このページでは、藤原氏北家の系図(師輔~忠通)を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
藤原氏北家の略系図
3 房前→藤原房前の系図
3-A1 鳥養→藤原鳥養・小黒麿の系図
3-A2 葛野麿・道継・道雄→藤原葛野麿・道継・道雄の系図
3-A3 常嗣・常永・氏宗→藤原常嗣・常永・氏宗の系図
3-B1 永手→藤原永手の系図
3-B2 家依→藤原家依の系図
3-C1 楓麿→藤原楓麿の系図
3-C2 園人→藤原園人の系図
3-C3 園主→藤原園主の系図
5 内麿→藤原内麿の系図
5-A 桜麿・長岡→藤原桜麿・長岡の系図
5-B 福当麿→藤原福当麿の系図
6 冬嗣→藤原冬嗣の系図
6-A 良相→藤原良相の系図
6-B 良門→藤原良門の系図
6-C 良仁→藤原良仁の系図
7 良房→藤原良房・基経の系図
8-A1 時平→藤原時平の系図
8-A2 顕忠→藤原顕忠の系図
8-A3 敦忠→藤原敦忠の系図
8-A4 助信→藤原助信の系図
9 忠平→藤原忠平の系図
10 師輔→藤原師輔の系図
10-A1 兼通→藤原兼通の系図
10-A2 顕光→藤原顕光の系図
10-A3 朝光・正光→藤原朝光・正光の系図
10-B 遠量・忠君・遠度・遠基→藤原遠量・忠君・遠度・遠基の系図
11 兼家→藤原兼家の系図
12 道長→藤原道長の系図
12-A 能信→藤原能信の系図
12-B1 教通→藤原教通の系図
12-B2 信長→藤原信長の系図
12-B3 信家→藤原信家の系図
13 頼通→藤原頼通の系図
14 師実→藤原師実の系図
14-A 能実→藤原能実の系図
藤原師輔の系図
藤原師輔(もろすけ)【908-960】
右大臣。九条流の祖。
祖父 基経→藤原良房・基経の系図
父 忠平→藤原忠平の系図
祖父 源能有→源能有の系図
妻 藤原盛子
妻の父 藤原経邦→藤原経邦の系図
子 伊尹・孫 義孝→藤原伊尹・義孝の系図
子 兼通→藤原兼通の系図
孫 顕光→藤原顕光の系図
孫 朝光・正光→藤原朝光・正光の系図
子 兼家→藤原兼家の系図
孫 道隆→藤原道隆の系図
孫 道兼→藤原道兼の系図
孫 道綱→藤原道綱の系図
孫 道長→藤原道長の系図
子 忠君→藤原遠量・忠君・遠度・遠基の系図
子 安子→村上天皇の系図
孫 冷泉天皇→冷泉天皇・花山天皇の系図
孫 円融天皇→円融天皇・一条天皇の系図
孫 為平親王→為平親王の系図
子 登子→村上天皇の系図、克明親王・重明親王の系図
子 怤子→冷泉天皇・花山天皇の系図
子の夫 源高明→源高明の系図
孫 忠賢→源忠賢~長季の系図
孫 俊賢→源俊賢の系図
妻 藤原顕忠の娘
妻の父 藤原顕忠→藤原顕忠の系図
子 遠量・遠基→藤原遠量・忠君・遠度・遠基の系図
妻 藤原公葛の娘
妻の父 藤原公葛→藤原縄主・貞本の系図
子 遠度→藤原遠量・忠君・遠度・遠基の系図
妻 雅子内親王(がし)【910-954】
斎宮。
妻の父 醍醐天皇→醍醐天皇・朱雀天皇の系図
子 為光→藤原為光の系図
孫 斉信→藤原斉信の系図
孫 公信→藤原公信~伊信の系図
子 高光(たかみつ)【?-994】
三十六歌仙の一人。『多武峯少将物語』は高光を題材にする。
子 尋禅(じんぜん)【943-990】
天台座主。
子 愛宮→源高明の系図
孫 源経房→源経房の系図
妻 康子内親王(やすこ)【920-957】
