このページでは、三室戸家(藤原氏北家・真夏流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
三室戸誠光~和光の系図
三室戸誠光【1652-1689】
従三位。三室戸家の祖。
祖父 茂光・父 資行→柳原資定~資尭の系図
祖父 園基音→園基富~基音の系図
妻 亮有の娘
妻の父 亮有→岩倉具尭~乗具の系図
子 北小路徳光・孫 資福→北小路徳光~随光の系図
子 柳原資基〔養父:柳原秀光〕→柳原資定~資尭の系図
三室戸資順【1671-1718】
正三位。
妻 梅園季保の娘
妻の父 梅園季保→梅園実清~久季の系図
三室戸資方/共英【1710-1764】
実は梅小路共方(→梅小路定矩~定輯の系図)の子。
三室戸光村/相秀【1739-1782】
参議。実は上冷泉為村(→上冷泉為綱~為村の系図)の子。
妻 光雄の娘
妻の父 光雄→光雄の系図
三室戸能光【1769-1850】
権大納言。
子 緝光【1793-1817】
実は上冷泉為章(→上冷泉為泰・為章の系図)の子。
子 雄光〔養父:三室戸陳光〕
三室戸陳光【1805-1886】
参議。実は藤波季忠(→藤波季忠の系図)の子。
子 和光〔養父:三室戸雄光〕
子 河辺長量【1837-1867】(『三室戸家譜』による。)
従三位。
子 河辺教長・子 陳光の娘(『三室戸家譜』による。)
三室戸雄光【1822-1901】
正三位。実は三室戸能光の子。
妻 葉室顕孝の娘
妻の父 葉室顕孝→葉室頼煕~長邦の系図
三室戸和光【1842-1922】
実は三室戸陳光の子。母は『三室戸家譜』による。
妻 武者小路公香の娘
妻の父 武者小路公香→武者小路公種~公香の系図
子 治光【1849-1920】(『三室戸家譜』による。)
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。