岡崎家(藤原氏北家・高藤流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、岡崎家(藤原氏北家・高藤流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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岡崎宣持~国有の系図

岡崎宣持~国有の系図

  岡崎宣持【1617-1672】
 従三位。

祖父 資胤 尚良中御門資胤~宣基の系図

 正親町季俊の娘
妻の父 正親町季俊正親町実彦~実豊の系図
 桂昭房/資房【1638-?】
 参議。

 宗房【1648-1667】
 実は清閑寺共綱(→清閑寺資房~共綱の系図)の子。


  岡崎国久【1659-1752】
 権大納言。実は中御門資煕(→中御門資胤~宣基の系図)の子。
 錦小路尚秀〔養父:錦小路頼庸〕→錦小路尚秀の系図
子の夫 橋本実文橋本季村~実文の系図


  岡崎国広【1691-1738】
 従三位。


  岡崎国栄【1726-1783】
 参議。
 伏原文
 伏原宣通(→伏原宣通の系図)の娘。


  岡崎国成【1764-1827】
 参議。


  岡崎国均【1799-1826】
 池尻暉房の娘
妻の父 池尻暉房池尻栄房~胤房の系図


  岡崎国房【1819-1861】
 正三位。
 秀子〔養父:池尻延房(→池尻栄房~胤房の系図)〕(『岡崎家譜』による。)
 政子(『岡崎家譜』による。)→高野保春~保建の系図
 豊麿 須賀子(『岡崎家譜』による。)


  岡崎国有【1852-1878】
 母は『岡崎家譜』による。

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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