飛鳥井家(藤原氏北家・師実流)の系図

系図のメモ帳
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 このページでは、飛鳥井家(藤原氏北家・師実流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。

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飛鳥井家(羽林家)の略系図

飛鳥井家の略系図

1 雅経飛鳥井雅経~雅孝の系図
5 雅家飛鳥井雅家~雅俊の系図
10 雅綱飛鳥井雅綱~雅敦の系図
13 雅庸飛鳥井雅庸~雅豊の系図
19 雅香飛鳥井雅香~雅望の系図

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飛鳥井雅経~雅孝の系図

飛鳥井雅経~雅孝の系図

  飛鳥井雅経(まさつね)【1170-1221】
 参議。飛鳥井家の祖。蹴鞠にすぐれた。『新古今和歌集』の編纂にも携わった。『百人一首』にも歌が収められる。

祖父 頼輔 頼経難波頼輔~宗長の系図
祖父 源顕雅源顕房の系図

 大江広元の娘
妻の父 大江広元大江広元の系図

孫の夫 三条長顕三条成定の系図
孫の夫 三条公泰三条実親・公親の系図
孫の夫 難波教俊→難波教俊の系図

教雅孫 教藤
 父は藤原兼教とも。

子の夫 安達義景→安達義景の系図


  飛鳥井教定(のりさだ)【1210-1266】
 正三位。九条頼経・頼嗣・宗尊親王に仕えた。
 源定忠の娘
妻の父 源定忠源定忠~季則の系図

 定有【?-1286】
 雅朝
 父は飛鳥井雅有とも。

子の夫 御子左為氏御子左為氏の系図
 為世御子左為世の系図

 雅孝〔養父:飛鳥井雅有〕


  飛鳥井雅有(まさあり)/雅名【1241-1301】〔養子:隆恵(→藤原惟方の系図)〕
 参議。母は金沢実時(→金沢実泰の系図)の娘とも。関東祗候の廷臣として京と鎌倉を往復した。仮名日記の『春のみやまち』を著した。
 金沢実時の娘
妻の父 金沢実時金沢実泰の系図
 雅顕(まさあき)【?-1278】

子の夫 御子左為通御子左為世の系図


  飛鳥井雅孝【1282-1353】
 権中納言。実は藤原基長の子。
 平経親の娘
妻の父 平経親平惟忠・平有親の系図
 経有/教親/経孝【?-1343】
 従三位。

 雅宗/雅光【?-1343】
 従三位。
 雅冬
 実は飛鳥井雅孝の子。
曾孫の夫 庭田経有庭田経資~重賢の系図

 雅冬〔養父:飛鳥井雅宗〕
 雅家 雅縁飛鳥井雅家~雅俊の系図

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飛鳥井雅家~雅俊の系図

飛鳥井雅家~雅俊の系図

  飛鳥井雅家【?-1385】
 従三位。

祖父 雅有 雅孝飛鳥井雅経~雅孝の系図


  飛鳥井雅縁(まさより)【1358-1428】
 権中納言。歌学書『諸雑記』を著した。
 雅永
 権中納言。
孫の夫 勧修寺教秀勧修寺経顕~教秀の系図
曾孫 政顕勧修寺政顕~尹豊の系図


  飛鳥井雅清/雅氏/雅幸/雅世(まさよ)【1390-1452】
 権中納言。足利義教の寵を得て、歌壇で指導的地位を占めた。『新続古今和歌集』の撰者。
 雅康(まさやす)【1436-1509】〔養父:飛鳥井雅親〕
 権中納言。
 頼孝/頼高
曾孫 雅量(以下、『系図纂要』による。)
雅量孫 虎熊丸【1563-?】

孫の夫 兼盛→兼盛の系図


  飛鳥井雅親(まさちか)【1417-1490】〔養子:飛鳥井雅康〕
 権大納言。
 益豊(『飛鳥井家譜』による。)