子 公季・孫 実成→藤原公季・実成の系図
子 深覚(じんがく)【955-1043】
高野山に無量寿院を草創した。
妻 勤子内親王(きんし)【904-938】
源順に命じて『和名類聚抄』を撰述させた。
子 繁子→藤原道兼の系図
子の夫 源重信→源重信の系図
孫 道方→源道方の系図
藤原兼通の系図
藤原兼通(かねみち)【925-977】
関白・太政大臣。弟兼家と政権争いを繰り広げた。
祖父 忠平→藤原忠平の系図
父 師輔→藤原師輔の系図
祖父 藤原経邦→藤原経邦の系図
妻 元平親王の娘
妻の父 元平親王→陽成天皇の系図
子 顕光→藤原顕光の系図
孫 顕忠→藤原顕忠~本多忠高の系図
妻 大江維時の娘
妻の父 大江維時→大江千古~成衡の系図
子 時光【948-1015】
中納言。
孫 忠任
父は藤原忠輔(→藤原有頼~忠輔の系図)とも。
妻 能子女王(のうし)/昭子女王(しょうし)【?-994】
有明親王(→有明親王・源守清の系図)の娘。
子 朝光→藤原朝光・正光の系図
子 媓子→円融天皇・一条天皇の系図
妻 藤原有年の娘
妻の父 藤原有年→藤原定国の系図
子 正光→藤原朝光・正光の系図
孫 延尋
父は源扶義(→源扶義の系図)とも。
藤原顕光の系図
藤原顕光(あきみつ)【944-1021】
左大臣。政務に疎く、藤原道長・藤原実資らに非難された。死後、藤原道長を祟ったとされる。
祖父 師輔→藤原師輔の系図
父 兼通→藤原兼通の系図
祖父 元平親王→陽成天皇の系図
妻 盛子内親王(もりこ)【?-998】
村上天皇(→村上天皇の系図)の皇女。
子 重家【977-?】
容姿にすぐれ、光少将と称されたものの出家した。
孫 致貞→藤原顕忠の系図
父は藤原重輔とも。
子 元子→円融天皇・一条天皇の系図
子 延子→三条天皇の系図
子 顕忠・孫 兼家→藤原顕忠~本多忠高の系図
藤原朝光・正光の系図
藤原朝光(あさてる・あさみつ)【951-995】
大納言。昇進は兄顕光よりも早かった。
祖父 師輔→藤原師輔の系図
父 兼通→藤原兼通の系図
祖父 有明親王→有明親王・源守清の系図
妻 重明親王の娘
妻の父 重明親王→克明親王・重明親王の系図
子 朝経【973-1029】
権中納言。
子 登朝
子の妻 藤原安親の娘
子の妻の父 藤原安親→藤原安親の系図
孫 師経【?-1066】
従三位。
孫の妻 源俊賢の娘
孫の妻の父 源俊賢→源俊賢の系図
曾孫 経俊
曾孫の子の夫 藤原宗実→藤原頼宗の系図
曾孫の夫 藤原重房→藤原兼隆の系図
子 姚子→冷泉天皇・花山天皇の系図
子の夫 円融天皇→円融天皇・一条天皇の系図
曾孫の夫 藤原忠俊→藤原良頼の系図
藤原正光【957-1014】
参議。
祖父 藤原有年→藤原定国の系図
妻 藤原永平の娘
妻の父 藤原永平→藤原尹文の系図
妻 源高明の娘
妻の父 源高明→源高明の系図
子 兼貞
子の妻 藤原説孝の娘
子の妻の父 藤原説孝→藤原説孝の系図
孫 政兼
孫の妻 源済政の娘
孫の妻の父 源済政→源済政・資通の系図
曾孫 隆禅(りゅうぜん)【1038-1100】
興福寺別当。大乗院を創立した。
子の夫 藤原長家→藤原長家・忠家の系図
子の夫 藤原公信→藤原公信~伊信の系図
藤原遠量・忠君・遠度・遠基の系図
藤原遠量
祖父 忠平→藤原忠平の系図
父 師輔→藤原師輔の系図
祖父 藤原顕忠→藤原顕忠の系図
妻 藤原有相の娘
妻の父 藤原有相→藤原恒佐・懐忠の系図
