このページでは、藤原氏北家・師尹流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
藤原師尹の系図
藤原師尹(もろまさ)【920-969】
左大臣。
祖父 基経→藤原良房・基経の系図
父 忠平→藤原忠平の系図
祖父 源能有→源能有の系図
妻 藤原定方の娘
妻の父 藤原定方→藤原定方の系図
子 定時・孫 実方→藤原定時・実方の系図
子 済時→藤原済時の系図
孫 通任→藤原通任~師季の系図
子 芳子→村上天皇の系図
藤原定時・実方の系図
藤原定時/貞時/忠時
祖父 忠平→藤原忠平の系図
父 師尹→藤原師尹の系図
祖父 藤原定方→藤原定方の系図
妻 源雅信の娘
妻の父 源雅信→源雅信の系図
藤原実方(さねかた)【?-998】
風流人で奔放な性格であったとされる。
妻 大中臣輔親の娘
妻の父 大中臣輔親→大中臣輔親の系図
子 貞叙
子の妻 成尋阿闍梨母(じょうじんあじゃりのはは)【988頃-?】
子の妻の父 源俊賢→源俊賢の系図
孫 成尋(じょうじん)【1011-1081】
宋に渡り、五台山・天台山を巡礼した。最後は宋で没した。
子 長快(ちょうかい)【1037-1122】
熊野別当。『尊卑分脈』は実方の子とするが、出自には諸説ある。
孫 湛快(たんかい)【1099-1174】
熊野別当。平治の乱では平清盛を助けた。
曾孫 湛増(たんぞう)【1130-1198】
実は源為義(→源為義の系図)の子。熊野別当。源義経の要請で、屋島の戦いや壇ノ浦の戦いに参加した。
子の夫 菅原定義→菅原定義~在茂の系図
孫 在良→菅原在良~公輔の系図
藤原朝元の系図
藤原朝元【?-1031】
祖父 定時・父 実方→藤原定時・実方の系図
妻 藤原通経の娘
妻の父 藤原通経→藤原為長~頼綱の系図
子 定成→藤原定成の系図
妻 源国挙の娘
妻の父 源国挙→源通理・国盛の系図
子 師任
父は藤原実方(→藤原定時・実方の系図)とも。
子 実任【?-1088】
孫 季元/季光
子の夫 藤原重房→藤原兼隆の系図
子の夫 源俊房→源俊房の系図
孫 行貞
父は藤原師任とも。
藤原定成の系図
藤原定成【1014-?】
祖父 実方→藤原定時・実方の系図
父 朝元→藤原朝元の系図
祖父 藤原通経→藤原為長~頼綱の系図
妻 高棟の娘
子 重綱
子の妻 藤原永業の娘
子の妻の父 藤原永業→藤原永信・永業の系図
妻 成経の娘
子 宗仲【?-1111】
孫 宗賢/雅成
曾孫 朝仲/朝宗
曾孫 盛仲→源盛仲の系図
実は源仲遠、山県国盛、源国方、源仲重、源家盛、源満綱の子。
曾孫 盛宗→源盛宗の系図
実は源仲遠、源仲重、源光賢の子。
子の夫 藤原基俊→藤原俊家の系図
子の夫 藤原師成→藤原通任~師季の系図
子の夫 源顕房→源顕房の系図
孫 顕仲→源顕仲の系図
朝仲孫 惟房・俊宗・範房
父は藤原朝輔とも。
朝仲孫 仲資
実は藤原仲信(→藤原公経・成経の系図)の子。
朝仲孫 秀房/永綱
藤原済時の系図
藤原済時(なりとき)【941-995】
大納言。娘の立后を見ることなく亡くなった。
祖父 忠平→藤原忠平の系図
父 師尹→藤原師尹の系図
祖父 藤原定方→藤原定方の系図
妻 源兼忠の娘
妻の父 源兼忠→源兼忠の系図
子 為任【?-1045】
孫 斉長/済長〔養父:藤原斉信〕→藤原斉信の系図
曾孫 観秀〔養父:藤原為季〕
曾孫の夫 源兼宗→源兼宗の系図
為任孫 師季
父は忠季とも。
