このページでは、京極氏(宇多源氏・扶義流)・高知流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
京極氏・高知流(但馬国豊岡藩主)の略系図
1 高知→京極高知の系図
1-A1 高広→京極高広・高勝~高平の系図
1-A2 高国→京極高国~高福の系図
1-A3 高林→京極高林~高朝の系図
1-B 満吉→田中満吉~京極高貞の系図
2 高三→京極高三~高盛・高門~高貞の系図
5 高住→京極高住・水野善興~京極高〓の系図
6 高栄→京極高栄~高厚の系図
京極高知の系図
京極高知(たかとも)【1572-1622】
丹後国宮津藩主。母の影響でキリシタン大名となった。
祖父 高秀・父 高吉→京極高光~高吉の系図
祖父 浅井祐政→浅井祐政の系図
妻 織田昌澄の娘
妻の父 織田昌澄→織田信行~信高の系図
妻 毛利秀政の娘
子 信濃
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 智仁親王→智仁親王の系図
孫 広幡忠幸→広幡忠幸・豊忠の系図
妻 竹原氏
子 高三・孫 高直→京極高三~高盛・高門~高貞の系図
子 兵丸
母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 六郷政勝→六郷政勝の系図
妻 各務氏
子 田中満吉・孫 高稙→田中満吉~京極高貞の系図
子 高知の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。沢良政に嫁いだ。
子 高広・孫 高勝→京極高広・高勝~高平の系図
孫 高国→京極高国~高福の系図
子 万作【1611-1612】
子・子の夫 高通→京極高通~高之・高重~高伴の系図
孫 高昌→京極高昌~高衷の系図
孫 高成→京極高成~高朝の系図
京極高広・高勝~高平の系図
京極高広(たかひろ)/高政(たかまさ)【1599-1677】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
宮津藩主。高国の悪政を幕府に訴え、高勝に家督を継がせようとしたが叶わなかった。
祖父 高吉→京極高光~高吉の系図
父 高知→京極高知の系図
妻 池田輝政の娘
妻の父 池田輝政→池田輝政の系図
子 高国・孫 高規→京極高国~高福の系図
子の夫 松平定頼→松平定行・定頼の系図
孫 定長→松平定長~定功・定章の系図
子 高治(たかはる)【1623-1652】
孫 国晴〔養父:京極高勝〕
子の夫 九鬼貞隆→九鬼守隆~隆昌・隆重~隆安の系図
京極高勝(たかかつ)【1620-1683】
子 高冬(たかふゆ)【?-1679】
子の妻 毛利就隆の娘
子の妻の父 毛利就隆→毛利就隆・元賢の系図
子の夫 松平定長→松平定長~定功・定章の系図
子の夫 堀田正矩→堀田正矩の系図
京極国晴(くにはる)
実は京極高治の子。
京極高金(たかかね)/高兼(たかかね)【?-1700】
妻 伊達宗純の娘
実は伊達宗職(→伊達秀宗の系図)の娘。
妻の父 伊達宗純→伊達宗純~村信の系図
子の夫 阿部正福→阿部正福・正右の系図
京極高平(たかひら)【1698-1709】
京極高国~高福の系図
京極高国(たかくに)/高照(たかてる)/高好(たかよし)【1616-1675】
宮津藩主。親不孝と悪政により、所領を没収されて盛岡に流された。
祖父 高知→京極高知の系図
父 高広→京極高広・高勝~高平の系図
祖父 池田輝政→池田輝政の系図
妻 伊達政宗の娘
妻の父 伊達政宗→伊達政宗の系図
子 高甫〔養父:京極高規〕
子 高林〔養父:京極高規〕→京極高林~高朝の系図
子の夫 立花種明→立花種明・種澄~種郷の系図
孫 貫長→立花貫長の系図
京極高規(たかのり)/高頼(たかより)【1643-1708】
子 高祐(たかすけ)【1682-1699】
子 高林・孫 高周→京極高林~高朝の系図
京極高甫(たかすけ)/高武(たかたけ)/高茂(たかしげ)/親信(ちかのぶ)【1662-1729】
実は京極高国の子。
子 北条氏応〔養父:北条氏庸〕→北条氏平~氏征の系図
京極高本(たかもと)/高包(たかかね)【1694-1758】
子の夫 辻久暢→辻久暢の系図
京極高常(たかつね)
実は牧野忠列(→牧野忠列の系図)の子。
子 永井直休〔養父:永井直定〕→永井直貞・直孟・直方~直休の系図
子の夫 池田政貞→池田政親~政満の系図
子の夫 大沢信容→大沢信容の系図
京極高厚(たかあつ)【1753-1781】
妻 永井直富の娘
妻の父 永井直富→永井直澄~直観の系図
妻 池田政方の娘
妻の父 池田政方→池田政方・政香の系図
京極高以(たかゆき)/高韶【1777-1808】
妻 西郷員相の娘
妻の父 西郷員相→西郷員相の系図
京極高正【?-1832】(以下、『系図纂要』による。)