妻 藤原国光の娘
妻の父 藤原国光→藤原有頼~忠輔の系図
子の夫 藤原道信→藤原為光の系図
藤原忠君【?-968】〔養父:藤原忠平(→藤原忠平の系図)〕
祖父 藤原経邦→藤原経邦の系図
妻 藤原尹風の娘
妻の父 藤原尹風→藤原尹甫・尹忠・尹風の系図
子 頼定
父は藤原有道とも。
妻 源俊の娘
妻の父 源俊→源定の系図
妻 藤原伊尹の娘
妻の父 藤原伊尹→藤原伊尹・義孝の系図
夫 源重信・夫 源致方→源重信の系図
子の夫 源俊賢→源俊賢の系図
孫 顕基→源顕基の系図
孫 隆国→源隆国の系図
子の夫 藤原時明→藤原連茂~頼任の系図
藤原遠度【?-989】
従三位。
祖父 藤原公葛→藤原縄主・貞本の系図
子 尋空【?-1035】
子 朝源【?-1050】
子の夫 藤原広業→藤原広業・家経の系図
藤原遠基
子 朝範/朝典
子の妻 藤原兼清の娘
子の妻の父 藤原兼清→藤原守仁・兼清の系図
孫 長算(ちょうさん)【992-1057】
藤原兼家の系図
藤原兼家(かねいえ)【929-990】〔養子:藤原道頼(→藤原道隆の系図)、藤原兼隆(→藤原兼隆の系図)、藤原道信(→藤原為光の系図)〕
摂政・関白・太政大臣。兄兼通と政権を争ったほか、懐仁親王(一条天皇)を即位させるために、花山天皇の退位を計画した。
祖父 忠平→藤原忠平の系図
父 師輔→藤原師輔の系図
祖父 藤原経邦→藤原経邦の系図
妻 藤原時姫(ときひめ)
妻の父 藤原中正→藤原中正の系図
子 道隆→藤原道隆の系図
孫 伊周→藤原伊周の系図
孫 隆家→藤原隆家の系図
子 道長→藤原道長の系図
孫 頼通→藤原頼通の系図
孫 頼宗→藤原頼宗の系図
孫 能信→藤原能信の系図
孫 教通→藤原教通の系図
孫 長家→藤原長家・忠家の系図
子 超子→冷泉天皇・花山天皇の系図
孫 三条天皇→三条天皇の系図
子 詮子・孫 一条天皇→円融天皇・一条天皇の系図
妻 藤原道綱母(みちつなのはは)【?-995】
『蜻蛉日記』の作者。歌人としても著名で、『百人一首』にも歌が収められている。
妻の父 藤原倫寧→藤原倫寧の系図
子 道綱→藤原道綱の系図
孫 兼経→藤原兼経の系図
妻 藤原国章の娘
妻の父 藤原国章→藤原国章の系図
子 綏子→三条天皇の系図
妻 藤原忠幹の娘
妻の父 藤原忠幹→藤原国経・忠幹の系図
妻 保子内親王(やすこ)【949-987】
妻の父 村上天皇→村上天皇の系図
藤原道長の系図
藤原道長(みちなが)【966-1027】〔養子:源成信(→源成信の系図)、道命(→藤原道綱の系図)〕
摂政・太政大臣。多くの娘が立后したことで、摂関政治は全盛期を迎えた。
祖父 師輔→藤原師輔の系図
父 兼家→藤原兼家の系図
祖父 藤原中正→藤原中正の系図
妻 源倫子(りんし)【964-1053】
源雅信(→源雅信の系図)の娘。雅信は当初道長との結婚を反対した。
子 頼通→藤原頼通の系図
孫 師実→藤原師実の系図
子 教通→藤原教通の系図
孫 信長→藤原信長の系図
孫 信家→藤原信家の系図
子 彰子→円融天皇・一条天皇の系図
子 妍子→三条天皇の系図
子 威子→後一条天皇~後冷泉天皇の系図
子 嬉子→後一条天皇~後冷泉天皇の系図
妻 源明子(めいし・あきこ)【?-1049】〔養父:盛明親王(→盛明親王~源道成の系図)〕
源高明(→源高明の系図)の娘。
子 頼宗→藤原頼宗の系図
孫 俊家→藤原俊家の系図
