福井松平家(清和源氏・義国流)の系図

系図のメモ帳
スポンサーリンク

 このページでは、福井松平家(清和源氏・義国流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

スポンサーリンク

福井松平家(越前国福井藩主)の略系図

福井松平家の略系図

1 秀康結城秀康・松平忠直の系図
3 忠昌松平忠昌の系図
4 光通松平光通~吉邦の系図
9 宗昌松平宗昌~茂昭の系図

スポンサーリンク

結城秀康・松平忠直の系図

結城秀康・松平忠直の系図

  結城秀康(ひでやす)【1574-1607】〔養父:豊臣秀吉(→豊臣秀吉の系図)、結城晴朝(→結城晴朝の系図)〕
 越前国福井藩主。

祖父 広忠松平清康・広忠の系図
 家康徳川家康の系図

 結城晴朝の娘
 実は江戸重通(→江戸重通の系図)の娘。
妻の父 結城晴朝→結城晴朝の系図
 秀康の娘【?-1594】

 中川一元の娘
 松平忠昌〔養父:松平忠直〕→松平忠昌の系図

 三谷長基の娘
 松平直政 綱隆松平直政~吉透の系図
 近栄松平近栄~近朝の系図
 隆政松平隆政~直道の系図

 吉松丸【1604-1609】〔養父:本多富正(→本多重富~長員の系図)〕
 土佐姫毛利秀就~吉広の系図

 三好長虎の娘
 松平直基 直矩松平直基~基知の系図

 津田奈和
 松平直良 直明松平直良~直純の系図


  松平忠直(ただなお)【1595-1650】
 福井藩主。大坂の陣で功をあげたが、将軍家に対する不遜な態度等により、改易されて豊後国萩原に流された。
 徳川勝姫【1601-1672】
 徳川秀忠(→徳川秀忠の系図)の娘。
 光長 宣富松平光長~長煕の系図
 亀子→好仁親王の系図
 鶴子九条幸家~輔実の系図

 平賀治郎右衛門の娘
 長頼(ながより)【1630-1667】
 綱国〔養父:松平光長〕→松平光長~長煕の系図

 長良【1632-1701】

 忠昌松平忠昌の系図
 光通松平光通~吉邦の系図

スポンサーリンク

松平忠昌の系図

松平忠昌の系図

  松平忠昌(ただまさ)【1597-1645】
 上総国姉崎藩主・常陸国下妻藩主・信濃国松代藩主・越後国高田藩主・福井藩主。実は結城秀康(→結城秀康・松平忠直の系図)の子。武芸者を集め、福井藩武芸十二法の基礎を築いた。

祖父 秀康 忠直結城秀康・松平忠直の系図

 広橋兼賢の娘
妻の父 広橋兼賢広橋兼賢~貞光の系図
 光通 昌親松平光通~吉邦の系図
 直堅松平直堅~直好の系図

 浅野幸長の娘
妻の父 浅野幸長浅野光時~幸長の系図

 浦上氏
 昌親〔養父:松平光通、松平綱昌〕→松平光通~吉邦の系図

 昌勝(まさかつ)【1636-1693】
 越前国松岡藩主。
子の妻 松平定行の娘
子の妻の父 松平定行松平定行・定頼の系図

子の妻 中根氏
 宗昌〔養父:松平吉邦〕→松平宗昌~茂昭の系図

子の妻 秋山氏
 吉邦〔養父:松平吉品〕→松平光通~吉邦の系図

 綱昌〔養父:松平昌親〕→松平光通~吉邦の系図
 鍋千代【?-1678】
 昌純【?-1704】
 昌賁【?-1709】
孫の夫 諏訪忠虎→諏訪忠虎の系図
孫の夫 大田原清信大田原政清~清信の系図
曾孫 扶清大田原扶清・友清の系図

孫の夫 松平吉透松平直政~吉透の系図
曾孫 宣維松平宣維~定安の系図

 徳松【?-1654】
 松平直政~吉透の系図
 飛鳥井雅庸~雅豊の系図本多重能~重賀の系図
 毛利秀就~吉広の系図
子の夫 土井利直土井利直~利豊の系図

スポンサーリンク

松平光通~吉邦の系図

松平光通~吉邦の系図

  松平光通(みつみち)【1636-1674】
 福井藩主。

祖父 忠直結城秀康・松平忠直の系図
 忠昌松平忠昌の系図
祖父 広橋兼賢広橋兼賢~貞光の系図

 松平国子
 松平光長(→松平光長~長煕の系図)の娘。
子の夫 鍋島綱茂→鍋島綱茂の系図

 松田善左衛門の娘
 直堅 直知松平直堅~直好の系図


  松平昌親(まさちか)/昌明/吉品(よしのり)【1640-1711】
 越前国吉江藩主・福井藩主。実は松平忠昌(→松平忠昌の系図)の子。
 森長継の娘
妻の父 森長継→森長継の系図


