このページでは、清岡家(菅原氏)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
清岡長時~長説の系図
清岡長時【1657-1718】
参議。清岡家の祖。
祖父 為適・父 為庸→五条為適~為房の系図
妻 高倉永敦の娘
妻の父 高倉永敦→高倉永孝~永俊の系図
子 若江長統〔養父:若江長近〕→菅原在公~在永・公氏・公頼の系図
清岡致長【1694-1725】
妻 東坊城資長の娘
妻の父 東坊城資長→東坊城恒長~夏長の系図
清岡長香【1724-1754】
実は五条為範(→五条為範~為定の系図)の子。
妻 梅園久季の娘
妻の父 梅園久季→梅園実清~久季の系図
子 輝忠〔養父:清岡貞長〕
清岡貞長【1748-1759】
清岡輝忠【1749-?】
実は清岡長香の子。
清岡長親【1772-1821】
正三位。実は五条為俊(→五条為範~為定の系図)の子。
妻 北小路祥光の娘
妻の父 北小路祥光→北小路徳光~随光の系図
子 長貴【?-1808】
母は『清岡家譜』による。
妻 六角光通の娘
妻の父 六角光通→六角基維~博通の系図
清岡長材【1797-1860】
正三位。実は六角光通(→六角基維~博通の系図)の子。
子 長説〔養父:清岡長煕〕
子 長材の娘(『清岡家譜』による。)
清岡長煕(ながてる)【1814-1873】〔養父:五条為徳(→五条為範~為定の系図)〕
正三位。実は壬生家尹(→葉川基起~壬生基修の系図)の子。
子 長煕の息子(『清岡家譜』による。)
清岡長説(ながつく)【1832-1903】
正三位。実は清岡長材の子。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。