孫 能長→藤原能長の系図
孫 基貞→藤原基貞の系図
孫 能季→藤原能季の系図
子 能信→藤原能信の系図
子 顕信(あきのぶ)【994-1027】
19歳の時に出家し、父母を嘆かせた。
子 長家・孫 忠家→藤原長家・忠家の系図
子 盛子→三条天皇の系図
子 寛子→三条天皇の系図
子 尊子→源師房の系図
孫 源俊房→源俊房の系図
孫 源顕房→源顕房の系図
妻 源重光の娘
妻の父 源重光→源重光の系図
子 長信【1014-1072】
妻 藤原儼子(たけこ)【?-1016】
藤原為光(→藤原為光の系図)の娘。難産で死亡した。
藤原能信の系図
藤原能信(よしのぶ)【995-1065】
権大納言。兄頼通と対抗し、後三条天皇の擁立に寄与した。
祖父 兼家→藤原兼家の系図
父 道長→藤原道長の系図
祖父 源高明→源高明の系図
妻 藤原実成の娘
妻の父 藤原実成→藤原公季・実成の系図
子 能長→藤原能長の系図
実は藤原頼宗(→藤原頼宗の系図)の子。
子 茂子→後三条天皇の系図
孫 白河天皇→白河天皇の系図
藤原教通の系図
藤原教通(のりみち)【996-1075】
関白・太政大臣。娘を後宮に入れたが皇子は誕生しなかった。
祖父 兼家→藤原兼家の系図
父 道長→藤原道長の系図
祖父 源雅信→源雅信の系図
妻 禔子内親王(しし)【1003-1048】
三条天皇(→三条天皇の系図)の皇女。兄頼通の妻になる話があった。
妻 嫥子女王(せんし・よしこ)【1005-1081】
具平親王(→具平親王の系図)の娘。斎宮。
妻 藤原公任の娘
妻の父 藤原公任→藤原公任の系図
子 通基【1021-1041】
従三位。
子 信長→藤原信長の系図
子 信家→藤原信家の系図
子 静覚(じょうかく)【1024-1083】
子 生子→後一条天皇~後冷泉天皇の系図
子 歓子→後一条天皇~後冷泉天皇の系図
妻 小式部内侍(こしきぶのないし)【998頃-1025】
橘道貞(→橘道貞の系図)の娘。女流歌人。
夫 藤原公成→藤原公成の系図
夫 藤原範永→藤原範永の系図
子 静円(じょうえん)【1016-1074】
藤原信長の系図
藤原信長(のぶなが)【1022-1094】
太政大臣。藤原師実と関白の地位を競った。
祖父 道長→藤原道長の系図
父 教通→藤原教通の系図
祖父 藤原公任→藤原公任の系図
妻 源資定の娘
妻の父 源資定→源顕定の系図
妻 藤原定頼の娘
妻の父 藤原定頼→藤原公任の系図
子 兼実
実は藤原基貞(→藤原基貞の系図)の子。
子の妻 藤原資仲の娘
子の妻の父 藤原資仲→藤原資仲~資重の系図
孫 時実・貞禅・永基
父は藤原基貞(→藤原基貞の系図)とも。
子 知房【1046-1112】
実は源良宗(→源経房の系図)の子。
孫 知仲
実は藤原基仲(→藤原基貞の系図)の子。
曾孫 経仲〔養父:藤原盛経〕→藤原公経・成経の系図
孫の夫 藤原基隆→藤原基隆の系図
子の夫 藤原師通→藤原師通の系図
藤原信家の系図
藤原信家【1019-1061】〔養父:藤原頼通(→藤原頼通の系図)、養子:藤原実兼(→藤原能長の系図)〕
権大納言。
祖父 道長→藤原道長の系図
父 教通→藤原教通の系図
祖父 藤原公任→藤原公任の系図
妻 儇子内親王(けんし)【1018-1097】〔養父:三条天皇(→三条天皇の系図)〕
妻 源済政の娘
妻の父 源済政→源済政・資通の系図
子 忠綱【?-1084】
