このページでは、鷹司家(藤原氏北家)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
鷹司家(摂家)の略系図
1 兼平→鷹司兼平~冬教の系図
5 師平→鷹司師平~忠冬の系図
12 信房→鷹司信房~教平の系図
15 房輔→鷹司房輔~基輝の系図
20 輔平→鷹司輔平の系図
21 政煕→鷹司政煕の系図
22 政通→鷹司政通~輔政の系図
鷹司兼平~冬教の系図
鷹司兼平(かねひら)【1228-1294】
摂政・関白・太政大臣。称念院殿と号した。鷹司家の祖。家名は邸宅が京都鷹司室町にあったことによる。
祖父 基通→近衛基通の系図
父 家実→近衛家実・兼経の系図
祖父 楊梅忠行→楊梅重季~経季の系図
妻 一条実有の娘
妻の父 一条実有→一条実有~実連の系図
妻 平親継の娘
妻の父 平親継→平惟忠・平有親の系図
子 兼忠(かねただ)【1262-1301】〔養父:鷹司基忠、養子:鷹司冬平〕
摂政・関白・左大臣。歓喜園院殿と号した。
子の妻 近衛基平の娘
子の妻の父 近衛基平→近衛基平の系図
孫 冬経【1283-1319】
権大納言。
曾孫 基教【1299-?】
参議。
曾孫の妻 松殿基教の娘
曾孫の妻の父 松殿基教→松殿忠房の系図
曾孫 増仁(ぞうじん)【1302-1368】〔養父:鷹司基忠〕
園城寺長吏。
子の妻 高階頼泰の娘
孫 兼冬【1289-1308】
従三位。
孫 基教〔養父:鷹司冬経〕
子の夫 近衛家基→近衛家基~道嗣の系図
妻 大炊御門光俊の娘
妻の父 大炊御門光俊→大炊御門光能の系図
鷹司基忠(もとただ)【1247-1313】〔養子:鷹司兼忠、増仁〕
関白・太政大臣。円光院殿と号した。
妻 衣笠経平の娘
妻の父 衣笠経平→粟田口忠良の系図
子 冬基【1285-1309】〔養父:鷹司冬平〕
権大納言。
子 冬教〔養父:鷹司冬平〕
子 良信(りょうしん)【1278-1329】
興福寺別当。
妻 丹波良基の娘
妻の父 丹波良基→丹波良基の系図
子 聖忠(しょうちゅう)【1268-1319】
東寺長者。醍醐寺座主。
妻 良盛の娘
妻の父 良盛→藤原俊経・盛経の系図
子 増基(ぞうき)【1282-1352】
園城寺長吏。花園天皇などの護持僧を務めた。
妻 洞院実雄の娘
妻の父 洞院実雄→洞院実雄の系図
子の夫 猪熊兼教→近衛基平の系図
子 聖尋(しょうじん)
東寺長者。醍醐寺座主。
鷹司冬平(ふゆひら)【1275-1327】〔養父:鷹司兼忠、養子:鷹司冬経、鷹司冬基〕
摂政・関白・太政大臣。後称念院殿と号した。
妻 中院通頼の娘
妻の父 中院通頼→中院通成~通冬の系図
子 師平〔養父:鷹司冬教〕→鷹司師平~忠冬の系図
鷹司冬教(ふゆのり)【1305-1337】
関白・左大臣。実は鷹司基忠の子。後円光院殿と号した。
妻 一条内実の娘
妻の父 一条内実→一条実経~内経の系図
子 師平・孫 冬通→鷹司師平~忠冬の系図
鷹司師平~忠冬の系図
鷹司師平(もろひら)【1310-1353】
関白・右大臣。実は鷹司冬平(→鷹司兼平~冬教の系図)の子。昭光院殿と号した。
祖父 冬平・父 冬教→鷹司兼平~冬教の系図
妻 永福門院東御方
洞院実泰(→洞院実泰の系図)の娘。
夫 恒明親王→亀山天皇の系図
妻 洞院吉子
洞院公賢(→洞院公賢の系図)の娘。
鷹司冬通(ふゆみち)【1330-1386】
関白・左大臣。一心院殿と号した。
妻 洞院公敏の娘
妻の父 洞院公敏→洞院公敏・公泰の系図
子の夫 一条経嗣→一条経通~兼良の系図
妻 洞院実夏の娘
妻の父 洞院実夏→洞院実夏~公連の系図
