このページでは、南部氏(清和源氏・義光流)・政信流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
南部政信~信方の系図
南部政信(まさのぶ)/政庸(まさつね)【1668-1746】
祖父 重直→南部利直・重直の系図
父 重信→南部重信の系図
妻 松浦鎮信の娘
妻の父 松浦鎮信→松浦鎮信・棟の系図
夫 新庄直賢→新庄直賢の系図
子 鍋之助(『南部家譜(陸中七戸)』による。)
南部信弥(のぶみつ)/定庸(さだつね)【1710-1750】
実は牧野英成(→牧野英成の系図)の子。
妻 七戸愛信の娘
妻の父 七戸愛信→南部重信の系図
南部信伝(のぶつぐ)【1734-1756】
実は南部利視(→南部利視の系図)の子。
妻 南部信弥の娘
実は牧野英成(→牧野英成の系図)の娘。
南部信喜(のぶよし)【1753-1800】
妻 南部鷹子
南部信起(→南部勝信~信起の系図)の娘。
子 信彊/直温〔養父:山口直膺(→山口直膺の系図)〕
子 鉄→青木可直~直諒の系図
南部信鄰(のぶちか)【1776-1821】
陸奥国七戸藩主。
妻 近藤寿用の娘
妻の父 近藤寿用→近藤寿用の系図
妻 水野忠敞の娘
妻の父 水野忠敞→水野忠慎~忠晋の系図
子 建→前田利尚~利昭の系図
南部信誉(のぶより)【1805-1862】(以下、『南部家譜(陸中七戸)』による。)
七戸藩主。
子 利剛・子 豊子→南部利済~利恭の系図
子 信誉の娘
実は南部利済(→南部利済~利恭の系図)の娘。
南部信民(のぶたみ)【1833-1900】〔養父:南部利済(→南部利済~利恭の系図)〕
七戸藩主。実は南部信也の子。
妻 前田睦
前田利和(→前田利尚~利昭の系図)の娘。
妻 細川磋久子
細川興建(→細川興虎~興貫の系図)の娘。
南部信方(のぶかた)【1858-1923】
七戸藩主。実は南部利剛(→南部利済~利恭の系図)の子。
妻 土井亀子
土井利善(→土井利徳~利教の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。