実は藤原頼通(→藤原頼通の系図)の子。
子の妻 藤原範永の娘
子の妻の父 藤原範永→藤原範永の系図
孫 長兼【?-1123】
孫 基兼
孫の妻 藤原清家の娘
孫の妻の父 藤原清家→藤原清家の系図
子 宗家
実は敦貞親王(→三条天皇の系図)の子。
子の妻 藤原斉信の娘
子の妻の父 藤原斉信→藤原斉信の系図
子 麗子→藤原師実の系図
藤原頼通の系図
藤原頼通(よりみち)【992-1074】〔養子:藤原尊子・源師房(→源師房の系図)、藤原信家(→藤原信家の系図)、源顕基(→源顕基の系図)、源俊房(→源俊房の系図)〕
摂政・関白・太政大臣。宇治の別業を寺に改めて平等院にした。
祖父 兼家→藤原兼家の系図
父 道長→藤原道長の系図
祖父 源雅信→源雅信の系図
妻 隆子女王(たかこ)/隆姫女王【995-1087】
具平親王(→具平親王の系図)の娘。
妻 藤原祇子(ぎし・まさこ)【?-1053】
藤原頼成(→藤原頼成の系図)の娘。宮中に仕え、進命婦と呼ばれた。
子 師実→藤原師実の系図
孫 師通→藤原師通の系図
孫 花山院家忠→花山院家忠の系図
孫 大炊御門経実→大炊御門経実の系図
孫 能実→藤原能実の系図
孫 難波忠教→難波忠教の系図
子 橘俊綱〔養父:橘俊遠〕→橘俊綱の系図
子 定綱〔養父:藤原経家〕→藤原公任の系図
子 忠綱〔養父:藤原信家〕→藤原信家の系図
子 覚円(かくえん)【1031-1098】
天台座主となるも、衆徒の反対から3日で辞した。宇治僧正と呼ばれた。
子 寛子→後一条天皇~後冷泉天皇の系図
妻 源憲定の娘
妻の父 源憲定→為平親王の系図
子 通房【1025-1044】
権大納言。
子 嫄子女王→後一条天皇~後冷泉天皇の系図
藤原師実の系図
藤原師実(もろざね)【1042-1101】〔養子:藤原忠実(→藤原忠実の系図)〕
摂政・関白・太政大臣。村上源氏との結びつきを強めるとともに、白河天皇との協調関係を築いた。
祖父 道長→藤原道長の系図
父 頼通→藤原頼通の系図
祖父 藤原頼成→藤原頼成の系図
妻 源麗子(れいし・よしこ)【1040-1114】〔養父:藤原信家(→藤原信家の系図)〕
源師房(→源師房の系図)の娘。
子 師通→藤原師通の系図
孫 忠実→藤原忠実の系図
孫 家政→藤原家政の系図
孫 家隆→藤原家隆の系図
子 尋範(じんはん)【1101-1174】
興福寺別当。内山僧正と称された。
妻 源頼国の娘
妻の父 源頼国→源頼国の系図
子 花山院家忠→花山院家忠の系図
孫 忠宗→花山院忠宗の系図
妻 藤原基貞の娘
妻の父 藤原基貞→藤原基貞の系図
子 大炊御門経実→大炊御門経実の系図
孫 経宗→大炊御門経宗の系図
孫 堀河経定→堀河経定の系図
子 能実→藤原能実の系図
妻 藤原永業の娘
妻の父 藤原永業→藤原永信・永業の系図
子 難波忠教→難波忠教の系図
孫 忠基→難波忠基の系図
孫 頼輔→難波頼輔~宗長の系図
子 増智(ぞうち)【1078-1135】
妻 源則成の娘
妻の父 源則成→盛明親王~源道成の系図
子 覚信(かくしん)【1065-1121】
母は源頼国の娘とも。興福寺別当。
妻 藤原忠俊の娘
妻の父 藤原忠俊→藤原良頼の系図
子 行玄(ぎょうげん)/良実【1097-1155】
母は源麗子とも。近衛天皇の護持僧。天台座主。
妻 源顕房の娘
妻の父 源顕房→源顕房の系図
妻 平定親の娘
