大岡氏(藤原氏北家)・忠房流の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、大岡氏(藤原氏北家)・忠房流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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大岡氏・忠房流(武蔵国岩槻藩主)の略系図

大岡氏・忠房流の略系図

1 忠房大岡忠房~忠利の系図
4 忠光大岡忠光~忠要の系図
7 忠烈大岡忠烈~忠貫の系図

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大岡忠房~忠利の系図

大岡忠房~忠利の系図

  大岡忠房(ただふさ)【1624-1688】

祖父 忠政大岡忠教~忠政・忠直・政保の系図
 忠吉大岡忠吉・忠章の系図
祖父 加納久利→加納久利の系図

 天野重忠〔養父:天野重貞〕→天野重忠の系図


  大岡忠儀(ただのり)【1662-1702】
 朝比奈泰景の娘
妻の父 朝比奈泰景→朝比奈泰景の系図
 忠平〔養父:大岡忠豊〕→大岡忠豊~忠寿の系図

 忠恒〔養父:竹之下兵学〕


  大岡忠利(ただとし)【1683-1743】
 天野重忠の娘
妻の父 天野重忠→天野重忠の系図
 忠光 忠喜大岡忠光~忠要の系図
子の夫 前田定堅→前田定堅の系図
子の夫 土方長富→土方長富の系図
子の夫 竹本長宥→竹本長宥の系図

 忠主〔養父:大岡忠方〕→大岡忠久~忠栄・忠通~忠植の系図
 竹本長景〔養父:竹本長宥〕→竹本長景の系図
 石川政斐〔養父:石川政邕〕→石川康昌~重次・重勝~政徳・重俊~之信の系図
子の夫 松平忠郷松平伊行~忠勧の系図
子の夫 小笠原信喜→小笠原信喜の系図
子の夫 赤松則福→赤松則福の系図
子の夫 松平定卓松平定澄~定謐の系図

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大岡忠光~忠要の系図

大岡忠光~忠要の系図

  大岡忠光(ただみつ)【1709-1760】
 武蔵国岩槻藩主。言語不明瞭な徳川家重の意思を理解できる側近として活躍した。

祖父 忠儀 忠利大岡忠房~忠利の系図

 大井政長の娘
妻の父 大井政長→大井政長の系図
子の夫 牧野忠寛→牧野忠寛の系図

 加納久周〔養父:加納久堅〕→加納久周の系図
 巨勢至方〔養父:巨勢至忠〕→巨勢至方の系図
子の夫 横田以松→横田以松の系図


  大岡忠喜(ただよし)【1738-1806】
 岩槻藩主。
 井上正経の娘
 実は本多忠強(→本多忠周~忠曄の系図)の娘。
妻の父 井上正経井上正任~正経の系図
 忠喜の娘
 増山正賢に嫁ぐ予定であった。

 田沼意次の娘
 実は新見正則(→新見正則の系図)の娘。
妻の父 田沼意次→田沼意次の系図
 土方雄年→土方雄年の系図
子の夫 水野忠韶水野忠見~忠順の系図

 忠烈〔養父:大岡忠要〕→大岡忠烈~忠貫の系図
子の夫 小笠原政恒→小笠原政恒の系図
子の夫 本多政房本多政朝~政房の系図
子の夫 三宅康友→三宅康友の系図
子の夫 松平信圭→松平信圭の系図


  大岡忠要(ただよし)【1766-1786】
 岩槻藩主。
 忠烈 忠正大岡忠烈~忠貫の系図

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大岡忠烈~忠貫の系図

大岡忠烈~忠貫の系図

  大岡忠烈(ただやす)【1767-1844】
 岩槻藩主。実は大岡忠喜(→大岡忠光~忠要の系図)の子。

祖父 忠喜 忠要大岡忠光~忠要の系図


  大岡忠正(ただまさ)/久敦(ひさあつ)/久成(ひさひら)【1781-1816】(以下、『華族系譜』による。)
 岩槻藩主。実は加納久周(→加納久周の系図)の子。藩校遷喬館を創設した。
 水野忠鼎の娘
妻の父 水野忠鼎水野忠鼎の系図

子の夫 内藤正縄内藤正敬~正誠の系図
子の夫 井上正滝井上正紀~正順の系図


  大岡忠固(ただかた)【1793-1852】
 岩槻藩主。実は加納久周(→加納久周の系図)の子。
 稲葉正諶の娘
妻の父 稲葉正諶→稲葉正諶の系図
 酒井忠礼~忠匡の系図


  大岡忠恕(ただゆき・ただのり)【1822-1880】
 岩槻藩主。
 稲葉正善〔養父:稲葉正巳〕→稲葉正善の系図
 安藤広勤〔養父:安藤内蔵助〕
 横田栄松〔養父:横田甚太郎〕
 田沼意斉〔養父:田沼意尊〕→田沼意斉の系図
 雄吉〔養父:鈴木騰彦〕


  大岡忠貫(ただつら)【1847-1920】
 岩槻藩主。
 土井寿
 土井利則(→土井利厚~利与の系図)の娘。
 戸田照
 戸田忠至(→戸田忠寛~忠友・忠舜~忠綱の系図)の娘。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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