子 孝尋・孝信〔養父:九条経教〕→九条房実~満教の系図
鷹司冬家(ふゆいえ)【1367-1428】
右大臣。後一心院殿と号した。
子 昭円(『系図纂要』による。)
鷹司房平(ふさひら)【1411-1472】
関白・左大臣。後昭光院殿と号した。応仁の乱の際には、奈良に避難した。
子 性深(しょうじん)
東寺長者。
子 信玄・尊雅(『系図纂要』による。)
鷹司政平(まさひら)【1445-1517】
関白・太政大臣。専称院殿と号した。
妻 一条経子
一条兼良(→一条経通~兼良の系図)の娘。母は『摂家系図』による。
鷹司兼輔(かねすけ)【1480-1552】
関白・左大臣。法音院殿と号した。
妻 正親町三条公治の娘
妻の父 正親町三条公治→正親町三条実雅~実望の系図
鷹司忠冬(ただふゆ)【1509-1546】
関白・左大臣。後専称院殿と号した。
子 信房・孫 信尚→鷹司信房~教平の系図
孫 松平信平→松平信平~信清の系図
鷹司信房~教平の系図
鷹司信房(のぶふさ)【1565-1657】(以下、『系図纂要』による。)
関白・左大臣。実は二条晴良(→二条持通~晴良の系図)の子。鷹司家を再興した。後法音院と号した。
祖父 兼輔・父 忠冬→鷹司師平~忠冬の系図
妻 佐々成政の娘
妻の父 佐々成政→佐々成政の系図
子 信尊【1599-1676】
子 覚定(かくじょう)【1607-1661】
醍醐寺座主。
子 孝子→徳川家光・家綱の系図
妻 白川顕成の娘
妻の父 白川顕成→雅朝王~白川資訓の系図
子 松平信平・孫 信正→松平信平~信清の系図
子 幸君→光常の系図
鷹司信尚(のぶひさ)【1590-1621】
関白・左大臣。景皓院殿と号した。
妻 清子内親王(せいし)【1593-1674】
後陽成天皇(→後陽成天皇の系図)の皇女。
子の夫 花山院定好→花山院定煕・定好の系図
孫 定誠→花山院定誠~家理の系図
鷹司教平(のりひら)【1609-1668】
左大臣。一致院殿と号した。
妻 上冷泉満子
上冷泉為満(→上冷泉為満~為清の系図)の娘。
子 房輔・孫 兼煕→鷹司房輔~基輝の系図
子 高賢(こうけん)【1639-1707】
醍醐寺座主。
子 九条兼晴〔養父:九条道房〕→九条幸家~輔実の系図
子 信賀/信雅【?-1690】
子 俊海【1650-1682】〔養父:九条兼晴(→九条幸家~輔実の系図)〕
子 房子→霊元天皇の系図
子 信子→徳川綱吉~家継の系図
子の夫 島津綱貴→島津綱貴の系図
妻 文智女王(ぶんち)【1619-1697】
後水尾天皇(→後水尾天皇~後光明天皇の系図)の皇女。離婚後は仏教に帰依した。
鷹司房輔~基輝の系図
鷹司房輔(ふさすけ)【1637-1700】
摂政・関白・左大臣。
祖父 信尚・父 教平→鷹司信房~教平の系図
祖父 上冷泉為満→上冷泉為満~為清の系図
妻 毛利竹子
毛利秀就(→毛利秀就~吉広の系図)の娘。
子 西園寺実輔〔養父:西園寺公遂〕→西園寺実晴~致季の系図
妻 山科言行の娘
妻の父 山科言行→山科言行~尭言の系図
子 一条兼香〔養父:一条兼輝〕→一条教輔~道香の系図
子 輔信(すけのぶ)【1680-1741】
子の妻 久我通誠の娘
子の妻の父 久我通誠→久我通誠~通兄の系図
孫 八重姫→徳川光圀・綱条の系図
孫 輔信の息子・孫 輔信の娘(『鷹司家譜』による。)
孫の夫 毛利吉広→毛利秀就~吉広の系図
孫の夫 花山院常雅→花山院定誠~家理の系図
子 信覚【?-1701】
子 隆尊【1689-1764】
子 房演【1670-1736】
子 日顕(『鷹司家譜』による。)
子 房輔の息子・子 房輔の娘(『鷹司家譜』による。)
