酒井氏(清和源氏・義国流)・忠国流の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、酒井氏(清和源氏・義国流)・忠国流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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酒井氏・忠国流(安房国勝山藩主)の略系図

酒井氏・忠国流の略系図

1 忠国酒井忠国~忠美の系図
1-A 忠成酒井忠成~忠徹の系図

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酒井忠国~忠美の系図

酒井忠国~忠美の系図

  酒井忠国(ただくに)/忠栄(ただよし)【1651-1683】
 安房国勝山藩主。

祖父 忠勝酒井忠勝の系図
 忠朝酒井忠朝~忠盈の系図

 毛利就隆の娘
妻の父 毛利就隆毛利就隆・元賢の系図
 忠成 忠郷酒井忠成~忠徹の系図


  酒井忠胤(ただたね)/忠純(ただずみ)【1679-1712】
 勝山藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 石川憲之の娘
妻の父 石川憲之石川忠総~義孝の系図

 忠胤の娘(『寛政重修諸家譜』による。)


  酒井忠篤(ただあつ)【1703-1737】
 勝山藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 前田家【?-1751】
 前田正甫(→前田利次~利隆の系図)の娘。
 酒井忠英酒井忠恒・忠予の系図

子の夫 関盛時→関盛時の系図


  酒井忠大(ただもと)/忠昭(ただあきら)【1726-1756】
 勝山藩主。
 石川総慶の娘
妻の父 石川総慶石川総慶~総博の系図
 忠筭(ただかず)【?-1755】
 母は『寛政重修諸家譜』による。

 藤堂高朗の娘
 実は藤堂高武の娘。
妻の父 藤堂高朗→藤堂高朗の系図
 円超→円超の系図

 忠義(ただよし)【?-1776】
 忠宝〔養父:酒井忠為〕
 忠義の娘〔養父:酒井忠鄰〕


  酒井忠鄰(ただちか)【1747-1809】
 勝山藩主。
 酒井忠恭の娘
 実は酒井忠用(→酒井忠隆~忠用の系図)の娘。『寛政重修諸家譜』によれば、忠恭の娘との間には他に娘が1人いる。
妻の父 酒井忠恭酒井忠恭・忠仰・忠交~忠全の系図
子の夫 土井利豊土井利直~利豊の系図
子の夫 島津久道→島津久道の系図

子の夫 横瀬貞樹→横瀬貞樹の系図


  酒井忠和(ただより)【1775-1810】
 勝山藩主。
 井上正国の娘
妻の父 井上正国→井上正国の系図
 忠貞/忠美(ただよし)【?-1810】
 母は『寛政重修諸家譜』による。


  酒井忠嗣(ただつぐ)【1795-1851】(以下、『酒井家譜(安房加知山)』による。)
 勝山藩主。
 酒井忠実の娘
妻の父 酒井忠実酒井忠実の系図
子の夫 森忠徳→森忠徳の系図


  酒井忠一(ただかず)【1823-1860】
 勝山藩主。
 本多忠興の娘
妻の父 本多忠興本多忠栄~忠鵬の系図


  酒井忠美(ただよし)【1858-1923】
 勝山藩主。

酒井忠成~忠徹の系図

酒井忠成~忠徹の系図

  酒井忠成(ただなり)/忠恒(ただつね)【1680-1714】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)

祖父 忠朝酒井忠朝~忠盈の系図
 忠国酒井忠国~忠美の系図
祖父 毛利就隆毛利就隆・元賢の系図

 伊東長貞の娘【?-1730】
妻の父 伊東長貞伊東長昌~長救の系図
 神保親茂→神保親茂の系図

 忠道(ただみち)【?-1709】
 実は柳沢信尹(→柳沢信尹~聴信の系図)の子。


  酒井忠郷(たださと)【1694-1730】
 実は井上政蔽(→井上政蔽の系図)の子。


  酒井忠棟(ただむね)【1708-1742】
 実は酒井忠景(→酒井忠朝~忠盈の系図)の子。
 小笠原茂武の娘
妻の父 小笠原茂武→小笠原茂武の系図

子の夫 加藤泰啓→加藤泰啓の系図


  酒井忠亮(ただすけ)【1737-1767】
 久世広般の娘
妻の父 久世広般→久世広般の系図

 井上正敏の娘
妻の父 井上正敏→井上正敏の系図
 三上季寛→三上季寛の系図

 忠亮の娘〔養父:酒井忠以、別所貞英(→別所貞英の系図)〕→酒井忠以・忠道の系図
子の夫 久世広備→久世広備の系図
子の夫 土屋利置→土屋利置の系図


  酒井忠頼(ただより)【1762-?】
 岡野智暁の娘
妻の父 岡野智暁→岡野智暁の系図

 溝口直之の娘
妻の父 溝口直之→溝口直之の系図
 松平忠寧→松平忠寧の系図


  酒井忠徹(ただあきら)【1791-?】
 安藤直之の娘
妻の父 安藤直之→安藤直之の系図

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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