このページでは、守山松平家(清和源氏・義国流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
守山松平家(陸奥国守山藩主)の略系図
1 頼元→松平頼元・頼貞の系図
3 頼寛→松平頼寛~頼之の系図
松平頼元・頼貞の系図
松平頼元(よりもと)【1629-1693】
常陸国額田藩主。守山松平家の祖。
妻 小笠原金
小笠原忠真(→小笠原忠真の系図)の娘。
子 本多忠国〔養父:本多政長〕→本多政朝~忠孝の系図
子 胤姫→相馬昌胤の系図
子 幸姫【1665-1670】
子 長姫→松平隆政~直道の系図
子 耶々姫【1669-1671】
子 久米姫→松平宗昌~茂昭の系図
子 元姫【1677-1678】
妻 辻氏
子 頼愛【1677-1706】
孫 喜与【1705-1725】
子 小三郎【1688-1698】
子 伊夜姫【1691-1692】
松平頼貞(よりさだ)【1664-1744】
額田藩主・陸奥国守山藩主。
妻 蜂須賀峯/久松【1669-1724】
蜂須賀隆重(→蜂須賀隆重~正員の系図)の娘。
妻 桜井氏
子 染姫→小笠原長煕~長恭の系図
子 千姫/吉姫【1695-1698】
妻 橋本氏
子 勝之助【1697-1699】
妻 西川氏
子 頼尚【1702-1758】
子 璵米姫→細川立孝~興里の系図
子 須米姫/美野姫【1701-1709】
妻 松本茂
子 頼寛・孫 頼亮→松平頼寛~頼之の系図
子 七郎【1707-1709】
子 頼恭〔養父:松平頼桓〕→松平頼豊~頼恭の系図
子 定賢〔養父:松平定儀〕→松平定逵~定邦の系図
子 頼済〔養父:松平頼幸〕→松平頼永~頼策の系図
子 多米姫【1702-1727】
子 津治姫→堀直尭・直教の系図
松平頼寛~頼之の系図
松平頼寛(よりひろ)【1703-1763】
守山藩主。藩校養老館を設立した。
祖父 頼元・父 頼貞→松平頼元・頼貞の系図
妻 松平元姫
松平義孝(→松平義行・義孝の系図)の娘。
子 頼羆【1734-1737】
子 幾姫→松平義敏~義和の系図
妻 益田氏
子 頼篤【1740-1747】
子 頼融【1748-1817】
子 頼溥/頼紀【1751-1811】
松平頼亮(よりあきら)/頼種【1744-1801】
守山藩主。
妻 松平漪
松平頼順(→徳川宗尭の系図)の娘。
妻 高橋氏
子 頼孝【1766-1767】
子 由良貞靖〔養父:由良貞陰〕→由良貞靖の系図
子 伴姫→小笠原貞温~貞正の系図
子 頼亮の娘【1765-1772】
妻 川上氏
子 武田信典〔養父:武田護信〕→武田晴信・勝頼・海野信親~武田崇信の系図
妻 山口氏
子 都姫→佐竹義知の系図
妻 平氏
子 知久頼衍〔養父:知久頼福〕→知久頼衍の系図
松平頼慎(よりよし)【1770-1830】
守山藩主。
妻 徳川雅姫【1773-1839】
徳川治保(→徳川治保の系図)の娘。
子 頼賢【1804-1842】
子 高姫→相馬益胤の系図
子 久米姫【1798-?】
子 煕姫【1800-1806】
子 勝姫〔養父:徳川治紀〕→徳川治紀・斉脩の系図
子 英姫→松平正升~正質の系図
子 綿姫【1812-1813】
妻 林氏
子 頼永〔養父:松平頼学〕→松平頼謙~頼英の系図
子 丞姫→中山信敬~信徴の系図
松平頼誠(よりのぶ)【1803-1862】
守山藩主。
妻 徳川苞姫
徳川治紀(→徳川治紀・斉脩の系図)の娘。
妻 松平信
松平頼説(→松平頼永~頼策の系図)の娘。
子 頼茂【1830-1832】
子 頼歆【1831-1833】
子 銛姫【1833-1857】
子 祐姫【1835-1836】
子 頼彬【1839-1841】
子 頼邕【1843-1845】
松平頼升(よりのり)【1832-1872】
守山藩主。戊辰戦争では新政府軍に従った。
妻 羽田氏
子 鏘姫→松平頼永~頼策の系図
妻 入沢氏
子 鐘姫【1870-?】
松平頼之(よりゆき)/昭鄰(あきちか)【1858-1873】
守山藩主・常陸国松川藩主。実は徳川斉昭(→徳川斉昭~昭武の系図)の子。藩庁を常陸国松川に移した。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。