このページでは、堀河家(藤原氏北家・長良流)の系図を掲載しています。系図は、直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
堀河家(羽林家)の略系図

1 親具→堀河親具~則康の系図
5 康俊→堀河康俊~康実の系図
12 康暁→堀河康暁~康隆の系図
堀河親具~則康の系図
堀河親具【1549-1631】〔養父:水無瀬兼成(→水無瀬具景~兼成の系図)〕(以下、『系図纂要』による。)
堀河家の祖。
祖父 永康・父 永家→高倉永継~永相の系図
祖父 伊勢貞陸→伊勢貞陸の系図
子 樋口信孝・孫 信康→樋口信孝~康煕の系図
子 栄禅(『堀河家譜』による。)
堀河康胤/康満【1592-1673】
権中納言。
子 則康〔養父:堀河信親〕
子 光理【?-1700】(『堀河家譜』による。)
子 尊盛・康胤の娘(2人)(『堀河家譜』による。)
子の夫 樋口信康→樋口信孝~康煕の系図
堀河信親【1618-1639】
堀河則康【1622-1686】
参議。
子 康俊→堀河康俊~康実の系図
子 康綱〔養父:堀河康俊〕→堀河康俊~康実の系図
子の夫 水無瀬兼豊→水無瀬兼豊~経業の系図
堀河康俊~康実の系図
堀河康俊【1646-1667】
祖父 信親・父 則康→堀河親具~則康の系図
堀河康綱/康勝【1655-1705】〔養子:堀河康致〕
参議。実は堀河則康(→堀河親具~則康の系図)の子。
子 康綱の息子(『堀河家譜』による。)
子の夫 彦山随良院(『堀河家譜』による。)
堀河康直/康能【1682-1698】
堀河康致/之隆/隆世/康慶/康和【1679-1719】〔養父:堀河康綱〕
実は鷲尾隆尹(→鷲尾隆尚~隆尹の系図)の子。
妻 堀河康綱の娘【1688-1748】
堀河康行【1707-1728】
堀河冬輔【1714-1746】
実は園池実守(→園池実守~公静の系図)の子。
妻 滋野井公澄の娘
妻の父 滋野井公澄→滋野井公澄~公麗の系図
子 康忠【1747-1776】(『堀河家譜』による。)
孫 康忠の娘〔養父:堀河康実〕
堀河康実【1741-1796】
参議。
妻 鍋島光/四千代/富/直【1739-1768】〔養父:鍋島重茂(→鍋島宗茂~重茂の系図)〕
実は鍋島直恒(→鍋島直恒~直紀の系図)の娘。
子 康暁・孫 親実→堀河康暁~康隆の系図
子 康彰【1767-1824】(『堀河家譜』による。)
子 綏子→鍋島直恒~直紀の系図
子 康実の息子(『堀河家譜』による。)
子 康実の娘【1763-1775】(『堀河家譜』による。)
子 康実の娘【1776-1830】(『堀河家譜』による。)
子 康実の娘【1778-1795】(『堀河家譜』による。)
子 康実の娘【1788-1789】(『堀河家譜』による。)
子の夫 広橋伊光→広橋伊光の系図
堀河康暁~康隆の系図
堀河康暁/忠順【1765-1798】
正三位。
祖父 冬輔・父 康実→堀河康俊~康実の系図
祖父 鍋島重茂→鍋島宗茂~重茂の系図
子 康廉【1785-1786】(『堀河家譜』による。)
子 康暁の娘【1790-1791】(『堀河家譜』による。)
子 康暁の娘【1793-1794】(『堀河家譜』による。)
堀河親実/和光【1777-1834】
参議。実は裏松謙光(→裏松謙光~良光の系図)の子。
子 親賀〔養父:堀河康親〕
子 秀信【1826-1857】(『堀河家譜』による。)
子 親実の息子【1822-1823】(『堀河家譜』による。)
子 親実の娘【1800】(『堀河家譜』による。)
子 親実の娘【1810-1816】(『堀河家譜』による。)
子 親実の娘【1817-1827】(『堀河家譜』による。)
堀河康親/親孝【1797-1859】
権中納言。実は萩原員幹(→萩原員幹の系図)の子。
妻 勧修寺経逸の娘
妻の父 勧修寺経逸→勧修寺顕道~経逸の系図
子・子の夫 岩倉具視〔養父:岩倉具慶〕→岩倉恒具~具視の系図
子 藤大路納親【1827-?】(『堀河家譜』による。)
子の妻 六条有言の娘
