系図
父 義家→源義家の系図
祖父 源隆長→源兼長~俊兼の系図
子 義信→源義信の系図
子 義俊→源義俊の系図
孫 師俊→源師俊の系図
子 為義〔養父:源義家〕→源為義の系図
子 義行→源義行の系図
孫 義持→源義持の系図
孫の夫 藤原経尹→藤原親経の系図
源義信の系図
源義信
義政孫 時持
時持の妻 藤原仲俊の娘
時持の妻の父 藤原仲俊→藤原良頼の系図
源義俊の系図
源義俊
子 師俊→源師俊の系図
源師俊の系図
源師俊
曾孫 秋仲
曾孫の妻 近衛実香の娘
曾孫の妻の父 近衛実香→川原実重・近衛実光の系図
源義泰の系図
源義泰
妻 源顕仲の娘
妻の父 源顕仲→源顕仲の系図
子 長泰→源長泰の系図
源長泰の系図
源長泰
祖父 義親→源義親の系図
父 義泰→源義泰の系図
祖父 源顕仲→源顕仲の系図
源義行の系図
源義行
子 義持→源義持の系図
源義持の系図
源義持
妻 二条定能の娘
妻の父 二条定能→二条定能の系図
子 義信
子の妻 武田信義の娘
子の妻の父 武田信義→武田信義の系図
子 貞持
子の妻 一条忠頼の娘
子の妻の父 一条忠頼→武田信義の系図
清房孫 長房
父は源有房、源忠房とも。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。