このページでは、青山氏(藤原氏北家・師実流)・幸成流の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
青山氏・幸成流(美濃国郡上藩主)の略系図

1 幸成→青山幸成~幸実の系図
1-A 幸通→青山幸通~幸発の系図
1-B 幸正→青山幸正~幸宣の系図
1-C1 幸高→青山幸高~幸繁の系図
1-C2 幸度→青山幸度~幸飽の系図
4 幸督→青山幸督~幸道の系図
7 幸完→青山幸完~幸宜の系図
青山幸成~幸実の系図
青山幸成(よしなり・ゆきなり)【1586-1643】
遠江国掛川藩主・摂津国尼崎藩主。
祖父 忠門→青山師重~忠門・忠教~義虎の系図
父 忠成→青山忠成・忠俊の系図
祖父 天方通興→天方通興の系図
妻 小笠原信之の娘
妻の父 小笠原信之→小笠原信嶺~貞信・信政の系図
子の夫 堀親昌→堀親昌の系図
妻 福永氏
子 幸通・孫 秘成→青山幸通~幸発の系図
子 幸正・孫 幸豊→青山幸正~幸宣の系図
子 幸高・孫 幸遐→青山幸高~幸繁の系図
孫 幸度→青山幸度~幸飽の系図
子の夫 水谷勝宗→水谷勝宗の系図
子の夫 松平信久→松平忠国の系図
子の夫 山口重直→山口重直の系図
青山幸利(よしとし)【1616-1684】
尼崎藩主。母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 加藤明成の娘
妻の父 加藤明成→加藤明成の系図
子の夫 松平信興→松平信興~輝高の系図
青山幸実(よしざね)【1638-1705】
病弱のため、家督を継がなかった。
妻 井上正利の娘
妻の父 井上正利→井上正利・正興~正章の系図
子 幸督・孫 幸秀→青山幸督~幸道の系図
子 幸澄(よしずみ)【1667-1719】
孫 幸能(よしよし)【1710-1724】
実は青山幸督(→青山幸督~幸道の系図)の子。
孫 幸澄の娘(『寛政重修諸家譜』による。)
子の夫 青山忠重→青山宗俊~忠重の系図
子の夫 内田正勝→内田正信~正偏の系図
青山幸通~幸発の系図
青山幸通(ゆきみち)【1619-1676】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 忠成→青山忠成・忠俊の系図
父 幸成→青山幸成~幸実の系図
妻 松平忠直の娘
妻の父 松平忠直→松平忠直~忠栄の系図
妻 杉原長房の娘
妻の父 杉原長房→杉原長房の系図
妻 伊丹勝長の娘
妻の父 伊丹勝長→伊丹勝長の系図
夫 皆川秀隆→皆川秀隆の系図
夫 川口宗憲→川口宗憲の系図
子 亀之丞【1671-1677】
子の夫 青山忠重→青山宗俊~忠重の系図
子の夫 天野長頼→天野長頼の系図
青山秘成(やすなり)/幸能(ゆきよし)/基成(もとなり)【1658-1732】
妻 川勝隆尚の娘
妻の父 川勝隆尚→川勝隆尚の系図
子の夫 安部信賢→安部信賢の系図
青山幸覃(よしひろ)/幸房(よしふさ)/幸慎(よしちか)【1701-1783】
実は青山幸高(→青山幸高~幸繁の系図)の子。
妻 保科正殷の娘
実は保科正賢(→保科正貞~正寿の系図)の娘。
妻の父 保科正殷→保科正貞~正寿の系図
子 幸喬(よしたか)/幸賛(よしすけ)【1744-1769】
青山幸省(よしみ)
子の夫 森川俊世→森川重名~俊世・俊勝~俊直の系図
青山幸発(よしゆき)【1761-?】
妻 青山幸道の娘
妻の父 青山幸道→青山幸督~幸道の系図
青山幸正~幸宣の系図
