細川氏(清和源氏・義国流)・頼有流の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、細川氏(清和源氏・義国流)・頼有流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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細川氏・頼有流(常陸国谷田部藩主)の略系図

細川氏・頼有流の略系図

1 頼有細川頼有~藤孝の系図
10 興元細川興元~興誠の系図
15 興虎細川興虎~興貫の系図

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細川頼有~藤孝の系図

細川頼有~藤孝の系図

  細川頼有(よりあり)【1332-1391】

祖父 公頼 頼春細川公頼・頼春の系図

 頼顕(よりあき)【1373-1390】
 頼敦 宗久宗機宗守(『細川家譜(肥後熊本)』による。)


  細川頼長(よりなが)【1375-1411】
 有勝通的(『細川家譜(肥後熊本)』による。)


  細川持有(もちあり)【1395-1438】
 常有〔養父:細川教春〕
 永琮(『細川家譜(肥後熊本)』による。)


  細川教春(のりはる)【1423-1450】


  細川常有(つねあり)【1424-1480】
 実は細川持有の子。
 頼常(よりつね)【1442-1474】(『寛政重修諸家譜』による。)
 元有〔養父:細川政有〕
 勢誉(『細川家譜(肥後熊本)』による。)


  細川政有(まさあり)/頼次(よりつぐ)【1449-1480】
 源諦(『細川家譜(肥後熊本)』による。)


  細川元有(もとあり)【1459-1500】
 三淵晴貞の娘
妻の父 三淵晴貞→三淵晴貞の系図
 三淵晴員〔養父:三淵晴恒〕→三淵晴員の系図

 永佶有盛晴貞(『細川家譜(肥後熊本)』による。)


  細川元常(もとつね)【1482-1554】
 元春/元勝【?-1553】(以下、『系図纂要』による。)
 常元【?-1579】
曾孫 政勝【?-1614】
元春孫 政朝【?-1630】
元春孫 常勝【1616-1692】
元春孫 常誠/常治【1653-1719】
元春孫 貴常/公常【1685-1740】
元春孫 常芳【1729-1808】
元春孫 常顕【1753-1831】
元春孫 常保【1770-1834】
元春孫 常徳/常之【1784-1851】
元春孫 常典【1823-?】

元春孫 常成/元福【1659-1691】
元春孫 兼充【1699-1769】

 頼勝永宗(『細川家譜(肥後熊本)』による。)


  細川藤孝(ふじたか)/幽斎(ゆうさい)【1534-1610】(以下、『系図纂要』による。)
 実は三淵晴員(→三淵晴員の系図)の子。三条西実枝から古今伝授を受けた。
 忠興〔養父:細川輝経〕→細川頼貞~忠興の系図
 興元 興昌細川興元~興誠の系図
 伊也→吉田兼治の系図
 加賀→木下延俊の系図
 →長岡好重の系図
 幸隆孝之 
 母は『寛政重修諸家譜』による。
子の夫 中院通勝中院通勝~通純の系図

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細川興元~興誠の系図

細川興元~興誠の系図

  細川興元(おきもと)【1564-1619】
 下野国茂木藩主・常陸国谷田部藩主。

祖父 元常 藤孝細川頼有~藤孝の系図

 立花宗茂の娘
 実は立花鎮種(→立花鎮種の系図)の娘。
妻の父 立花宗茂→立花宗茂の系図

子の夫 高辻遂長高辻遂長~長量の系図


  細川興昌(おきまさ)【1604-1643】
 谷田部藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 加藤貞泰の娘
妻の父 加藤貞泰→加藤貞泰の系図
 興昌の娘
 母は『寛政重修諸家譜』による。


  細川興隆(おきたか)【1632-1690】
 谷田部藩主。47年間藩主を務めた。
 牧野信成の娘
妻の父 牧野信成→牧野信成の系図
子の夫 細川利重細川利重~利恭の系図
子の夫 小笠原長重小笠原忠知~長重の系図

 加藤泰和〔養父:加藤光定〕→加藤泰和の系図


  細川興栄(おきなが)/興英(おきふさ)【1658-1737】
 谷田部藩主。
 本多俊次の娘
妻の父 本多俊次本多俊次の系図
 万千代【1684-1686】
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 興貞【1694-1709】


  細川興誠(おきざね)【1687-1728】
 実は姉小路公量(→姉小路公景~実武の系図)の子。
 細川興栄の娘
 板倉重同板倉重形~勝清の系図
 興虎 興晴細川興虎~興貫の系図

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細川興虎~興貫の系図

細川興虎~興貫の系図

  細川興虎(おきとら)【1710-1737】
 谷田部藩主。

祖父 興栄 興誠細川興元~興誠の系図

 牧野英成の娘
妻の父 牧野英成→牧野英成の系図


  細川興晴(おきはる)【1736-1794】
 谷田部藩主。
 立花貞俶の娘
妻の父 立花貞俶→立花貞俶の系図
 行和
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 徳隣(以下、『細川家譜(常陸谷田部)』による。)
 定保〔養父:前田定秀〕

 大田原清昭〔養父:大田原清貞〕→大田原清昭の系図
 良煕〔養父:山村良喬〕
子の夫 山名義方→山名義方の系図
子の夫 堀直皓堀直皓~直明の系図


  細川興徳(おきのり)【1759-1837】(以下、『細川家譜(常陸谷田部)』による。)
 谷田部藩主。藩校弘道館を創設した。財政再建に努め、二宮尊徳の指導を受けた。
 細川親
 細川重賢(→細川宣紀~治年の系図)の娘。

 興昶【?-1802】
 実は毛利治親(→毛利治親~元徳の系図)の子。
 興譲/興祥【1787-1828】
 実は丹羽氏福(→丹羽氏福の系図)の子。
 興民
 実は榊原政令(→榊原政令の系図)の子。
 興譲の娘〔養父:細川興徳〕


  細川興建(おきたつ)【1798-1855】
 谷田部藩主。実は有馬頼端(→有馬頼端の系図)の子。
 細川興徳の娘
 実は細川興譲の娘。

 泰壮〔養父:加藤挙直〕
 磋久子南部政信~信方の系図
子の夫 細川立則(『系図纂要』による。)→細川立之~行真の系図
子の夫 松浦脩松浦宝~脩の系図


  細川興貫(おきつら)【1832-1907】
 谷田部藩主。藩名を茂木藩に改めた。
 細川行芬の娘
妻の父 細川行芬細川立之~行真の系図

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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