このページでは、梅小路家(藤原氏北家・高藤流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
梅小路定矩~定輯の系図
梅小路定矩【1619-1695】
権大納言。梅小路家の祖。
祖父 家幸・父 共房→清閑寺資房~共綱の系図
子 定子→後西天皇の系図
梅小路共方/共益【1653-1727】
権大納言。
子 共慶【1682-?】
子 定縄(『梅小路家譜』による。)
子 三室戸資方〔養父:三室戸資順〕→三室戸誠光~和光の系図
子の夫 西大路隆業→西大路隆郷~隆脩の系図
子の夫 高辻総長→高辻総長~修長の系図
梅小路定喬/定代【1690-1727】
従三位。
妻 下冷泉為経の娘
妻の父 下冷泉為経→下冷泉為純~為経の系図
梅小路共経【1726-1745】
梅小路定福【1743-1813】
権大納言。実は清閑寺秀定(→清閑寺煕房~秀定の系図)の子。
子の夫 西四辻公碩→西四辻公碩~公業の系図
梅小路共之【1770-1786】
母は『梅小路家譜』による。
梅小路定肖【1777-1837】
参議。実は清閑寺益房(→清閑寺益房~盛房の系図)の子。
子 共久【1804-1825】
母は『梅小路家譜』による。
子 挹翠(『梅小路家譜』による。)
梅小路定徳【1812-1847】
母は『梅小路家譜』による。
子 定明【1848-1868】(『梅小路家譜』による。)
母は『梅小路家譜』による。
子の夫 清閑寺盛房(『梅小路家譜』による。)→清閑寺益房~盛房の系図
梅小路定輯【1837-1855】
母は『梅小路家譜』による。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。