四条家(藤原氏北家・末茂流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、四条家(藤原氏北家・末茂流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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四条家(羽林家)の略系図

四条家の略系図

1 隆季藤原隆季の系図
2 隆房藤原隆房の系図
3 隆衡藤原隆衡の系図
4 隆親四条隆親~隆宗の系図
8 隆郷四条隆郷~隆永の系図
13 隆重四条隆重~隆平の系図

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藤原隆季の系図

藤原隆季の系図

  藤原隆季(たかすえ)【1127-1185】
 権大納言。院の近臣として活躍した。

祖父 家保藤原家保の系図
 家成藤原家成の系図
祖父 高階宗章→高階宗章の系図

 藤原忠隆の娘
妻の父 藤原忠隆藤原基隆の系図
 隆房藤原隆房の系図
 隆衡藤原隆衡の系図

 隆保【1150-?】
 正三位。
子の妻 馬場頼政の娘
子の妻の父 馬場頼政馬場頼政~宗仲の系図

 隆性隆有
 父は藤原隆保、藤原隆雅とも。
 隆禅
 父は藤原隆雅とも。
孫の夫 二条良実二条良実・師忠の系図

隆保孫 四条隆名〔養父:四条房名〕→四条隆親~隆宗の系図

 隆雅
 従三位。
 隆行
 父は藤原隆雅、藤原隆清とも。
孫の夫 粟田口基良粟田口基良の系図

 藤原通憲の娘
妻の父 藤原通憲藤原実兼・通憲の系図

子の夫 藤原兼房藤原兼房の系図
子の夫 一条高能一条高能の系図
子の夫 藤原泰通藤原泰通の系図
子の夫 藤原家光藤原家成の系図

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藤原隆房の系図

藤原隆房の系図

  藤原隆房(たかふさ)【1148-1209】
 権大納言。歌人としても活躍した。

祖父 家成藤原家成の系図
 隆季藤原隆季の系図
祖父 藤原忠隆藤原基隆の系図

 平清盛の娘
妻の父 平清盛平清盛の系図
 隆衡藤原隆衡の系図
 四条隆親四条隆親~隆宗の系図

 隆宗【1181-1229】
 従三位。

 高階泰経の娘
妻の父 高階泰経→高階泰経の系図
 季房(すえふさ)

 隆仲【1183-?】
 従三位。
子の妻 藤原親雅の娘
子の妻の父 藤原親雅藤原親雅の系図

子の妻 全成の娘
子の妻の父 全成全成の系図

 隆兼
 従三位。
曾孫 顕成【?-1296】
 従三位。

隆仲孫 隆賢
 正三位。

 藤原光雅の娘
妻の父 藤原光雅藤原光雅の系図
 長範九条光長・長房の系図

 隆弁(りゅうべん)【1208-1283】
 園城寺長吏や鶴岡八幡宮別当を務めた。
 蔵子洞院実雄の系図
子の夫 松殿師家松殿隆忠・師家の系図
子の夫 藤原基範藤原成範の系図

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藤原隆衡の系図

藤原隆衡の系図

  藤原隆衡(たかひら)/長雅【1172-1254】
 権大納言。

祖父 隆季藤原隆季の系図
 隆房藤原隆房の系図
祖父 平清盛平清盛の系図

 高階経仲の娘
妻の父 高階経仲→高階経仲の系図
 四条隆綱【1189-?】
 従二位。
子の妻 大内惟義の娘
子の妻の父 大内惟義大内惟義~秀治の系図
 隆行【1224-1285】
 権大納言。
孫の妻 平信繁の娘
孫の妻の父 平信繁→平信繁の系図
曾孫 隆康【1249-1291】
 参議。
隆康の子の夫 坊城定資坊城定資~俊継の系図
隆康の孫 勧修寺経顕勧修寺経顕~教秀の系図

孫の妻 高辻長成の娘
孫の妻の父 高辻長成高辻為長~長宣の系図
曾孫 隆久
 参議。
隆久孫 隆定/隆茂

曾孫 西大路隆政西大路隆政~隆範の系図
曾孫の子 油小路隆蔭油小路隆蔭~隆秀の系図

孫の妻 姉小路顕朝の娘
孫の妻の父 姉小路顕朝藤原宗隆の系図

孫の夫 大炊御門冬忠大炊御門師経~冬忠の系図

 坊門信清の娘
妻の父 坊門信清坊門信清の系図
 四条隆親 房名四条隆親~隆宗の系図
 鷲尾隆良鷲尾隆良~隆康の系図

 隆盛【1211-1251】
 従三位。
曾孫 隆重
 父は藤原隆名とも。

 隆助(りゅうじょ)【1213-1278】
 東寺長者。
 貞子西園寺実氏の系図
 儷子二条良実・師忠の系図
 藤子後嵯峨天皇の系図
 親子西園寺実氏の系図

 隆基
 父は藤原隆寧とも。

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四条隆親~隆宗の系図

四条隆親~隆宗の系図

  四条隆親(たかちか)【1202-1279】
 大納言。後堀河天皇などの近臣として活躍した。

祖父 隆房藤原隆房の系図
 隆衡藤原隆衡の系図
祖父 坊門信清坊門信清の系図

 足利義氏の娘
妻の父 足利義氏足利義氏の系図
 隆顕(たかあき)【1243-?】
 権大納言。
子の妻 九条忠高の娘
子の妻の父 九条忠高九条定高の系図

子の妻 姉小路忠方の娘
子の妻の父 姉小路忠方藤原宗隆の系図

孫の夫 吉田定房吉田経長の系図

曾孫 隆資(たかすけ)【1292-1352】
 権中納言。父は四条隆顕とも。後醍醐天皇に従い、南朝では従一位権大納言となった。男山八幡で足利義詮の軍に敗れ、のちに南朝から左大臣を贈られた。
曾孫の子の夫 西園寺実俊西園寺実俊~実遠の系図