鷹司兼煕(かねひろ)【1659-1725】〔養子:鷹司輔信の娘(→毛利秀就~吉広の系図)〕
関白・左大臣。
妻 松平長子【?-1719】
松平頼重(→松平頼重・頼常の系図)の娘。
子 兼煕の息子(2人)・子 兼煕の娘(『鷹司家譜』による。)
子 基子→家仁親王の系図
子 兼煕の息子(『鷹司家譜』による。)
鷹司房煕(ふさひろ)【1710-1730】
内大臣。実は近衛家煕(→近衛信尋~家煕の系図)の子。
鷹司尚輔【1726-1733】
実は近衛家煕(→近衛信尋~家煕の系図)の子。
鷹司基輝(もとてる)【1727-1743】
内大臣。実は一条兼香(→一条教輔~道香の系図)の子。
子 輔平→鷹司輔平の系図
孫 政煕→鷹司政煕の系図
鷹司輔平の系図
鷹司輔平(すけひら)【1739-1813】〔養父:一条兼香(→一条教輔~道香の系図)〕
関白・左大臣。実は直仁親王(→直仁親王の系図)の子。春日社の卜定により、鷹司家を継ぐことになった。
祖父 尚輔・父 基輝→鷹司房輔~基輝の系図
妻 毛利唯保君
毛利重就(→毛利吉元~重就の系図)の娘。
子 政煕→鷹司政煕の系図
孫 政通→鷹司政通~輔政の系図
子 輔平の息子(『鷹司家譜』による。)
子 富子→織仁親王の系図
子 隆範【1759-1815】
子 亀君【1772-1773】
子 高演(こうえん)【1765-1848】
醍醐寺座主、東寺長者。
子 尊深/覚尊【1784-1832】
子 円祥〔養父:円遵〕→円祥の系図
子 徳大寺実堅〔養父:徳大寺公迪〕→徳大寺実祖~実則の系図
子 輔平の息子【1762】(『鷹司家譜』による。)
子 達子→邦頼親王の系図
子 誠子→伊達重村~宗基の系図
子 致子→今出川公言~実順の系図
子 輔平の娘【1759】(『鷹司家譜』による。)
子 輔平の息子(2人)・子 輔平の娘(5人)(『鷹司家譜』による。)
鷹司政煕の系図
鷹司政煕(まさひろ)【1761-1841】
関白・太政大臣。
祖父 基輝→鷹司房輔~基輝の系図
父 輔平→鷹司輔平の系図
祖父 毛利重就→毛利吉元~重就の系図
妻 蜂須賀儀子
蜂須賀重喜(→蜂須賀至央・重喜の系図)の娘。
子 政通・孫 輔煕→鷹司政通~輔政の系図
子 昭尋/隆実/隆算【1791-1832】
子 勝演【1793-1810】
子 磐君【1795-1797】(『鷹司家譜』による。)
子 吉子→孝仁親王の系図
妻 今小路斐子
豊岡尚資(→豊岡有尚~健資の系図)の娘。
子 繋子→光格天皇~孝明天皇の系図
子 朗寛【1790-1845】〔養父:光朗(→光朗の系図)〕
子 有宣【1795-1829】〔養父:今出川実種・今出川尚季(→今出川公言~実順の系図)〕
子 定演【1808-1856】
子 了尊【1802-1821】
子 亮珍【1805-1872】〔養父:今出川尚季(→今出川公言~実順の系図)〕
子 実君【1808-1809】(『鷹司家譜』による。)
子 政煕の息子【1815】(『鷹司家譜』による。)
子 依子→光朗の系図
子 隆子→前田治脩~慶寧の系図
子 和子【1792-1867】〔養父:光朗(→光朗の系図)〕
子 饒子女王〔養父:邦頼親王〕→邦頼親王の系図
子 秀子→尭揚の系図
子 并子→蜂須賀治昭~茂韶の系図
子 増君【1801】(『鷹司家譜』による。)
子 茂君【1802-1807】(『鷹司家譜』による。)
子 祺子→光格天皇~孝明天皇の系図
子 道子→津守国福の系図
子 辰子→醍醐冬基~忠順の系図
子 孝子→広幡長忠~忠礼の系図
子 祥子→光沢の系図
子 〓子【1811-1831】(『鷹司家譜』による。)
〓は「ネ」+「皆」。