京極高林~高朝の系図
京極高林(たかよし)【1664-1725】
実は京極高国(→京極高国~高福の系図)の子。
祖父 高国・父 高規→京極高国~高福の系図
京極高周(たかよし)【1699-1729】
実は新庄直詮(→新庄直詮の系図)の子。
子の夫 服部保春→服部保春の系図
京極高英(たかふさ)【1711-1789】
実は立花種盈(→立花種明・種澄~種郷の系図)の子。
子 高慵(たかただ)
実は関永張(→関永張の系図)の子。
子の夫 飯室昌由→飯室昌由の系図
京極高暁(たかあき)【1745-?】
実は新庄直祐(→新庄直祐の系図)の子。
子 高朝〔養父:京極高豊〕
子 伊与田武慎〔養父:伊与田武繁〕→伊与田武慎の系図
子の夫 浅岡直温→浅岡直温の系図
京極高豊(たかとよ)【1763-?】
京極高朝(たかとも)【1770-?】
実は京極高暁の子。
妻 石丸定栄の娘
妻の父 石丸定栄→石丸定栄の系図
田中満吉~京極高貞の系図
田中満吉(みつよし)/高成(たかなり)【1616-1662】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 高吉→京極高光~高吉の系図
父 高知→京極高知の系図
子 久留正芳〔養父:久留勝正〕→久留正芳の系図
子の夫 畠山基玄→畠山基玄の系図
子の夫 三浦明敬→三浦明敬~明次の系図
田中高稙(たかなお)【1646-1730】
妻 島田時郷の娘
妻の父 島田時郷→島田時郷の系図
京極高久(たかひさ)【1659-1727】
妻 酒井忠実の娘
妻の父 酒井忠実→酒井忠次~忠貞の系図
妻 松下之則の娘
妻の父 松下之則→松下之則の系図
子の夫 京極高為→京極高為の系図
京極高寿(たかなが)【1691-1729】
妻 京極高住の娘
実は京極高里(→京極高三~高盛・高門~高貞の系図)の娘。
妻の父 京極高住→京極高住・水野善興~京極高〓の系図
京極高儔(たかとも)【1720-1782】
京極高丘(たかおか)【1749-1783】
子の夫 篠山資朋→篠山資朋の系図
子の夫 朝倉篤弼→朝倉篤弼の系図
京極高貞(たかさだ)【1767-?】
妻 柘植正陽の娘
妻の父 柘植正陽→柘植正陽の系図
京極高三~高盛・高門~高貞の系図
京極高三(たかみつ)【1607-1636】
丹後国田辺藩主。
祖父 高吉→京極高光~高吉の系図
父 高知→京極高知の系図
妻 水野忠清の娘
妻の父 水野忠清→水野忠清・忠職の系図
子の夫 牧野富成→牧野富成の系図
子の夫 六郷政勝→六郷政勝の系図
京極高直(たかなお)/高沖(たかおき)【1632-1663】
田辺藩主。
妻 水野忠善の娘
妻の父 水野忠善→水野忠善の系図
子 高住〔養父:京極高盛〕→京極高住・水野善興~京極高〓の系図
子 高里(たかさと)/高久(たかひさ)/高徳(たかやす)〔養父:京極高門〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
孫 高完〔養父:京極高方〕→京極高成~高朝の系図
孫 高里の娘〔養父:京極高住〕→京極高住・水野善興~京極高〓の系図
石東明遠に嫁いだ。
孫 高里の娘〔養父:京極高住〕→京極高住・水野善興~京極高〓の系図
坂本守休に嫁いだ。
孫の夫 京極高寿→田中満吉~京極高貞の系図
子 高元・万里之助
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 高直の娘(3人)(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 森長武→森長武の系図
京極高盛(たかもり)【1650-1709】
田辺藩主・但馬国豊岡藩主。
子 高住・孫 水野善興→京極高住・水野善興~京極高〓の系図
孫 高栄→京極高栄~高厚の系図
京極高門(たかかど)/高明(たかあき)【1658-1721】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
子 高里
実は京極高直の子。
京極高為(たかため)【1692-1732】
実は稲垣昭友(→稲垣昭友の系図)の子。
妻 京極高久の娘
妻の父 京極高久→田中満吉~京極高貞の系図
京極高亶(たかあつ)/高味(たかちか)【1719-1785】
実は稲垣昭為(→稲垣昭為の系図)の子。
妻 池田政方の娘
実は池田由道(→池田由道の系図)の娘。
妻の父 池田政方→池田政方・政香の系図
夫 中山房明→中山直守~直有・直温~内蔵丞の系図
子 稲垣敦見〔養父:稲垣昭敦〕→稲垣敦見の系図
子の夫 丹羽長裕→丹羽長裕の系図
子の夫 浅井元茂→浅井元茂の系図
子の夫 岡部忠英→岡部忠英の系図
子の夫 前田定静→前田定静の系図
京極高燭(たかてる)【1757-?】
妻 村瀬俊清の娘
