このページでは、桜井家(藤原氏北家・道隆流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
桜井家(羽林家)の略系図
1 兼里→桜井兼里・兼供の系図
3 氏敦→桜井氏敦・氏福の系図
5 供敦→桜井供敦~供愛の系図
桜井兼里・兼供の系図
桜井兼里【1629-1683】
桜井家の祖。
祖父 氏成・父 兼俊→水無瀬氏成~氏信の系図
子 山井兼仍・孫 兼前→山井兼仍~氏胤の系図
子 孝然(『桜井家譜』による。)
子 兼里の娘(『桜井家譜』による。)
子の夫 菅沼定辰→菅沼定辰の系図
桜井兼供【1658-1730】
正三位。母は『桜井家譜』による。
妻 水無瀬兼豊の娘
実は足利義辰(→足利義稙の系図)の娘。
妻の父 水無瀬兼豊→水無瀬兼豊~経業の系図
子 氏敦・孫 氏福→桜井氏敦・氏福の系図
子 英専・演深・英憲・兼供の息子(2人)・子 兼供の娘(2人)(『桜井家譜』による。)
子 滋岡辰長〔養父:滋岡長祇〕→東坊城益長~長維の系図
子 宗鳳【1705-1775】(『桜井家譜』による。)
子 安→松平基知の系図
子 兼供の娘【1709-1773】
子 兼供の娘【?-1768】〔養父:石井行康(→石井行豊~行忠の系図)〕
松平安芸守分地岡本大蔵の妻。
子の夫 西洞院範篤→西洞院範篤~信愛の系図
子の夫 西大路隆廉→西大路隆郷~隆脩の系図
桜井氏敦・氏福の系図
桜井氏敦【1690-1741】
正三位。
祖父 兼里・父 兼供→桜井兼里・兼供の系図
祖父 水無瀬兼豊→水無瀬兼豊~経業の系図
妻 勘解由小路韶光の娘
妻の父 勘解由小路韶光→勘解由小路資忠~光尚の系図
子 兼徳【1728-1734】
子 供敦〔養父:桜井氏福〕→桜井供敦~供愛の系図
子 信隆【?-1778】
子 専慶
実は壬生基貫(→葉川基起~壬生基修の系図)の子。
子 氏敦の息子(3人)・子 氏敦の娘(5人)(『桜井家譜』による。)
子 十衛→藤井兼矩の系図
子 千加→小堀邦直の系図
桜井氏福【1737-?】
妻 西洞院範篤の娘
妻の父 西洞院範篤→西洞院範篤~信愛の系図
子 供敦・孫 氏全→桜井供敦~供愛の系図
妻 西洞院時名の娘
実は足利義辰(→足利義稙の系図)の娘。
妻の父 西洞院時名→西洞院範篤~信愛の系図
子 供寿/兼寿【1769-1783】〔養父:輝忠〕
子 綱→七条隆脩~信睦の系図
子 豊・久(『桜井家譜』による。)
子 安子(『桜井家譜』による。)
実は小堀邦直(→小堀邦直の系図)の子。
子 吉(『桜井家譜』による。)→松平明矩~直温の系図
子 八百丸【1783-?】(『桜井家譜』による。)
子 氏福の息子(『桜井家譜』による。)
子 綾【1770-1783】(『桜井家譜』による。)
桜井供敦~供愛の系図
桜井供敦/兼文【1742-1794】
正三位。実は桜井氏敦(→桜井氏敦・氏福の系図)の子。
祖父 氏敦・父 氏福→桜井氏敦・氏福の系図
祖父 西洞院範篤→西洞院範篤~信愛の系図
妻 間部末子
間部詮方(→間部詮方の系図)の娘。
子 美千子【1767-1768】(『桜井家譜』による。)
子 力子【1768-1770】(『桜井家譜』による。)
子 供敦の息子【1794】(『桜井家譜』による。)
子 敦子→愛宕通福~通致の系図
子 寉千代子・八百子・供敦の娘(『桜井家譜』による。)
子 秀子【1767-1768】(『桜井家譜』による。)
子 供敦の娘〔養父:西洞院入道〕(『桜井家譜』による。)
桜井氏全【1765-1797】〔養子:寛全(→裏松謙光~良光の系図)〕
従三位。
子 専深(『桜井家譜』による。)
実は裏辻公理(→裏辻季福~実脩の系図)の子。養父は桜井供秀(『裏辻家譜』)とも。
子 亀尾【1793-?】(『桜井家譜』による。)
子 全子・氏全の娘(『桜井家譜』による。)
子の夫 浄西・珙清(『桜井家譜』による。)
桜井供秀【1781-1853】
正三位。
妻 愛宕通典の娘
妻の父 愛宕通典→愛宕通福~通致の系図
子 供秀の息子【?-1802】(『桜井家譜』による。)
子 太秦供親/尭雅【1829-1871】〔養子:堀河親賀の息子(→堀河康暁~康隆の系図)〕(『桜井家譜』による。)
子の妻 高野因子【1842-?】
高野保美(→高野保春~保建の系図)の娘。
子 供秀の娘〔養父:珙清〕(『桜井家譜』による。)
桜井供文【1803-1847】
正三位。
妻 藤井行福の娘
妻の父 藤井行福→藤井行福の系図
桜井供愛【1834-1862】
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。