子の妻の父 六条有言→六条有起~有義の系図
子 康親の息子【1824】(『堀河家譜』による。)
子 康親の息子【1828-1847】(『堀河家譜』による。)
子 康親の娘【1826-?】(『堀河家譜』による。)
子の夫 中御門経之→中御門宣顕~宣猷の系図
妻 万里小路建子
万里小路建房(→万里小路稙房~通房の系図)の娘。
子 康隆〔養父:堀河親賀〕
孫 康政【1865-?】(『堀河家譜』による。)
孫 康隆の息子【1865】(『堀河家譜』による。)
孫 康隆の息子【1869-?】(『堀河家譜』による。)
孫 康隆の息子【1871-?】(『堀河家譜』による。)
孫 康隆の息子【1873-?】(『堀河家譜』による。)
子 紀子→光格天皇~孝明天皇の系図
子 康親の娘【1819-?】(『堀河家譜』による。)
越後の真宗寺に嫁いだ。
子 康親の娘【1821】(『堀河家譜』による。)
子 康親の娘【1821】(『堀河家譜』による。)
子 康親の娘【1822-1864】(『堀河家譜』による。)
子 康親の娘【1839-1841】(『堀河家譜』による。)
子 康親の娘【1843】(『堀河家譜』による。)
堀河親賀【1822-1883】
正三位。実は堀河親実の子。
妻 勧修寺経則の娘
妻の父 勧修寺経則→勧修寺良顕~経理の系図
子 親賀の息子【1851】(『堀河家譜』による。)
子 親賀の娘【1849-?】(『堀河家譜』による。)
日野西光善の妻になった。
子 親賀の娘【1852】(『堀河家譜』による。)
子 親賀の娘【1854-?】(『堀河家譜』による。)
子 親賀の息子【1866-?】〔養父:太秦供親(→桜井供敦~供愛の系図)〕(『堀河家譜』による。)
子 親賀の息子【1870】(『堀河家譜』による。)
子 親賀の娘【1862】(『堀河家譜』による。)
子 親賀の娘【1868-?】(『堀河家譜』による。)
子 親賀の娘【1873-?】(『堀河家譜』による。)
堀河康隆【1836-1896】
正三位。実は堀河康親の子。
妻 千種文子
千種有文(→千種有補~有任の系図)の娘。
系図について
本サイトの系図は、『尊卑分脈』、『本朝皇胤紹運録』、『系図纂要』、『寛政重修諸家譜』、東京大学史料編纂所のホームページのデータベースで公開されている家譜及び宮内庁のホームページの書陵部所蔵資料目録・画像公開システムで公開されている華族系譜を参照し、各種辞典類等も参考にして作成しています。
あくまで『尊卑分脈』等に参考に作成した結果に過ぎませんので、本サイトに掲げた系図が正しいと主張するものではありません。
系図はおおよそ次の方針で作成しています。
- 系図に描画する人物の範囲について
上記のとおり、系図は直系2親等・配偶者・姻族1親等の人物を目安に作成しています。
下限は『系図纂要』・『寛政重修諸家譜』に掲載された最後の世代を基本としています。 - 人物の表示の区別について
系図では、次の通り背景色を区別しています。
(オレンジ)……天皇
(緑)……『公卿補任』に掲載される大宝元年3月21日以降の公卿
(黄)……江戸時代の将軍・藩主
(水色)……その他男性
(ピンク)……その他女性 - 養子・猶子について
両者を厳格に区別して表記するには力が全く及びませんので、一律「養子」「養父」「養母」と表記しています。
養子は、『尊卑分脈』等で線で繋がれて養子となる人物が表記されている場合、系図にも表示し、二重線で繋いでいます。
一方、『尊卑分脈』等で養子関係が人物の傍らに付記されている場合は、系図内には表示しませんでしたが、別途注記しています。
なお、正室以外との間の子が正室の養子となった場合、系図では実父母との関係のみを表示しています。 - 正室・側室等について
これらを厳格に区別して表記することも、力が及びませんので、「妻」「夫」と表記しています。 - 『尊卑分脈』を基本とした範囲について
『尊卑分脈』に掲載された氏族は、まずは『尊卑分脈』を基本に系図を作成し、それに拠らない部分との境界となる親子関係は赤線で表示しています。