隆資孫 隆俊(たかとし)【?-1373】
 南朝で権大納言に昇ったとされる。
隆資孫 少納言内侍後醍醐天皇の系図

 坊門信家の娘
妻の父 坊門信家→坊門信家の系図

 鷲尾隆良 隆嗣鷲尾隆良~隆康の系図
 隆遍(りゅうへん)
 興福寺別当。


  四条房名【1229-1288】
 大納言。
 源仲業の娘
妻の父 源仲業五辻仲兼・遠兼の系図

 房衡【1284-1357】
 正三位。
 隆通【?-1392】
 従三位。


  四条隆名【?-1322】
 正三位。実は藤原隆朝(→藤原隆季の系図)の子。


  四条隆宗【?-1358】
 正三位。父は鷲尾隆宣(→鷲尾隆良~隆康の系図)とも。
 隆郷 隆直四条隆郷~隆永の系図
 隆冬
 従二位。
孫の夫 勧修寺経豊勧修寺経顕~教秀の系図

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四条隆郷~隆永の系図

四条隆郷~隆永の系図

  四条隆郷【1326-1410】
 権大納言。

祖父 隆名 隆宗四条隆親~隆宗の系図

 今子後円融天皇~称光天皇の系図


  四条隆直【1357-1436】〔養子:隆済(→中御門宗冬~松木宗藤の系図)〕
 権大納言。
 西大路隆仲の娘
妻の父 西大路隆仲西大路隆政~隆範の系図

 西川房任【1417-1485】(『系図纂要』による。)
 参議。
 油小路隆継油小路隆蔭~隆秀の系図


  四条隆盛【1397-1466】
 権大納言。


  四条隆量/房卿【1429-1503】
 権大納言。
 吉田兼名の娘
妻の父 吉田兼名→吉田兼名の系図


  四条隆永【1478-1538】
 権大納言。実は中御門宣胤(→中御門宣胤~宣政の系図)の子。
 隆重 隆益四条隆重~隆平の系図
子の夫 東坊城長淳東坊城益長~長維の系図
子の夫 教清(『系図纂要』による。)→教清の系図

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四条隆重~隆平の系図

四条隆重~隆平の系図

  四条隆重【1507-1539】
 参議。

祖父 隆量 隆永四条隆郷~隆永の系図

 吉田兼満の娘
妻の父 吉田兼満→吉田兼満の系図


  四条隆益【1531-1567】
 参議。


  四条隆昌/家賢【1556-1613】(以下、『系図纂要』による。)
 実は上冷泉為益(→上冷泉為富~為益の系図)の子。
 櫛笥隆憲 隆致櫛笥隆憲~隆方の系図
子の夫 藤谷為賢藤谷為賢・為条の系図


  四条隆術【1611-1647】〔養子:松平能子(→藤谷為賢・為条の系図)〕
 参議。
 松平通子
 松平忠明(→松平忠明の系図)の娘。


  四条隆音【1637-1670】
 参議。
 松平参子
 松平忠弘(→松平忠弘の系図)の娘。


  四条隆安/言通/隆盈【1663-1720】
 権中納言。実は山科言行(→山科言行~尭言の系図)の子。
 四条隆音の娘(『四条家譜』による。)

 隆安の娘(『四条家譜』による。)


  四条隆文/隆春【1689-1738】
 参議。


  四条隆叙/季栄【1730-1801】
 権大納言。実は正親町公通(→正親町公通~実連の系図)の子。
 成瀬正泰の娘
妻の父 成瀬正泰→成瀬正泰の系図

 三条西公福の娘
妻の父 三条西公福三条西公勝~公福の系図

 西大路隆良〔養父:西大路隆共〕→西大路隆郷~隆脩の系図
 実は山科頼言の子。
 町子竹子(『四条家譜』による。)


  四条隆師【1756-1811】
 権大納言。
 高倉永秀の娘
妻の父 高倉永秀→高倉永秀の系図

 谷播磨守の娘(『四条家譜』による。)

 隆房/隆考【1781-1801】
 隆師の息子 隆師の娘(『四条家譜』による。)
子の夫 裏辻実和(『四条家譜』による。)→裏辻季福~実脩の系図


  四条隆生【1792-1857】
 権大納言。実は醍醐輝久(→醍醐冬基~忠順の系図)の子。
 仙石久道の娘
妻の父 仙石久道→仙石久道の系図

 隆謌〔養父:四条隆美〕
 隆生の息子 隆生の娘(『四条家譜』による。)


  四条隆美【1815-1834】


  四条隆謌(たかうた)【1828-1898】
 実は四条隆生の子。尊攘派の公家。八月十八日の政変で長州に下った。のちに侯爵。
 黒田長溥の娘
 実は奥平昌高(→奥平昌高の系図)の娘。
妻の父 黒田長溥黒田治之~長知の系図


  四条隆平【1841-1911】

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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