このページでは、勧修寺家(藤原氏北家・高藤流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
勧修寺家(名家)の略系図
1 経顕→勧修寺経顕~教秀の系図
6 政顕→勧修寺政顕~尹豊の系図
9 晴秀→勧修寺晴秀・晴豊の系図
11 光豊→勧修寺光豊~経敬の系図
15 尹隆→勧修寺尹隆・高顕の系図
17 顕道→勧修寺顕道~経逸の系図
20 良顕→勧修寺良顕~経理の系図
勧修寺経顕~教秀の系図
勧修寺経顕(つねあき)【1298-1373】
内大臣。勧修寺家の祖。光厳天皇に信任され、持明院統に仕えた。芝山内大臣や後勧修寺内大臣と号した。
祖父 俊定→坊城経俊・俊定の系図
父 定資→坊城定資~俊継の系図
祖父 藤原隆康→藤原隆衡の系図
子 経方/宗定/経直【1335-?】
権中納言。
子 頼顕【?-1411】
子 経景/経行
勧修寺経重/経興【1355-1389】
権大納言。
勧修寺経豊【?-1411】
権大納言。
妻 四条隆冬の娘
妻の父 四条隆冬→四条隆親~隆宗の系図
子 経直【?-1449】
参議。
孫 経茂【1430-1500】
権中納言。
曾孫 坊城俊名〔養父:坊城俊顕〕→坊城俊国~俊広の系図
勧修寺経成(つねなり)/経興/経重【1396-1437】
権中納言。
子 経煕/経郷【1432-1504】
権中納言。
子の夫 阿野公煕(『系図纂要』による。)→阿野季継~実顕の系図
勧修寺教秀(のりひで)【1426-1496】
准大臣。後奈良天皇の外祖父のため、左大臣を贈られた。
妻 飛鳥井雅永の娘
妻の父 飛鳥井雅永→飛鳥井雅家~雅俊の系図
子 政顕・孫 尚顕→勧修寺政顕~尹豊の系図
子 万里小路賢房〔養父:万里小路冬房〕→万里小路賢房~惟房の系図
子 房子・藤子→後花園天皇~後柏原天皇の系図
孫 後奈良天皇→後奈良天皇~誠仁親王の系図
子 教秀の息子(2人)(『系図纂要』による。)
子の夫 今出川公興→今出川兼季~公彦の系図
子の夫 兼祐→兼祐の系図
子の夫 三条西実隆→三条西公時~公条の系図
勧修寺政顕~尹豊の系図
勧修寺政顕(まさあき)【1452-1522】
権中納言。
祖父 経成・父 教秀→勧修寺経顕~教秀の系図
祖父 飛鳥井雅永→飛鳥井雅家~雅俊の系図
子 町顕量〔養父:町顕基〕→坊城定資~俊継の系図
子の夫 広橋兼秀→広橋兼秀・国光の系図
勧修寺尚顕(ひさあき)【1478-1559】
権大納言。
妻 証清の娘
妻の父 証清→証清の系図
子の夫 三条公頼→三条実香~公広の系図
子の夫 津守国賢→津守国賢の系図
勧修寺尹豊(ただとよ)【1503-1594】
内大臣。武家伝奏などを務めた。
妻 伊勢貞遠の娘
妻の父 伊勢貞遠→伊勢貞遠の系図
子 晴秀・孫 晴豊→勧修寺晴秀・晴豊の系図
妻 中山興子
中山宣親(→中山宣親~孝親の系図)の娘。
勧修寺晴秀・晴豊の系図
勧修寺晴秀/晴右(はれすけ・はれみぎ)【1523-1577】
権大納言。左大臣を贈られた。日記は『晴右公記』。
祖父 尚顕・父 尹豊→勧修寺政顕~尹豊の系図
祖父 伊勢貞遠→伊勢貞遠の系図
子 万里小路充房〔養父:万里小路輔房〕(『系図纂要』による。)→万里小路輔房~綱房の系図
子 日袖(『勧修寺家譜』による。)
子 晴子(『系図纂要』による。)→後奈良天皇~誠仁親王の系図
孫 後陽成天皇→後陽成天皇の系図
子の夫 正親町三条公仲(『系図纂要』による。)→正親町三条公兄~公仲の系図