青山幸正(ゆきまさ)/幸方(よしかた)/幸重(よししげ)【1620-1686】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 忠成→青山忠成・忠俊の系図
父 幸成→青山幸成~幸実の系図
妻 大炊御門経敦の娘
妻の父 大炊御門経敦→大炊御門経敦~経音の系図
子の夫 宮崎重清→宮崎重清の系図
青山幸豊(よしとよ)【1656-1720】
妻 大久保忠重の娘
妻の父 大久保忠重→大久保忠重の系図
夫 大久保忠清→大久保忠清の系図
妻 大久保忠高の娘
妻の父 大久保忠高→大久保忠高の系図
子の夫 森川俊央→森川重名~俊世・俊勝~俊直の系図
青山幸亮(よしすけ)/英成(ふさなり)/幸治(よしはる)【1698-1760】
実は青山幸遐(→青山幸高~幸繁の系図)の子。
妻 竹本正長の娘
妻の父 竹本正長→竹本正長の系図
子 幸儀(よしのり)【1724-1742】
子の夫 加藤則陳→加藤則陳の系図
子の夫 有馬純昌→有馬純息~純長・純珍~純昌の系図
青山幸充(よしみつ)/成昭(なりてる)【1726-1785】
妻 戸田定浩の娘
妻の父 戸田定浩→戸田氏定・氏長・定浩~氏澄の系図
妻 立花貫長の娘
妻の父 立花貫長→立花貫長の系図
子 幸愛(よしちか)【1746-1781】
青山幸賢(よしまさ)【1765-1795】
実は青山幸道(→青山幸督~幸道の系図)の子。
妻 松平乗穏の娘
妻の父 松平乗穏→松平乗穏~乗謨の系図
青山幸宣(よしのぶ)【1785-?】
青山幸高~幸繁の系図
青山幸高(ゆきたか)/幸隆(よしたか)【1632-1706】(以下、『寛政重修諸家譜』による。)
祖父 忠成→青山忠成・忠俊の系図
父 幸成→青山幸成~幸実の系図
妻 天方倶通の娘
妻の父 天方倶通→天方倶通の系図
子 幸度・孫 幸猛→青山幸度~幸飽の系図
子 成展〔養父:天方致通〕→青山成展の系図
子 幸覃〔養父:青山秘成〕→青山幸通~幸発の系図
子の夫 荒木政羽→荒木政羽の系図
青山幸遐(よしはる)【1660-1733】
子 幸増(よします)【?-1730】
子の妻 松浦信正の娘
子の妻の父 松浦信正→松浦信辰~信安の系図
孫の夫 土岐頼門→土岐頼在~頼族の系図
子 幸亮〔養父:青山幸豊〕→青山幸正~幸宣の系図
子 椎珍〔養父:青山幸房〕
青山幸房(よしふさ)/幸広(よしひろ)【1696-1772】
子 椎珍
実は青山幸遐の子。
青山幸延(よしのぶ)【1734-?】
実は青山俊延(→青山俊延の系図)の子。
妻 太田資賢の娘
妻の父 太田資賢→太田資良~資承の系図
妻 岡部長臧の娘
妻の父 岡部長臧→岡部定直~長貴の系図
夫 丸毛政良→丸毛政良の系図
妻 石野広民の娘
妻の父 石野広民→石野広民の系図
子の夫 会田資昌→会田資昌の系図
青山幸繁(よしあきら)【1768-?】
妻 猪子一甫の娘
妻の父 猪子一甫→猪子一甫の系図
青山幸度~幸飽の系図
青山幸度(よしのり)【1661-1742】
祖父 幸成→青山幸成~幸実の系図
父 幸高→青山幸高~幸繁の系図
祖父 天方倶通→天方倶通の系図
子 宮崎重教〔養父:宮崎成久〕→宮崎重教の系図
子の夫 本多利紀→本多利政~利貞の系図
子の夫 三枝国中→三枝国中の系図
青山幸猛(よしたけ)【1693-1764】
青山幸高(よしたか)【1728-1793】
実は宮崎重教(→宮崎重教の系図)の子。
子 幸高の娘
平野好恒に嫁ぐ予定であった。
子の夫 長谷川正光→長谷川正光の系図