  飛鳥井雅俊(まさとし)【1462-1523】〔養子:覚雅(→室町公春~四辻公音の系図)〕
 権大納言。
 享清の娘
妻の父 享清→享清の系図
 雅綱 雅春飛鳥井雅綱~雅敦の系図

 行雅(『系図纂要』による。)

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飛鳥井雅綱~雅敦の系図

飛鳥井雅綱~雅敦の系図

  飛鳥井雅綱(まさつな)【1489-1571】
 権大納言。

祖父 雅親 雅俊飛鳥井雅家~雅俊の系図
祖父 享清→享清の系図

 丹波親康の娘
妻の父 丹波親康→丹波親康の系図

 尭恵〔養父:応真〕→尭恵の系図
 目々典侍後奈良天皇~誠仁親王の系図
子の夫 経範→経範の系図
子の夫 朽木晴綱朽木義綱~元綱の系図
子の夫 久我通堅久我晴通~敦通の系図

 西洞院時慶〔養父:西洞院時当〕→西洞院行時~時慶の系図

曾孫 藤江雅良/定将【1603-?】
 従三位。父は覚澄とも。


  飛鳥井雅春/雅教【1520-1594】
 権大納言。
 松木宗満〔養父:松木宗藤〕→松木宗満~宗条の系図
 西洞院時慶〔養父:西洞院時当〕→西洞院行時~時慶の系図

 竜雲の娘〔養父:飛鳥井雅庸〕→飛鳥井雅庸~雅豊の系図


  飛鳥井雅敦【1548-1578】
 参議。母は『飛鳥井家譜』による。
 雅庸 雅宣飛鳥井雅庸~雅豊の系図

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飛鳥井雅庸~雅豊の系図

飛鳥井雅庸~雅豊の系図

  飛鳥井雅庸(まさつね)/雅継/雅枝【1569-1615】
 権大納言。家業の和歌や蹴鞠をよくし、徳川秀忠に召されて伏見城で蹴鞠を行った。日記は『雅継卿記』。

祖父 雅春 雅敦飛鳥井雅綱~雅敦の系図

 本多康重の娘
妻の父 本多康重本多正吉~忠利の系図

 雅賢【1584-1626】
 勅勘を蒙り隠岐国に流された。
 雅章〔養父:飛鳥井雅宣〕
 雅庸の娘
 実は竜雲(→飛鳥井雅綱~雅敦の系図)の娘。


  飛鳥井雅宣(まさのぶ)/雅胤/宗勝(むねかつ)【1586-1651】〔養父:難波宗富(→難波宗教~宗量の系図)〕
 権大納言。初め難波家を継いだ。
 難波宗種難波宗教~宗量の系図


  飛鳥井雅章(まさあき)/雅昭【1611-1679】
 権大納言。実は飛鳥井雅庸の子。後水尾天皇から古今伝授を受けた。
 烏丸光賢の娘
妻の父 烏丸光賢烏丸光宣~光賢の系図
 雅直〔養父:飛鳥井雅知〕

 四辻公遠の孫女
 四辻公遠(→四辻季遠~季満の系図)の孫。
 難波宗量〔養父:難波宗種〕→難波宗教~宗量の系図

 雅豊〔養父:飛鳥井雅直〕
 難波宗尚〔養父:難波宗量〕→難波宗尚~宗礼の系図
子の夫 平松時量平松時庸~時春の系図
 石井行豊石井行豊~行忠の系図

子の夫 坊城俊広坊城俊国~俊広の系図
子の夫 中院通躬(『系図纂要』による。)→中院通茂~通枝の系図
子の夫 吉田兼起(『系図纂要』による。)→吉田兼起の系図


  飛鳥井雅知【1630-1645】


  飛鳥井雅直【1635-1662】
 実は飛鳥井雅章の子。
 松平国
 松平忠昌(→松平忠昌の系図)の娘。
 本多重昭本多重能~重賀の系図

子の夫 松平綱昌松平光通~吉邦の系図


  飛鳥井雅豊【1664-1712】(以下、『系図纂要』による。)
 権中納言。実は飛鳥井雅章の子。母は『飛鳥井家譜』による。
 円尊の娘
妻の父 円尊→円尊の系図
子・子の夫 雅香 雅重飛鳥井雅香~雅望の系図

