阿部氏(藤原氏北家・道兼流)・正春流の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、阿部氏(藤原氏北家・道兼流)・正春流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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阿部氏・正春流(上総国佐貫藩主)の略系図

阿部氏・正春流の略系図

1 正春阿部正春~正実・正長~正保の系図
6 正簡阿部正簡~正恒の系図

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阿部正春~正実・正長~正保の系図

阿部正春~正実・正長~正保の系図

  阿部正春(まさはる)/利重(とししげ)/正長(まさなが)【1637-1716】
 上総国大多喜新田藩主・武蔵国岩槻藩主・上総国大多喜藩主・三河国刈谷藩主。

祖父 正次阿部正俊~正次の系図
 重次阿部重次~正邦・正容~正利の系図
祖父 松平定勝松平定勝の系図

 烏丸資慶の娘
 実は園基音(→園基富~基音の系図)の娘。
妻の父 烏丸資慶烏丸資慶~宣定の系図
 梯千代
 母は『寛政重修諸家譜』による。
 正春の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 保科正賢保科正貞~正寿の系図

 勘解由小路資忠の娘
妻の父 勘解由小路資忠勘解由小路資忠~光尚の系図

 吉兵衛【?-1663】
 正春の娘(2人)(『寛政重修諸家譜』による。)


  阿部正鎮(まさたね)/正良(まさよし)【1699-1751】
 刈谷藩主・上総国佐貫藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
 松平美喜子
 松平乗紀(→石川乗政・松平乗紀の系図)の娘。

 勝三郎【1735-1744】
 正賀〔養父:阿部正興〕
 松之助(『阿部家譜(上総佐貫)』による。)
 正鎮の娘(2人)(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 森川氏寿森川氏房~氏昌・氏治~長春の系図
子の夫 戸田光邦戸田重恒~光弘の系図


  阿部正興(まさおき)/正之(まさゆき)【1734-1764】
 佐貫藩主。実は阿部正福(→阿部正福・正右の系図)の子。
 大久保忠胤の娘
妻の父 大久保忠胤→大久保忠胤の系図
 英五郎
 母は『寛政重修諸家譜』による。


  阿部正賀(まさよし)【1746-1780】
 佐貫藩主。実は阿部正鎮の子。
 松平近貞の娘
妻の父 松平近貞松平近禎・近貞の系図

 内藤信興の娘
妻の父 内藤信興内藤信興~信美の系図

 正賀の娘(2人)(『阿部家譜(上総佐貫)』による。)
子の夫 織田長宇→織田長宇の系図


  阿部正実(まさざね)/正脩(まさなが)【1764-1831】
 佐貫藩主。実は阿部正允(→阿部正武~正允・正明~正章の系図)の子。
 正簡 正暠阿部正簡~正恒の系図


  阿部正長(まさなが)【1702-1753】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
 正保〔養父:阿部正親〕
子の夫 大島義苗→大島義苗の系図


  阿部正親(まさちか)【1721-1761】
 神保茂映の娘
妻の父 神保茂映→神保茂映の系図
 永井直富永井直澄~直観の系図


  阿部正保(まさやす)【1744-?】
 正簡〔養父:阿部正実〕→阿部正簡~正恒の系図
 正保の娘〔養父:阿部正賀〕

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阿部正簡~正恒の系図

阿部正簡~正恒の系図

  阿部正簡(まさひろ)/正常(まさつね)【1772-1825】(以下、『阿部家譜(上総佐貫)』による。)
 佐貫藩主。実は阿部正保(→阿部正春~正実・正長~正保の系図)の子。藩校誠道館を創設した。

祖父 正賀 正実阿部正春~正実・正長~正保の系図

 石谷清定の娘
妻の父 石谷清定→石谷清定の系図

 戸田万喜/安屋
 戸田光悌(→戸田光悌~光則の系図)の娘。
 京極高有京極高栄~高厚の系図

子の夫 井伊直暉井伊直存~直安の系図


  阿部正暠(まさあき・まさたか)【1806-1853】
 佐貫藩主。
 本多忠顕の娘
妻の父 本多忠顕本多忠典~忠直の系図


  阿部正身(まさちか)【1818-1868】
 佐貫藩主。実は亀井茲尚(→亀井矩貞~茲監の系図)の子。江戸湾警備のため、砲台を築いた。
 諶澄
 実は河崎嘉兵衛の子。
子の妻 阿部正暠の娘
 初めは阿部正身に嫁ぐ予定であった。

 成祥〔養父:木邑成教〕
 正身の娘〔養父:野々邑嘉右衛門〕


  阿部正恒(まさつね)【1839-1899】
 佐貫藩主。
 五島朝子
 五島盛成(→五島盛運~盛徳の系図)の娘。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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