孫 実有→正親町三条実有~実彦の系図
子の夫 三条実綱(『系図纂要』による。)→三条実香~公広の系図
勧修寺晴豊(はれとよ)【1544-1602】
准大臣。内大臣を贈られた。日記は『晴豊公記』。
妻 土御門有脩の娘
妻の父 土御門有脩→土御門有脩の系図
子 光豊・孫 教豊→勧修寺光豊~経敬の系図
孫 芝山宣豊→芝山宣豊~弘豊の系図
子 甘露寺経遠〔養父:甘露寺経元〕(『系図纂要』による。)→甘露寺経元~尚長の系図
妻 枝賢の娘
子の夫 佐久間安政(『勧修寺家譜』による。)→佐久間安政の系図
子 坊城俊昌〔養父:坊城俊名〕(『系図纂要』による。)→坊城俊国~俊広の系図
子 致康(『系図纂要』による。)
孫 芝山宣豊→芝山宣豊~弘豊の系図
子 行源(『勧修寺家譜』による。)
子 承章(じょうしょう)【1593-1668】(『勧修寺家譜』による。)
子 晴豊の娘(『系図纂要』による。)
勧修寺光豊~経敬の系図
勧修寺光豊(みつとよ)【1575-1612】(以下、『系図纂要』による。)
権大納言。江戸時代最初の武家伝奏。内大臣を贈られた。日記は『光豊公記』。
祖父 晴秀・父 晴豊→勧修寺晴秀・晴豊の系図
祖父 土御門有脩→土御門有脩の系図
妻 太田宗隆の娘
妻の父 太田宗隆→太田宗隆の系図
子 芝山宣豊・孫 定豊→芝山宣豊~弘豊の系図
子の夫 浅野長晟(『勧修寺家譜』による。)→浅野長晟~綱晟・長治~長寔の系図
勧修寺教豊【1610-1615】
勧修寺経広(つねひろ)/俊直【1606-1688】
権大納言。実は坊城俊昌(→坊城俊国~俊広の系図)の子。
妻 徳永昌純の娘
子 穂波経尚・孫 晴宣→穂波経尚~経度の系図
子 経行・広遐・寛順・経高・広高・子 経広の娘(『勧修寺家譜』による。)
妻 勧修寺光豊の娘
子 経広の娘(『勧修寺家譜』による。)
子の夫 広有(『勧修寺家譜』による。)
勧修寺経敬(つねよし)/経慶【1644-1709】
権大納言。
妻 水野鶴【1650-1676】
水野勝貞(→水野勝成~勝貞の系図)の娘。
子 尹隆・孫 高顕→勧修寺尹隆・高顕の系図
子 裏辻公視〔養父:裏辻季盛〕→裏辻季福~実脩の系図
子 吉丸(『勧修寺家譜』による。)
勧修寺尹隆・高顕の系図
勧修寺尹隆【1676-1722】〔養子:信海〕
権中納言。
祖父 経広・父 経敬→勧修寺光豊~経敬の系図
祖父 水野勝貞→水野勝成~勝貞の系図
妻 清閑寺煕房の娘
妻の父 清閑寺煕房→清閑寺煕房~秀定の系図
子 穂波晴宣〔養父:穂波経尚〕→穂波経尚~経度の系図
子 坊城俊将〔養父:坊城俊清〕→坊城俊清~俊親の系図
子 承聡・尹隆の息子・子 尹隆の娘(3人)(『勧修寺家譜』による。)
子の夫 愛宕通貫→愛宕通福~通致の系図
勧修寺高顕(たかあき)/敬孝【1695-1737】
権大納言。
妻 万里小路尚房の娘
妻の父 万里小路尚房→万里小路雅房~尚房の系図
子 顕道・孫 敬明→勧修寺顕道~経逸の系図
子 万里小路政房〔養父:万里小路稙房〕→万里小路稙房~通房の系図
子 高顕の娘(2人)(『勧修寺家譜』による。)
子の夫 中山栄親→中山篤親~栄親の系図
子 信海〔養父:勧修寺尹隆〕(『勧修寺家譜』による。)
子 全彰・延丸(『勧修寺家譜』による。)
子 高顕の娘〔養父:岩倉乗具(→岩倉具尭~乗具の系図)〕(『勧修寺家譜』による。)
勧修寺顕道~経逸の系図