為任孫 観秀
実は藤原定任の子。
妻 源延光の娘
妻の父 源延光→代明親王の系図
子 娍子→三条天皇の系図
妻 源能正の娘
妻の父 源能正→源能正の系図
子 通任・孫 師成→藤原通任~師季の系図
子 維叙〔養父:平貞盛〕→平国香~正衡の系図
子の夫 敦道親王→冷泉天皇・花山天皇の系図
藤原通任~師季の系図
藤原通任【974-1039】
権中納言。母は源兼忠(→源兼忠の系図)の娘、源延光(→源延光の系図)の娘とも。
祖父 師尹→藤原師尹の系図
父 済時→藤原済時の系図
祖父 源能正→源能正の系図
妻 藤原永頼の娘
妻の父 藤原永頼→藤原永頼の系図
妻 藤原尊子→円融天皇・一条天皇の系図
藤原道兼(→藤原道兼の系図)の子。
藤原師成【1009-1081】
参議。母は藤原信理(→藤原永頼の系図)の娘とも。
妻 藤原定成の娘
妻の父 藤原定成→藤原定成の系図
藤原師季
妻 藤原伊房の娘
妻の父 藤原伊房→藤原行経・伊房の系図
子 尹時→藤原尹時の系図
孫 師綱→藤原師綱の系図
藤原尹時の系図
藤原尹時
祖父 師成・父 師季→藤原通任~師季の系図
祖父 藤原伊房→藤原行経・伊房の系図
妻 源師忠の娘
妻の父 源師忠→源師忠の系図
子 師綱→藤原師綱の系図
孫 済綱→藤原済綱の系図
孫 親綱→藤原親綱~師平の系図
孫 成宗/能成
藤原師綱の系図
藤原師綱【?-1172】
祖父 師季→藤原通任~師季の系図
父 尹時→藤原尹時の系図
祖父 源師忠→源師忠の系図
妻 藤原俊忠の娘
妻の父 藤原俊忠→藤原俊忠の系図
子 済綱→藤原済綱の系図
子 親綱・孫 家時→藤原親綱~師平の系図
子の夫 藤原朝方→藤原朝方の系図
子の夫 藤原為頼→藤原惟方の系図
藤原済綱の系図
藤原済綱/済憲
祖父 尹時→藤原尹時の系図
父 師綱→藤原師綱の系図
祖父 藤原俊忠→藤原俊忠の系図
妻 藤原親能の娘
妻の父 藤原親能→藤原顕良・忠実の系図
子 家綱【?-1201】
子の妻 中原広季の娘
子の妻の父 中原広季→中原広季の系図
孫 時綱〔養子:藤原基時〕
曾孫 有時/有綱
曾孫の子の夫 九条忠教→九条教実~師教の系図
曾孫の子の夫 藤原信平→法性寺雅平の系図
時綱孫 重綱/尹綱
孫 親季〔養父:藤原定季〕→藤原親能・定季の系図
子の夫 五辻家経→五辻家経の系図
孫 基時〔養父:藤原時綱〕
藤原親綱~師平の系図
藤原親綱/親憲
祖父 尹時→藤原尹時の系図
父 師綱→藤原師綱の系図
祖父 藤原俊忠→藤原俊忠の系図
妻 経尊の娘
妻の父 経尊→藤原経季の系図
妻 隆雅の娘
妻の父 隆雅→藤原清隆の系図
子の夫 吉田資経→吉田資経の系図
孫 為経→吉田為経の系図
孫 坊城経俊→坊城経俊・俊定の系図
子の夫 葉室季頼→葉室季頼~頼藤の系図
孫の夫 持明院俊保→持明院保家の系図
藤原家時(いえとき)【?-1236】
正三位。
妻 藤原信雅の娘
妻の父 藤原信雅→藤原信輔の系図
子 信時【1204-1266】
正三位。
子の妻 藤原朝基の娘
子の妻の父 藤原朝基→藤原朝方の系図
孫 済家
正三位。
孫の妻 藤原師平の娘
曾孫 済氏【1266-1327】
従二位。
済氏孫 師世【?-1365】
正三位。
曾孫の夫 室町公行→室町実藤~実為の系図
孫 親時/親明
孫の夫 葉室定嗣→藤原光親の系図
藤原師平/忠時
子 頼基→藤原頼基の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。