妻の父 村瀬俊清→村瀬俊清の系図
夫 内藤忠温→内藤忠重~忠勝・忠知~忠温の系図
夫 布施重祐→布施重祐の系図
京極高貞(たかさだ)
実は榊原政永(→榊原政永の系図)の子。
京極高住・水野善興~京極高〓の系図
京極高住(たかすみ)【1660-1730】
豊岡藩主。実は京極高直(→京極高三~高盛・高門~高貞の系図)の子。
祖父 高直・父 高盛→京極高三~高盛・高門~高貞の系図
妻 松平佐手
実は東園基賢(→東園基教~基雅の系図)の娘。
妻の父 松平直矩→松平直基~基知の系図
妻 難波氏
子 高栄・孫 高永→京極高栄~高厚の系図
子 高正
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 高住の娘
実は京極高里(→京極高三~高盛・高門~高貞の系図)の娘。石東明遠に嫁いだ。
子 高住の娘
実は京極高里(→京極高三~高盛・高門~高貞の系図)の娘。坂本守休に嫁いだ。
子の夫 京極高寿→田中満吉~京極高貞の系図
水野善興(よしおき)【1697-1747】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
子 大橋高本〔養父:大橋親英〕→大橋高本の系図
京極高明(たかあきら)/善勝(よしかつ)【1735-1779】
子 高〓(「虫」+「鬲」)〔養父:京極高亮〕
子の夫 浅井元茂→浅井元茂の系図
京極高亮(たかすけ)【1759-1788】
妻 坂部広保の娘
妻の父 坂部広保→坂部広保の系図
妻 安藤信姿の娘
父は安藤信尹(→安藤信尹~信馨の系図)とも。
妻の父 安藤信姿→安藤重矩~信任・理兵衛~保教の系図
妻 大久保忠敬の娘
妻の父 大久保忠敬→大久保忠敬の系図
夫 加藤泰輔→加藤泰輔の系図
京極高〓(たかのぶ)【1765-?】
実は京極高明の子。〓は「虫」+「鬲」。
妻 水野勝羨の娘
妻の父 水野勝羨→水野勝彦~勝善・勝英~勝順の系図
妻 大久保忠元の娘
妻の父 大久保忠元→大久保忠元の系図
京極高栄~高厚の系図
京極高栄(たかよし)/高継(たかつぐ)【1690-1721】
豊岡藩主。
祖父 高盛→京極高三~高盛・高門~高貞の系図
父 高住→京極高住・水野善興~京極高〓の系図
妻 水野忠之の娘
実は水野忠盈(→水野忠春~忠任の系図)の娘。
妻の父 水野忠之→水野忠春~忠任の系図
子 高栄の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 松平定重の娘
妻の父 松平定重→松平定重の系図
夫 本庄宗弥→本庄宗弥の系図
妻 中村氏
子 高寛(たかのり)【1717-1726】
豊岡藩主。幼くして亡くなったため、一時的に絶家となった。
京極高永(たかなが)/高平(たかひら)【1720-1760】
豊岡藩主。絶家となっていたが、領地を減らされた上で相続を認められた。
妻 細川興生の娘
妻の父 細川興生→細川立孝~興里の系図
子 坂部成寿〔養父:坂部正方〕→坂部成寿の系図
子 高永の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 石川総武→石川総乗~総武の系図
妻 馬場氏
子 高大〔養父:京極高品〕
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 高永の娘
母は『寛政重修諸家譜』による。大久保忠寿に嫁ぐ予定であった。
子の夫 大沢基年→大沢基年の系図
子 多田勝十郎(『寛政重修諸家譜』による。)
京極高品(たかかず)【1741-1792】
豊岡藩主。
妻 加納久堅の娘
妻の父 加納久堅→加納政保~久堅の系図
子 高大
実は京極高永の子。
京極高有(たかあり)/高尚(たかなお)【1775-1841】(以下、『京極家譜(但馬豊岡)』による。)
豊岡藩主。実は京極高久(→京極高長~高陳の系図)の子。
妻 脇坂友/直
脇坂安親(→脇坂安親の系図)の娘。
夫 竹腰睦群→竹腰正武~正旧の系図
妻 戸田万喜
戸田光悌(→戸田光悌~光則の系図)の娘。
夫 阿部正簡→阿部正簡~正恒の系図
子 氏徳/高篤〔養父:島田藤十郎〕
京極高行(たかゆき)【1794-1847】
豊岡藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。藩校稽古堂を設立した。
妻 五島貞子/静子
五島盛運(→五島盛運~盛徳の系図)の娘。
妻 永井直方の娘
妻の父 永井直方→永井直温~直哉の系図
妻 本多佐多
本多忠知(→本多忠誠~忠伸の系図)の娘。
京極高厚(たかあつ)【1829-1905】
豊岡藩主。母は『華族系譜』による。
妻 島津忠徹の娘
妻の父 島津忠徹→島津忠徹の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。