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飛鳥井雅香~雅望の系図

飛鳥井雅香~雅望の系図

  飛鳥井雅香【1703-1765】〔養父:花山院持実(→花山院定誠~家理の系図)〕
 権大納言。実は西園寺致季(→西園寺実晴~致季の系図)の子。

祖父 雅直 雅豊飛鳥井雅庸~雅豊の系図
祖父 円尊→円尊の系図

 飛鳥井雅豊の娘
妻の父 飛鳥井雅豊飛鳥井雅庸~雅豊の系図

 教寛【1737-1743】
 経貴【1739-?】
 良胤(『飛鳥井家譜』による。)
子の夫 良慈(『飛鳥井家譜』による。)→良慈の系図
子の夫 佐竹山城(『飛鳥井家譜』による。)


  飛鳥井雅重【1721-1779】
 権大納言。
 永井直期の娘
妻の父 永井直期永井直期・直行の系図
 高倉永秀高倉永重~永秀の系図

 松木宗章〔養父:松木宗美〕→松木宗顕~宗有の系図
 誉淳 誓順雅重の娘(『飛鳥井家譜』による。)
子の夫 勧修寺経逸勧修寺顕道~経逸の系図
 良顕勧修寺良顕~経理の系図

子の夫 久世通根(『飛鳥井家譜』による。)→久世栄通~通煕の系図
子の夫 安藤道紀安藤道紀~直裕の系図


  飛鳥井雅威【1758-1810】
 権大納言。
 本多八百姫〔養父:本多康伴(→本多康桓~康匡の系図)〕
 実は本多康政(→本多康桓~康匡の系図)の娘。
 河鰭実清〔養父:河鰭公陳〕→河鰭実陳~公述の系図

 農清(『飛鳥井家譜』による。)
子の夫 勧修寺経則(『飛鳥井家譜』による。)→勧修寺良顕~経理の系図
子の夫 烏丸資董(『飛鳥井家譜』による。)→烏丸光栄~光徳の系図


  飛鳥井雅光【1782-1851】
 権大納言。
 滋岡功長〔養父:滋岡長棟〕→東坊城益長~長維の系図
 孝栄 雅光の娘(『飛鳥井家譜』による。)
子の夫 広橋光成広橋光成~胤光の系図
子の夫 高倉永胤高倉永範~永祜の系図


  飛鳥井雅久【1800-1857】
 権大納言。
 松平泰
 松平信志(→松平信志~信正の系図)の娘。

 藤麿秋麿 雅久の娘(2人)(『飛鳥井家譜』による。)


  飛鳥井雅典【1825-1883】
 権大納言。
 花山院家厚の娘
妻の父 花山院家厚花山院定誠~家理の系図

 恒麿〔養父:津守国美〕(『飛鳥井家譜』による。)
 長麿〔養父:光勝(→光勝の系図)〕(『飛鳥井家譜』による。)
 (『飛鳥井家譜』による。)→永井直温~直哉の系図
 藤枝雅之隆麿 (『飛鳥井家譜』による。)


  飛鳥井雅望(まさもち)【1842-1906】
 従三位。
 本多康禎の娘
妻の父 本多康禎本多康完~康穣の系図

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系図について

 本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
 あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。

 系図はおおよそ次の方針で作成しています。

  • 系図に描画する人物の範囲について
     上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
     下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。
  • 人物の表示の区別について
     系図では、次の通り背景色を区別しています。
     (オレンジ)……天皇
     (緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
     (黄)……江戸時代の将軍・藩主
     (水色)……その他男性
     (ピンク)……その他女性
  • 養子・猶子について
     両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
     養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
     一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
     なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。
  • 正室・側室等について
     これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。
  • 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
     『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。
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