青山幸飽(よしあき)【1765-?】
実は朝比奈元敦(→朝比奈元敦の系図)の子。
青山幸督~幸道の系図
青山幸督(よしまさ)/幸明(よしあき)【1665-1710】
尼崎藩主。
祖父 幸利・父 幸実→青山幸成~幸実の系図
祖父 井上正利→井上正利・正興~正章の系図
妻 南部伊久子
南部行信(→南部行信の系図)の娘。
妻 角田氏
子 忠朝〔養父:青山俊春〕→青山俊春~忠講の系図
子 幸能〔養父:青山幸澄〕→青山幸成~幸実の系図
青山幸秀(よしひで)/幸侶(よしとも)/成英(なりひで)【1696-1744】
尼崎藩主・信濃国飯山藩主・丹後国宮津藩主。
妻 本多康慶の娘
妻の父 本多康慶→本多康慶~康敏の系図
子 金次郎【?-1723】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 藤七郎【?-1727】
母は『寛政重修諸家譜』による。
子 幸篤(よしあつ)【1725-1778】
母は『寛政重修諸家譜』による。
妻 浜村氏
子 忠高〔養父:青山忠朝〕→青山俊春~忠講の系図
子 幸充(よしみつ)【?-1757】
子 幸弼(よしすけ)【1743-1760】
子の夫 相馬恕胤→相馬昌胤~恕胤の系図
青山幸道(よしみち)【1725-1779】
宮津藩主・美濃国郡上藩主。
妻 戸田進
戸田光慈(→戸田光永~光慈の系図)の娘。
夫 建部長教→建部政周~政世の系図
子 仙次郎【1746-1763】
子 幸完・孫 幸孝→青山幸完~幸宜の系図
子 幸卓(よしつな)【?-1779】
子 幸賢〔養父:青山幸充〕→青山幸正~幸宣の系図
子 妻木頼功〔養父:妻木頼栄〕→妻木頼功の系図
子の夫 秋田倩季→秋田倩季の系図
子の夫 青山幸発→青山幸通~幸発の系図
青山幸完~幸宜の系図
青山幸完(よしさだ)【1752-1808】(以下、『青山家譜(美濃郡上)』による。)
郡上藩主。
祖父 幸秀・父 幸道→青山幸督~幸道の系図
妻 水野忠友の娘
妻の父 水野忠友→水野忠穀~忠敬の系図
子の夫 水野勝愛→水野勝前~勝寛の系図
子の夫 森川俊知→森川俊常~俊方の系図
青山幸孝(よしたか)【1778-1815】
郡上藩主。『寛政重修諸家譜』によれば、阿部正倫の娘を母とする娘が2人いる。
妻 阿部正倫の娘
妻の父 阿部正倫→阿部正倫の系図
子 幸礼〔養父:青山幸寛〕
子の夫 岡部長慎→岡部長慎~長職の系図
子の夫 石川総承→石川総候~総管の系図
子の夫 松平信友→松平信友の系図
子の夫 牧野節成→牧野節成の系図
青山幸寛(ゆきひろ)【1806-1832】
郡上藩主。
妻 牧野忠精の娘
妻の父 牧野忠精→牧野忠精の系図
青山幸礼(ゆきのり)【1808-1838】
郡上藩主。実は青山幸孝の子。
妻 本庄宗発の娘
妻の父 本庄宗発→本庄宗允~宗武の系図
妻 相馬益胤の娘
妻の父 相馬益胤→相馬益胤~誠胤の系図
夫 織田信学→織田信浮~寿重丸の系図
青山幸哉(ゆきしげ)【1815-1863】
郡上藩主。実は青山忠裕(→青山忠裕の系図)の子。
妻 戸田氏庸の娘
妻の父 戸田氏庸→戸田氏庸の系図
子 幸哉の娘〔養父:松浦詮(→松浦清~詮の系図)〕
子の夫 松浦詮→松浦清~詮の系図
子の夫 岡部長職→岡部長慎~長職の系図
青山幸宜(ゆきよし)【1854-1930】
郡上藩主。
妻 広幡定子
広幡忠礼(→広幡長忠~忠礼の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。