妻の父 平定親→平親信の系図
妻 平行親の娘
妻の父 平行親→平行義の系図
子 覚実(かくじつ)【1052-1092】
子 賢子→白河天皇の系図
子 篤子内親王→堀河天皇の系図
子の夫 藤原基隆→藤原頼宗の系図
子の夫 藤原資康→藤原有俊の系図
藤原能実の系図
藤原能実(よしざね)【1070-1132】〔養子:藤原能定(→藤原能長の系図)〕
大納言。小野宮大納言と号した。
祖父 頼通→藤原頼通の系図
父 師実→藤原師実の系図
祖父 藤原基貞→藤原基貞の系図
妻 藤原基仲の娘
妻の父 藤原基仲→藤原基貞の系図
子 基能【?-1121】
妻 藤原祐家の娘
妻の父 藤原祐家→藤原長家・忠家の系図
孫 定国/忠成
妻 光清の娘
妻の父 光清→光清の系図
子の夫 花山院忠宗→花山院忠宗の系図
子の夫 源師頼→源師頼の系図
孫 師光→源師光の系図
子の夫 中御門宗能→中御門宗能の系図
子の夫 源師隆→源師忠の系図
藤原師通の系図
藤原師通(もろみち)【1062-1099】
関白・内大臣。院政に批判的な立場で摂関家の勢力維持に努めた。日記は『後二条師通記』。
祖父 頼通→藤原頼通の系図
父 師実→藤原師実の系図
祖父 源師房→源師房の系図
妻 藤原全子(ぜんし)【1060-1150】
藤原俊家(→藤原俊家の系図)の娘。忠実を生むが離別した。
子 忠実→藤原忠実の系図
孫 忠通→藤原忠通の系図
孫 頼長→藤原頼長の系図
妻 藤原良綱の娘
妻の父 藤原良綱→藤原良綱の系図
夫 源師忠→源師忠の系図
子 家政→藤原家政の系図
孫 雅教→藤原雅教・雅長の系図
妻 平貞経の娘
子 家隆→藤原家隆の系図
妻 藤原信長の娘〔養父:藤原信長(→藤原信長の系図)〕
実は藤原経輔(→藤原経輔の系図)の娘。
子 覚英(かくえい)【?-1157】
陸奥国信夫郡に庵をむすんだとされる。
藤原家隆の系図
藤原家隆【?-1125】
妻 藤原盛実の娘
妻の父 藤原盛実→藤原盛実の系図
子 成隆
子の妻 平知信の娘
子の妻の父 平知信→平範国~知信の系図
子の妻 藤原孝博の娘
子の妻の父 藤原孝博→藤原定輔~孝博の系図
孫 孝定〔養父:藤原孝博(→藤原定輔~孝博の系図)〕→藤原孝定の系図
曾孫の夫 能暹→能暹の系図
子の夫 平忠盛→平正盛・忠盛の系図
孫 教盛→平経盛・教盛・頼盛の系図
子の夫 藤原斉章→藤原公章の系図
孫 親家〔養父:中山忠親(→中山忠親・兼宗の系図)〕
孫 成覚/忠豪
藤原忠実の系図
藤原忠実(ただざね)【1078-1162】〔養父:藤原師実(→藤原師実の系図)、養子:藤原師長(→藤原頼長の系図)〕
摂政・関白・太政大臣。娘泰子の入内を巡り、白河法皇に疎まれた。息子忠通との対立は保元の乱の一因になった。日記は『殿暦』。
祖父 師実→藤原師実の系図
父 師通→藤原師通の系図
祖父 藤原俊家→藤原俊家の系図
妻 源師子
源顕房(→源顕房の系図)の娘。
夫 白河天皇→白河天皇の系図
子 忠通→藤原忠通の系図
孫 近衛基実→近衛基実の系図
孫 松殿基房→松殿基房の系図
孫 九条兼実→九条兼実の系図
孫 兼房→藤原兼房の系図
子 泰子→鳥羽天皇~近衛天皇の系図
妻 藤原盛実の娘
妻の父 藤原盛実→藤原盛実の系図
子 頼長→藤原頼長の系図
藤原頼長の系図
藤原頼長(よりなが)【1120-1156】〔養父:藤原忠通(→藤原忠通の系図)〕