勧修寺顕道【1717-1756】
権大納言。
祖父 尹隆・父 高顕→勧修寺尹隆・高顕の系図
祖父 万里小路尚房→万里小路雅房~尚房の系図
妻 稲葉恒通の娘
妻の父 稲葉恒通→稲葉恒通の系図
子 経逸〔養父:勧修寺敬明〕
子 道子→柳原光綱~光定の系図
子 槌丸・子 周億・顕道の娘(5人)(『勧修寺家譜』による。)
子の夫 葉室頼煕→葉室頼煕~長邦の系図
勧修寺敬明【1740-1758】
勧修寺経逸(つねはや)【1748-1805】
権大納言。実は勧修寺顕道の子。
妻 飛鳥井雅重の娘
妻の父 飛鳥井雅重→飛鳥井雅香~雅望の系図
子 良顕・孫 経則→勧修寺良顕~経理の系図
子 経逸の娘(『勧修寺家譜』による。)
妻 池田仲庸の娘
妻の父 池田仲庸→池田仲澄~延俊の系図
子 芝山国豊〔養父:芝山持豊〕→芝山宣豊~弘豊の系図
子 下冷泉為起〔養父:下冷泉為訓〕→下冷泉為俊~為柔の系図
子 経逸の息子(『勧修寺家譜』による。)
子 婧子→光格天皇~孝明天皇の系図
子の夫 正親町三条公則→正親町三条公積~公平の系図
子の夫 坊城俊明→坊城俊明~俊章の系図
子 経睦【1794-?】
子 伊奈丸(『勧修寺家譜』による。)
実は中山愛親(→中山愛親~忠愛の系図)の子。
子 徳子
母は『勧修寺家譜』による。
子 周恭(『勧修寺家譜』による。)
実は一条輝良(→一条輝良の系図)の娘。
子 福子→平松時行~時厚の系図
子 職丸・経逸の息子(3人)・子 寿賀・経逸の娘(2人)(『勧修寺家譜』による。)
子の夫 万里小路建房→万里小路稙房~通房の系図
子の夫 日野資愛→日野資時~資平の系図
子の夫 高倉永雅(『勧修寺家譜』による。)→高倉永範~永祜の系図
子の夫 堀河康親→堀河康暁~康隆の系図
子の夫 安藤直則(『安藤家譜(紀伊田辺)』による。)→安藤道紀~直裕の系図
勧修寺良顕~経理の系図
勧修寺良顕【1765-1795】
参議。
祖父 敬明・父 経逸→勧修寺顕道~経逸の系図
祖父 飛鳥井雅重→飛鳥井雅香~雅望の系図
妻 今出川公言の娘
妻の父 今出川公言→今出川公言~実順の系図
子 敏子・良顕の娘(『勧修寺家譜』による。)
子の夫 小倉豊季→小倉煕季~長季の系図
子の夫 善超(『勧修寺家譜』による。)→今出川公言~実順の系図
子 貞仙・良顕の娘(『勧修寺家譜』による。)
勧修寺経則【1788-1836】
権中納言。
妻 飛鳥井雅威の娘
妻の父 飛鳥井雅威→飛鳥井雅香~雅望の系図
子 経理〔養父:勧修寺顕彰〕
孫 顕允【1855-1900】(『勧修寺家譜』による。)
孫 経子(『勧修寺家譜』による。)→葉室頼煕~長邦の系図
孫 栄丸・経理の息子(5人)・孫 照璟・智玉・経理の娘(3人)(『勧修寺家譜』による。)
孫の夫 石野基将(『勧修寺家譜』による。)
子 教弥・教尊・経則の息子(4人)・子 勇仙・周昌(『勧修寺家譜』による。)
子の夫 園池実達(『勧修寺家譜』による。)→園池実守~公静の系図
子の夫 堀河親賀→堀河康暁~康隆の系図
勧修寺顕彰【1814-1861】
実は坊城俊明(→坊城俊明~俊章の系図)の子。
子 穂波経度〔養父:穂波経治〕→穂波経尚~経度の系図
子 教寛・長尾顕慎・顕彰の息子・子 勇心・顕彰の娘(『勧修寺家譜』による。)
勧修寺経理【1828-1871】
実は勧修寺経則の子。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。