このページでは、押小路家(藤原氏北家・公季流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
押小路公音~実潔の系図
押小路公音(きんおと)/公起(きんおき)【1650-1716】
権大納言。押小路家の祖。
祖父 実条→三条西実世~実条の系図
父 公勝→三条西公勝~公福の系図
妻 河鰭実陳の娘
妻の父 河鰭実陳→河鰭実陳~公述の系図
子 前田玄長→前田玄長の系図
子 小倉公映〔養父:小倉煕季〕→小倉煕季~長季の系図
子 光子(『押小路家譜』による。)
押小路実岑【1679-1750】〔養父:三条実治(→三条実秀~公充の系図)〕
権大納言。
妻 山科持言の娘
妻の父 山科持言→山科言行~尭言の系図
子 屋越・都延(『押小路家譜』による。)
押小路従季【1725-1753】
実は清水谷雅季(→清水谷実業~公美の系図)の子。
妻 五辻盛仲の娘
妻の父 五辻盛仲→五辻俊仲~継仲の系図
押小路実富【1749-1826】
権大納言。
妻 愛宕通敬の娘
妻の父 愛宕通敬→愛宕通福~通致の系図
子 公岑【1776-1794】
実は三条西実称(→三条西実称~公允の系図)の子。母は『押小路家譜』による。
妻 三条西実称の娘
妻の父 三条西実称→三条西実称~公允の系図
子 孟丸・子 当子・敬・都瑠・己巳(『押小路家譜』による。)
子 豊(『押小路家譜』による。)→植松雅永~雅言の系図
『系図纂要』によれば、植松雅恭が押小路実富の子。
押小路実茂【1780-1827】
実は三条実起(→三条実顕~実美の系図)の子。母は『押小路家譜』による。
妻 清水谷陳季の娘
『清水谷家譜』によれば、清水谷実栄の娘が実茂の妻になった。
妻の父 清水谷陳季→清水谷陳季~実睦の系図
子 本(『押小路家譜』による。)
押小路公連【1803-1828】
母は『押小路家譜』による。
妻 三条西実勲の娘
妻の父 三条西実勲→三条西実称~公允の系図
子 止美丸(『押小路家譜』による。)
押小路実潔【1827-1897】
実は滋野井公敬(→滋野井冬康~公寿の系図)の子。母は『押小路家譜』による。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。