左大臣。父に期待され、氏長者の地位にも就いた。保元の乱で敗れた。日記は『台記』。
祖父 師通→藤原師通の系図
父 忠実→藤原忠実の系図
祖父 藤原盛実→藤原盛実の系図
妻 源師俊の娘
妻の父 源師俊→源俊房の系図
子 兼長(かねなが)【1138-1158】
権中納言。保元の乱に連座し、出雲に流された。
妻 源信雅の娘
妻の父 源信雅→源信雅・雅仲の系図
子 師長(もろなが)【1138-1192】〔養父:藤原忠実(→藤原忠実の系図)〕
太政大臣。保元の乱で土佐に流された。後白河上皇と平清盛が衝突した際には尾張に流された。管絃をよくした。
子の妻 徳大寺公能の娘
子の妻の父 徳大寺公能→徳大寺公能の系図
子の妻 藤原顕頼の娘
子の妻の父 藤原顕頼→藤原顕頼の系図
子の妻 藤原成子
藤原成親(→藤原成親の系図)の娘
孫 成宗
実は藤原成親(→藤原成親の系図)の子。
孫の夫 粟田口忠良→粟田口忠良の系図
妻 徳大寺幸子(こうし)【1112-1155】
徳大寺実能(→徳大寺実能の系図)の娘。
子 多子→鳥羽天皇~近衛天皇の系図・後白河天皇~六条天皇の系図
藤原忠通の系図
藤原忠通(ただみち)【1097-1164】〔養子:藤原頼長(→藤原頼長の系図)〕
摂政・関白・太政大臣。父忠実・弟頼長とは政治的に対立した。『百人一首』に歌が収められている。
祖父 師通→藤原師通の系図
父 忠実→藤原忠実の系図
祖父 源顕房→源顕房の系図
妻 源信子
源国信(→源国信の系図)の娘。
子 近衛基実→近衛基実の系図
孫 基通→近衛基通の系図
孫 粟田口忠良→粟田口忠良の系図
妻 源俊子
源国信(→源国信の系図)の娘。
子 松殿基房→松殿基房の系図
孫 隆忠・師家→松殿隆忠・師家の系図
孫 忠房→松殿忠房の系図
子 信円(しんえん)【1153-1224】
興福寺別当。東大寺の大仏開眼供養の呪願師や大仏殿落慶供養の導師を務めた。
妻 藤原仲光の娘
妻の父 藤原仲光→藤原仲実の系図
子 九条兼実→九条兼実の系図
孫 良経→九条良経の系図
子 兼房→藤原兼房の系図
子 慈円(じえん)【1155-1225】
天台座主。『愚管抄』を著した。歌人としても活躍した。
妻 藤原基信の娘
妻の父 藤原基信→藤原師信の系図
子 恵信(えしん)/覚継【1124-1171】
興福寺別当。延暦寺と争い、伊豆に流された。
妻 藤原宗子
藤原宗通(→藤原宗通の系図)の娘。
子 聖子→鳥羽天皇~近衛天皇の系図
子 覚忠(かくちゅう)【1118-1177】
天台座主や園城寺長吏を務めた。
子 育子→後白河天皇~六条天皇の系図
子 呈子→鳥羽天皇~近衛天皇の系図
藤原兼房の系図
藤原兼房(かねふさ)【1153-1217】
太政大臣。
祖父 忠実→藤原忠実の系図
父 忠通→藤原忠通の系図
祖父 藤原仲光→藤原仲実の系図
妻 藤原隆季の娘
妻の父 藤原隆季→藤原隆季の系図
子 兼良【1167-1221】〔養父:九条兼実(→九条兼実の系図)〕
大納言。
孫 大納言局→守貞親王~四条天皇の系図
孫の夫 二条良実→二条良実・師忠の系図
妻 大炊御門経宗の娘
妻の父 大炊御門経宗→大炊御門経宗の系図
妻 藤原清通の娘
妻の父 藤原清通→白河伊実の系図
子 道誉(どうよ)【1179-1240】
子の夫 後嵯峨天皇→後嵯峨天皇の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。