  松平綱昌(つなまさ)【1661-1699】
 福井藩主。実は松平昌勝(→松平忠昌の系図)の子。乱心により領地を没収された。
 飛鳥井雅直の娘
妻の父 飛鳥井雅直飛鳥井雅庸~雅豊の系図

 本多長教〔養父:本多長員〕→本多長教~副元の系図
子の夫 烏丸光栄烏丸光栄~光徳の系図


  松平吉品
 福井藩主。昌親が再度藩主となり、吉品を名乗った。
 昌方/毛利元重→毛利秀就~吉広の系図
 実は毛利綱広の子。


  松平吉邦(よしくに)/昌尚/昌邦【1681-1721】
 福井藩主。実は松平昌勝(→松平忠昌の系図)の子。
 日野西国豊の娘
妻の父 日野西国豊日野西総盛~延栄の系図

 宗昌 宗矩松平宗昌~茂昭の系図
 伊織〔養父:松平宗昌〕→松平宗昌~茂昭の系図
子の夫 松平宗矩松平宗昌~茂昭の系図

スポンサーリンク

松平宗昌~茂昭の系図

松平宗昌~茂昭の系図

  松平宗昌(むねまさ)/昌興/昌平【1675-1724】
 松岡藩主・福井藩主。実は松平昌勝(→松平忠昌の系図)の子。福井藩を継ぐことになり、松岡藩は廃藩となった。

祖父 吉品 吉邦松平光通~吉邦の系図

 小笠原久米姫
 実は松平頼元(→松平頼元・頼貞の系図)の娘。
妻の父 小笠原忠雄小笠原忠雄~忠総の系図

 伊織【?-1734】
 実は松平吉邦(→松平光通~吉邦の系図)の子。
子の夫 毛利宗広毛利吉元~重就の系図


  松平宗矩(むねのり)/昌昭【1715-1749】
 福井藩主。実は松平知清(→松平直基~基知の系図)の子。
 松平吉邦の娘
妻の父 松平吉邦松平光通~吉邦の系図


  松平重昌(しげまさ)【1743-1758】
 福井藩主。実は一橋宗尹(→一橋宗尹の系図)の子。


  松平重富(しげとみ)【1748-1809】
 福井藩主。実は一橋宗尹(→一橋宗尹の系図)の子。
 徳川致姫【1750-1794】
 徳川宗将(→徳川宗将の系図)の娘。


  松平治好(はるよし)【1768-1825】
 福井藩主。藩校正義堂を創設した。
 田安定姫【1767-1813】
 田安宗武(→田安宗武の系図)の娘。

 於義丸【?-1794】
 本之丞【1800-1803】
 実は一橋治済(→一橋治済の系図)の子。
 善道【1814-1843】
 松平康乂~慶倫の系図
子の夫 阿部正弘阿部正精~正桓の系図


  松平斉承(なりつぐ)【1811-1835】
 福井藩主。
 徳川浅姫(あさひめ)【1803-?】
 徳川家斉(→徳川家斉の系図)の娘。
 於義丸【?-1835】


  松平斉善(なりさわ)【1820-1838】
 福井藩主。実は徳川家斉(→徳川家斉の系図)の子。


  松平慶永(よしなが)【1828-1890】
 福井藩主。実は田安斉匡(→田安治察~亀之助の系図)の子。藩政改革を推し進め、家定の将軍継嗣問題では一橋慶喜を推した。幕末には政事総裁職を務めた。春嶽の号で知られる。
 細川勇
 細川斉護(→細川斉茲~護久の系図)の娘。

 慶民(よしたみ)【1882-1948】
 節姫【1876-?】〔養父:松平斉民(→松平康乂~慶倫の系図)〕
 里姫【1878-?】
 正姫【1879-?】
 友姫【1881-?】
 包姫【1883】
子の夫 阿部正弘阿部正精~正桓の系図


  松平茂昭(もちあき)/直廉(なおきよ)【1836-1890】
 越後国糸魚川藩主・福井藩主。実は松平直春(→松平堅房~直静の系図)の子。
 久我建通の娘
妻の父 久我建通久我信通~通久の系図

スポンサーリンク

系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
タイトルとURLをコピーしました