子 諧子/修子【1809-1867】〔養父:光沢(→光沢の系図)〕
子 積子→光勝の系図
子 伸君【1816-1817】(『鷹司家譜』による。)
子 光君【1818-1819】(『鷹司家譜』による。)
子 景子→邦家親王の系図
子 任子→徳川家慶~慶喜の系図
子 備子→伊達重村~宗基の系図
子 定子→徳川宗睦~義宜の系図
鷹司政通~輔政の系図
鷹司政通(まさみち)【1789-1868】〔養子:鷹司積子(→光勝の系図)、沢馨(→沢馨の系図)〕
関白・太政大臣。幕府から条約勅許を求められた際には、当初開国の立場であったが鎖国の立場に転じた。
妻 徳川清子/鄰君【1796-1861】
徳川治紀(→徳川治紀・斉脩の系図)の娘。
子 祺子→光格天皇~孝明天皇の系図
子 鎮子→久我信通~通久の系図
子 博君【1816-1817】
子 通子→前田治脩~慶寧の系図
子 摂信〔養父:尭揚〕→摂信の系図
子 九条幸経〔養父:九条尚忠〕→九条師孝~道孝の系図
子 邁君【1809-1811】
子 徳大寺公純〔養父:徳大寺実堅〕→徳大寺実祖~実則の系図
子 淳君
実は九条尚忠(→九条師孝~道孝の系図)の子。
子 経君【?-1856】
子 徳君【1828-1829】(『鷹司家譜』による。)
子 養君【1834-1835】(『鷹司家譜』による。)
子 守君【1834-1846】(『鷹司家譜』による。)
子 教応【1844-1866】〔養父:真導〕(『鷹司家譜』による。)
子 政通の息子(『鷹司家譜』による。)
子 任子→徳川家慶~慶喜の系図
子 介子【1811-1844】
子 興子【1812-1849】〔養父:光沢(→光沢の系図)〕
子 靖君【1826-?】
子 標子→蜂須賀治昭~茂韶の系図
子 積子→貞教親王の系図
子 完君【1830-1831】
子 粲君→今出川公言~実順の系図
子 政通の娘【1810】
子 政通の娘【1839-1843】
鷹司輔煕(すけひろ)【1807-1878】
関白・右大臣。
妻 一条崇子【1824-1872】
一条忠良(→一条忠良~実良の系図)の娘。
子 為君【1847-1848】(『鷹司家譜』による。)
子 寅君【1852-1854】(『鷹司家譜』による。)
子 煕通【1855-1918】(『鷹司家譜』による。)
実は九条尚忠(→九条師孝~道孝の系図)の子。
子 今出川脩季【1857-1905】〔養父:今出川実順(→今出川公言~実順の系図)〕(『鷹司家譜』による。)
子 治子(『鷹司家譜』による。)→三条実顕~実美の系図
子 教子【1855-?】(『鷹司家譜』による。)
実は今出川実順(→今出川公言~実順の系図)の娘。
子 節君【1848-1849】(『鷹司家譜』による。)
子 経君【1850-1856】(『鷹司家譜』による。)
子 輔煕の息子【1839】(『鷹司家譜』による。)
子 淑君【1829-1831】(『鷹司家譜』による。)
子 聡君【1834-1835】(『鷹司家譜』による。)
子 茂子(『鷹司家譜』による。)→沢馨の系図
子 故子【1841-1858】〔養父:光沢(→光沢の系図)〕(『鷹司家譜』による。)
子 栄君(『鷹司家譜』による。)→貞教親王の系図
子 輔煕の息子(4人)・子 輔煕の娘(5人)(『鷹司家譜』による。)
鷹司輔政【1849-1867】(『鷹司家譜』による。)
権大納言。
妻 蜂須賀尋
実は蜂須賀隆芳(→蜂須賀重隆~隆芳・休光~休尉の系図)の娘。
妻の父 蜂須賀斉裕→蜂須賀治昭~茂韶の系図
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。