裏辻家(藤原氏北家・公季流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、裏辻家(藤原氏北家・公季流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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裏辻季福~実脩の系図

裏辻季福~実脩の系図

  裏辻季福(すえとみ)【1605-1644】
 参議。裏辻家の祖。

祖父 実彦 季康正親町実彦~実豊の系図

 広橋兼勝の娘
妻の父 広橋兼勝広橋兼勝・総光の系図


  裏辻実景/業房【1637-1669】
 従三位。実は万里小路綱房(→万里小路輔房~綱房の系図)の子。
 季勝【1670-1679】


  裏辻季盛【1665-1688】
 実は万里小路雅房(→万里小路雅房~尚房の系図)の子。


  裏辻公視【1685-1751】
 実は勧修寺経敬(→勧修寺光豊~経敬の系図)の子。
 公風【1719-1738】
 英亮(『裏辻家譜』による。)
子の夫 藤谷為香(『裏辻家譜』による。)→藤谷為茂~為時の系図


  裏辻実本/実将【1730-1765】
 参議。実は正親町公梁(→正親町公通~実連の系図)の子。
 安藤次由の娘
妻の父 安藤次由→安藤次由の系図


  裏辻公理/言功【1756-1805】
 参議。実は正親町実連(→正親町公通~実連の系図)の子。
 専深〔養父:桜井供秀・桜井氏全(→桜井供敦~供愛の系図)〕(『裏辻家譜』による。)
 実然 礼子(『裏辻家譜』による。)


  裏辻実和【1778-1806】
 四条隆師の娘
妻の父 四条隆師四条隆重~隆平の系図


  裏辻公周【1793-1817】


  裏辻実孚【1808-1825】
 公篤【1824-1828】
 実は橋本実久(→橋本実理~実梁の系図)の子。


  裏辻季忠/公愛【1821-1882】
 実は清水谷実揖(→清水谷陳季~実睦の系図)の子。
 清水谷実揖の娘
妻の父 清水谷実揖清水谷陳季~実睦の系図
 芝亭実忠【1859-?】(『裏辻家譜』による。)

 彦六郎 忠子長子広子(『裏辻家譜』による。)


  裏辻実脩/公本/実修【1846-1867】

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』及び東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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